見出し画像

仮想の村づくり

シェアハウスを作る理由は他にもあった。

震災でお金が紙切れになったあの時の衝撃。

またいつか同じことが起こらないとも限らないから、万が一お金が使えない状況になった時でも命をつなぎ止められる環境として「コミュニティを持つこと」の必要性を感じていたことが大きい。
 
 
お金に依存しない暮らしを構想した時、はじめは田舎の方に土地を手に入れて、家を建て、ソーラー発電をして、自給自足をしながら生活する“村”のようなものをつくることを考えた時期もあった。

実際にそういう生活をしている人たちにも会いに行って、一緒に酒を飲んだりもした。

だけど僕には、自由気ままで最高の生活のように見える彼らの暮らしぶりの奥に、「我慢」や「不便さ」があるように映ってしまった。

オフグリッドな生活を営む上で生じるそれらの不便さを、楽しむことができるのであれば何ら問題は無いけれど、僕の場合はそれがきっとストレスになってしまうと感じ、田舎での村づくりは断念した。

自分たちが食べる分の穀物や野菜くらい自給してみようか?とも考えたけど、食料自給率200%以上と言わている宮崎で、その道数十年の人達がつくる農産物の品質に「自分達が食べる分は自給したい」程度の思いしかない素人が作ったものが敵うはずがなく、それだったら、それらの農産物を作っている人達と仲良くなり、それをもらう代わりに何か自分が提供できる価値を作っていった方が美味しいものを少ない労力で得られて効率的だと考えて、結局それをすることも諦めた。

大昔、まだお金が存在していなかった時代では、人々は欲しいものを物々交換によって得ていたらしい。

人はそれぞれコミュニティを有していて、シェアハウスを中心に住人たち同士の持つコミュニティがそこで混ざり合い、溶け合っていけば、やがて大きなコミュニティへと変化し、万事の際にはお金を介さずともモノやスキルの交換によって欲しいものは得ることができ、生存も可能になる。

都市部であればそれだけ人は集まりやすく、モノもスキルも情報も流通しやすいため、こっちの路線でいこうと決め、

宮崎市内に“宮崎村“という仮想の村をつくることをコンセプトに、その中心基地として「公民館」を開設することをイメージして、ミヤザキ村Coming館(コーミンカン)というシェアハウスを作った。
2013年、4月の出来事だった。


ちなみに「coming」には、「来る」の現在進行形「来ている」という意味の他に、『未来の』という意味もあるらしい。

この住まい方が“未来の家”のひとつのモデルになれば、という思いも込められていた。

サポートして頂けますともれなく懐の余白が拡がります。 SNSで記事をシェアしてもらえることの方が嬉しいかも?