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35歳 無色、良きパサーでありたい

先日35歳になりました。

34歳から35歳になった瞬間から、ドシンと何か重たいものが乗っかって来たような感覚がありました。

それは世間からニートやフリーターで括られる年齢を過ぎ、なんだか甘えの利かない、しっかりちゃんとした大人にならならなきゃいけない歳に突入したような、プレッシャーがあったからだと思います。

35歳からはTPOを意識して、少しは大人っぽく、半ばふざけつつも、学者っぽく装っていきたい。

 

自分を取り巻く同年代や僕よりもっと年下の人たちの中には、自分で会社を起こしたり、有名企業で大きく昇進していたり、お店を始めたりしていて、

そんなダイナミックな動きが何ひとつできていない自分は、「なんてしょぼい人間なんだろう」と、ふとした時に強い劣等感に悩まされる瞬間が最近何度か訪れた。

35歳、妻子持ち。これからの将来を考えた時に、本当に自分はこのままでいいのだろうか、と。
 
 
そんな時、これまでの悩みを解消する出来事が最近あって。

発起人となって始めたシェアハウスSEEKBAKOで、僕を慕って家に来てくれた2人の友人が、僕が寝静まった後にこれからの進路について悩んでいた住人の若い男の子と朝まで語り明かし、住人の男の子に明確な目標が芽生え、すっきりとした顔になっていたこと。

自分がきっかけとなって生まれた波紋に引き寄せられた人同士が、自分の意図しないところで勝手に繋がり、何かが変わり、何かが始まる機運が高まる。

そんな瞬間を演出できた時、僕はとてつもない興奮を得る。
僕の居場所はきっとここなんだと、その時再確認しました。
 
 
話は変わって
 
 
僕は小学生の頃から大人になるまでずっとサッカーをやっていて、今でも大のサッカー好き。
好きな歴代日本のサッカー選手は誰?と聞かれたら、真っ先に名前をあげるのが「中田英寿さん」。

彼の繰り出すキラーパスは、瞬時にゴールチャンスを演出する。
だけど味方の選手はそのパスコース、パススピードに付いていけないこともしばしば。

しかし彼は自分の信念のもと、何度も繰り返し味方にとっては厳しいパスを出し続ける。

そこには、「ここに通れば一気にゴールチャンスに繋がるはずなんだ」という意図、味方への意思表示がありました。
 
 
「良きパサーたれ」とは誰の言葉か忘れてしまったけど、最近ふとその言葉と中田選手のことを思い出し、迷っていた35歳以降の自分の生き方の指針を、ようやく見出せた気がした。

“なるべくフリーの状態で、いろんな局面に顔を出し、あらゆる方向から回って来るパスを、時に厳しくも意図を持って次に出す”

そんな生き方をしていきたいと思った。
 
 
僕は地味で目立たなくてもいいから、パスを出した相手が自分の定めたゴールを突破し、有名になったり幸せになってくれたら、その姿を見れるだけで僕はとても幸せだ。

で、僕が何かのきっかけでくたばりそうになった時は、その時出したパスのことを思い出して、僕のこと助けてあげてほしい。←
 
 
余白学者の前は、ギアが入っていない時のニートというポジションに戻る時間を徐々に増やしていきたいとの思いから「ニュートラルニート」という肩書きを名乗っていたけど、35歳となった今、ニートはもう使えない。

でも、ギアが入った時だけその場所に足りていない色へと染まり、その場所に色彩を添えられる存在として、「ニュートラル無色(≒無職)」という生き方にはやっぱり惹かれてしまう。

余白学者と肩書きを変えてからも、やはり心の軸は何も変わっていないようです。
 
 
“僕が忙しくなったら困る人が出てくる”

そんな行き過ぎた自意識を大事に、宙ぶらりんでフワフワと浮遊するような生き方を、これからも貫いていこうと思った次第です。

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