見出し画像

社会の余白と2割の働きアリ

具体的に、普段僕がどうやってお金を稼いでいるかというと、大きく分けて

①社会の余白として働く、②自分で仕掛けるビジネス、③出稼ぎ、④派遣労働の4つの働き方があり、書いた順に優先順位が高い。

とはいえ、この優先順位はあくまで自分の中で大事にしたい基本の順番であって、条件次第で順序は入れ替わっていく。

まず僕の中で最も優先順位が高い「社会の余白として働く」ということについて書いてみたい。

世の中には常に何かしらの困りごとを抱えた人たちが存在している。
身近な人同士で助け合ってその困りごとを解決できればいいけど、それがなかなかうまく成立しない。

多くの人は自分や家族のためにと、普段は仕事や家事や子育てなどのタスクに追われているため咄嗟の時に自分の時間を他人に差し出すことが難しい。

だから普段は何もしていないけど何かで困った人が現れた時だけ動き出せるフリーな人間が世の中には一定数必要なのではないかというのが僕の持論だ。

働きアリの法則というのをご存知だろうか。

働きアリの集団のうち、2割はよく働き、6割は普通に働き、2割はまったく働かないアリに必ず分かれる習性があるというものだ。

傍目から見ると働かないアリには価値がなさそうに見えるけど、実際はそうではなく、
この働かない2割のアリは、残り8割の働きアリに何かトラブルが起きた時に代替して働き出すという。
仮に働かないアリだけを取り除いても、残ったアリ達の中から再び働かない2割のアリが出現し、また同じ割合の集団を編成する習性があるのだとか。

つまり2割の怠け者の働きアリは、集団の中でバッファー(=余白)として機能しているのだ。

人間社会においては「1時間でいいから手を貸して欲しい」といった突発的で細かなニーズは常に身近の色んな場所で発生しているけれど、それをわざわざ求人サイトに載せたり、人材派遣サービスにお願いするようなことはない。

こういった細切れの仕事を上手に拾い、自分に余裕のある時、やりたい時だけこなしてお金に変えるというのが飽き性な僕にとってはとても相性が良く、また毎回異なる環境や内容に触れられるため、知的好奇心も満たせて都合が良い。

それに、突発的で緊急性の高い仕事は解決できた時にそれだけ相手から多く感謝されるため、やり甲斐を実感しやすく、おまけに貰える報酬の額も高くなりやすい。

社会の余白として働く際、請け負う仕事に対して僕は金額を決めていないけれど、経験的には、自分が施したサービス内容に対して割高な料金を支払ってもらうケースが多いように感じている。

週5で朝から晩まで働く人が大多数の日本の社会では、週5で朝から晩まで自由に動ける時間を確保できている方が、報酬も内容も”美味しい仕事”に当たりやすいのだ。

怠け者の2割の働きアリのように、暇な状態を維持し続けることが自分の仕事だと思っており、「僕は基本的にいつでもフリーなので、何か困ったことがあればいつでも呼んでください」という態度を周囲に示すことで広告を打っている。
つまり、誰にとっても「都合のいい男」でいることが自分にとっての存在価値だ。

そういう僕の考えを知っている知人からは、たまに社会の余白としての仕事の依頼が来る。

よくリピーターとして使ってくれる友人夫婦は、現在台湾に二人の子供と住んでいて、主に宮崎を中心とする日本での業務を遠隔で請け負って仕事を行っている。

彼らは宮崎にも家を持っていて、「夏になると生い茂ってくる裏庭の草を刈り取ってほしい」という依頼や、「留守中、家で飼っている猫に餌をあげに行ってほしい」という依頼がこれまでにあった。

その他にも、「花とケーキを買って仕事のお得意先に届けて欲しい」という依頼や、「デザインコンペで提出する資料をプリントアウトして県庁に届けて欲しい」という、彼らの仕事を黒子としてお手伝いする依頼もあった。

毎回きちんとギャラも払ってくれる。草刈りも飛脚みたいな仕事も、非日常的な体験が得られて楽しかった。

しかし、ギャラや非日常的な体験以上に、僕が社会の余白として機能したことで友人が喜んでくれたことが何より嬉しくて、それが自分の中ではメインの報酬となっているため、仕事を通して得られる充足感としては毎回かなり高い。

ここまで社会の余白として働くことを「お金を稼ぐ手段の1つ」という文脈で書いてきたけれど、実際はこれで大して稼げているわけではない。

社会の余白を働き方の優先順位として最も高いところに位置付けている理由は、お金を得るという動機以上に、僕自身が怠け者の働きアリのように生きていたい、そしてそういう人が2割くらいいる世の中になったらいいよねという僕個人の思想を大切に守り、周りに広めていきたいという思いが強いからだ。

身近な友人や自分の住むエリア周辺で何か困りごとを抱えた人が出たというなら、そういう時こそ普段暇な自分が率先して力になりたいという気持ちが強く、余っていた手を差し出したことで困っていた人が喜んでくれることは自分にとってお金以上に価値のある報酬だと感じる。

特に、家庭における子育てや介護といった社会的重要度と負荷の高い仕事は、実の親や子どもだけでこなすなんて土台無理な話だと思っていて、また、お金を払って外注するにも限界がある。そもそも金額に換算すること自体ナンセンスな仕事なのではないかと思っている。

僕にも2歳の息子がいるが、1時間でいいから見てくれる人がいたらどんなに楽だろうと思わされる場面は普段から幾度となく訪れる。

子育てや介護は、社会全体で金銭の授受を介在させずに無償で行っていけるのが僕にとっての理想だ。

これが根無人として生き、余白のある暮らしを追いかける所以でもある。

今後も社会の余白への依頼は積極的に引き受けていきたいと思っている。
これをご覧の皆様からの依頼もぜひお待ちしております。

サポートして頂けますともれなく懐の余白が拡がります。 SNSで記事をシェアしてもらえることの方が嬉しいかも?