神田で化かされた話

 神田、といっても場所的にはほぼ秋葉原に、神田川にかかる「神田ふれあい橋」という微妙な名前の橋がある。なにが「ふれあい」なのかはよく分からない。両側が階段になっていて歩行者専用だからかもしれない。

 その橋をわたると、柳森神社という小さな社がある。まわりはビルだらけなので、いかにも「鎮守の森」のように見える。実際には木が数本生えているだけだけど、とにかくそんな雰囲気が醸しだされていて、都会のオアシス的なかんじだ。

 この柳森神社は、1458年に太田道灌が江戸城の守りのために京都伏見稲荷から勧請したお稲荷さんらしい。そしてこの社には、目にすれば誰でも驚くちょっと変わった点がある。お稲荷さん=「キツネ」、という先入観が打ち崩される、その変わった点とは?

 「タヌキ」が境内に鎮座しているのである。

 案内板によれば、江戸幕府五代将軍徳川綱吉のお母さん、桂昌院が作ったもの。桂昌院は出自は八百屋の娘という低い身分だったんだけど、家光の乳母である春日局に見込まれて三代将軍家光の側室になり、しかも綱吉を生んだというから、とんでもない玉の輿。と書いてから調べたらびっくり。この桂昌院はもともと「お玉」と呼ばれていて、このお玉のお輿入れを称して「玉の輿」という言葉が生まれたという説があるそうな。語源だったか!

 で、なぜタヌキなのかというとことだが、残念ながら案内板には理由は一切書かれていない。ただ桂昌院が作ったこのタヌキ像については、「他を抜く」、つまり大奥の他の女性たちを抜きさって玉の輿に乗った縁起物という扱いで、玉の輿に乗りたい女性たちがこぞって崇拝したと説明している。

 ってことはこの桂昌院、「自分は身分の高い周りの女性たちを出し抜いて玉の輿をつかみましたのよ」ってことを見せつけるためにタヌキ像を作ったのか?しかもダジャレ。ものすごい心臓の持ち主だな。

 もちろんお稲荷さんだから境内には神の使いとしてのキツネもいる。キツネとタヌキが同居している訳である。そしてキツネとタヌキといえば化かすものと決まっている。まあ、まさかこんな都心中の都心、神田で化かされることなんてある訳がない…と思いきやなんと。実は以前、ここからそう遠くないところで、「化かされた」としか思えない経験をしたことがある。 同じ神田の、神保町だ。

                ■

 1993年のこと。真夏の8月でも肌寒くて、テレビでは「稲が育たない」という話を繰り返し伝えていた。記録的な冷夏の年だ。夏休みで暇な大学生の僕は、カーディガンをはおって神保町に行った。ふだん神保町など滅多にいかないし、何を目的として行ったのかはもはや覚えていない。が、この時はふらりと神保町の三省堂本店に入って、当時のベストセラーの「マディソン群の橋」を手に取った。軽い内容だったこともあり、2時間もせずに丸一冊、立ち読みで読み終えてしまった。デジタル万引きならぬ、アナログ万引きとでもいうのか。いや、それだとただの本当の万引きになっちゃうか。

 当時は基本的にお金がなかったが、この日は定期が使えないところに行ったため、電車賃がかかっていよいよお金がなく、というか実をいえば帰りの電車賃すらなくて、どこかでお金をおろさなければいけないという限界の状態だった。いずれにせよ、本を買うなどということは出来なかったのだ。(※今はもちろん反省してます)

 立ちっぱなしだったので疲れて、外に出た。相変わらず外は猛暑というには程遠く、夏という感じがしない。それでも冷房が効いた本屋よりは温かい。子供のころは夏休みになると図書館に一日中いることが多く、夕方、冷房の効いた館内から外に出て「あー、温かい」と感じるのはいかにも「夏っぽい感覚」だったが、この時もその感覚を味わっていた。

 方向音痴なので、建物の中に入るときと出るとき、方向を逆にして歩きだしてしまうことがある。そもそも出口を間違えることもしばしばだ。その時も、三省堂に入った靖国通り側ではなく、裏のすずらん通り側に出た。もちろん違うということはすぐ分かったけれど、特に目的もないので、ぶらぶらしようと思い、歩き始めた。

 すずらん通りは、なにやら恐ろしげな古書店やら喫茶店やらが多くて、軟弱な大学生にはちょっとレベルが高すぎるし、そもそもお金がほとんどない。東京堂には入ろうかとも思ったけどなんとなく気分が乗らずに、そのままふらふら歩き続けた。

 散歩している内にハイになるということがある。景色を見るでもなく、何かを考える訳でもなく、ただひたすら歩き続ける状態。すずらん通りは1キロにも満たない短さだが、この時もこの「お散歩ハイ状態」に突入し、ほとんど周りが見えていなかった。

 そしてしばらくその状態が続いた後、向こうに大通りが見えた。端っこまでたどりついたのだ。だがその時、奇妙なことに気がついた。「あれ、ここは…?どこだ?三省堂に似てるけど」。

 すずらん通りの片方の端、三省堂から歩き始めたのだけれど、そこに立っている建物は、やっぱり三省堂だった。もちろん途中で曲がったり、引き返したりした記憶はない。

 ただまっすぐに歩いただけなのになぜか、同じ地点に戻ってしまったのだった。

 道が円環状になっていて一度しか曲がってないのに同じ地点に戻ってしまうというボルヘス的迷子になったことは過去に数回あるが、今回はまっすぐの道であって、しかもすずらん通りのもう片方の端、白山通り側のことも知っている。どう考えても訳が分からない。ドラクエのマップのように端っこと端っこがつながっているかのようだ。

 まさに「キツネかタヌキに化かされた」ような気がして、不思議な感覚につつまれたまま、いやここはつままれたままというべきか、ともかく変な気分で、しかしあまり深く追求はせずに、坂を上って帰途についた。

                ■

 これが僕の、生まれてからこのかた唯一の、オカルトっぽい体験だった。その後、同じ神田の秋葉原近くに柳森神社を見つけて、「やはりキツネかタヌキに化かされたのだ」ということにして、一種のネタとして、いろんな人にしゃべった。「神田では化かされることがあるから気をつけろ」。ただし、結局謎が謎のままなので、そんなにウケはしなかったんだけど。

 ところが!去年のことだが、この謎はあっけなく解けたのだった。分かってみれば、あまりにもバカバカしい理由だったのだ。ご説明しよう。

 毎週日曜日の早朝は、天王洲にあるインターFMという放送局で生放送の仕事があり、次週打合せなども含めて全て終わるのは11時30分頃だった。仕事が終わった充実感と解放感あふれるとても嬉しいひとときで、暑い真夏のこの日もそれを感じていた。まっすぐに帰るのもなんだし、ということでこれまで歩いたことのないルートで品川駅まで行こうと考えた。

 スタジオは機材保護のため寒いといえるほど冷房を効かせていて、館内から外に出ると、「あー、温かい」と、小さい頃の夏の感覚が甦る。30度はとっくに越えている。それでも仕事を終えた嬉しさで、ふらふらと歩き始めた。

 歩いていると、なにやら商店街のようなところに出た。北品川商店街という名前だ。うろうろしている内に、どうやらここは旧品川宿らしいということが分かった。

 品川宿といえば、落語「居残り佐平次」、それを下敷きにしつつ「品川心中」なども取り入れた映画「幕末太陽傳」などで有名だけど、確かにその名残はそこかしこに残っていて、大通りから入ったばかりの右手には、本陣跡なんてものが聖跡公園という名前で残っていたりする。この名前は、かつて明治天皇がこの近くに宿泊されたことから名付けられたらしい。

 ただし、近くの運河はお世辞にもキレイではなく、「刺身がうまい品川宿でも行こうじゃねえか」という佐平次のセリフとはちょっとかけはなれてるかなあ、なんてことを思いながらてくてく歩いていく。

 本当はビールでも飲みたいのだが、この旧品川宿の商店街には日曜日のこの時間にお酒が飲めそうなお店というのが存在しなかった。ならばとコンビニで買おうかとも思ったのだが、その前になにかイヤな予感がした。

 財布を確認したら、なんとほとんどお金が入っていない。そうだ、朝6時すぎ、山手線に乗る前に自販機でペットボトルのお茶を買った時、「あっ、財布の中に札がない」ということに気づいたのだった。イヤな予感などでは全くなく、単に忘れていたことを思い出しただけである。

 とにかく、買い物をするお金がないので、ここは我慢して、商店街の散歩を楽しもう。「品川宿」「東海道」を名乗るお店がちらほらある。塗料屋さんや金物屋さんなど、今どきどうやって売り上げを立てているのか分からない懐かしめのお店もある。「100回同じことを聞いても100回笑顔でお答えする やさしいパソコン教室」というキャッチフレーズはかなり気に入った。その他、コンビニやスーパーもあるのだが、とにかくこちらのお金がない。

 品川駅まで戻れば、お金はおろせるからいいんだけど、お金がないというのはやっぱりつらいことだなあ、などと考えていると、いつしかお散歩ハイ状態に突入していた。相変わらず散歩は人生のなかでかなり大きな趣味のひとつで、歩いている内に忘我の境地、というのは大きく出た表現だが、ふわっとなにも考えない状態に入る。

 ぼんやり、「どうも同じチェーンのコンビニが多い通りだな」などと考えていたら、向こうに大通りが見えた。端っこまでたどりついたのだ。だがその時、奇妙なことに気がついた。「あれ、ここは…?どこだ?さっき見たような」。

 北品川商店街の入り口、本陣の跡の聖跡公園が、左手に見えている。そこから歩き始めたのは確かなのに、そこにあるのは、やっぱりその公園だった。もちろん途中で曲がったり、引き返したりした記憶はない。

 ただまっすぐに歩いただけなのになぜか、同じ地点に戻ってしまったのだった。

 あっ、これは!学生の時にも一度あったぞ。すぐにその体験を思い出した。そして歳月を経て繰り返されたこの謎の現象を追求する…などどいうことは相変わらずせず、「ああ、懐かしいな、まあいいや、ビールでも飲むか」と思い、あたりをきょろきょろ見回した。大通りを渡ったところに小さなラーメン屋がある。あそこでよしとしよう。実はお金は、さっき郵便局でもうおろしてあるのだ。

 ……ん? ………。そうだ。そうだった、商店街をただ歩いていただけかと思ったけど、よく考えたらほぼ無意識に、北品川商店街で見つけたとっても小さい郵便局に入って、お金をおろしたのだった。そしてその瞬間、全ての謎が解けた。

                ■

 1993年、寒かった夏。すずらん通りを歩いていた僕は、帰りの電車賃がないという金欠状態だった。お金をおろさなければ家にたどりつけない。そう、あの時も僕はただすずらん通りを歩いていただけではなかった。白山通り側の端っこにほど近い郵便局で、お金をおろしたのだった。

 そして今、やはり郵便局でお金をおろした結果、ただ歩き続けたのに同じ地点に戻ってしまうという不可思議な現象に遭遇した。この謎を解決する説明はただひとつ。

 ATMでお金をおろして郵便局を出た時に、方向を間違えて歩いてきた方向に向かってしまったのだった。つまり、郵便局を境に引き返したことになる。ただし、本人は引き返そうした訳ではないから、「引き返した記憶はない」のだ。

 そのため、本陣跡の公園は、最初は右手にあったのに二回目に見えた時は左手にあった。要するに、単に戻ってきただけだった。同じチェーンのコンビニが多いような気がするのも同じ話だ。なんのことはない、完全な同一店舗を「すぐ近くにある同系列のお店」と勘違いしただけだったのだ。

 お店に入って買い物をしたりご飯を食べたりするのとは違って、ATMでお金をおろす、というのは能動的に選択を迫られることがほとんどなく、動作が自動的になるがために、この現象が起こるのかもしれない。などと理屈っぽくいってみたものの、世界中でこの現象を体験したという人を聞いたことはない。でもオカルトなんて、ふたを開けたらだいたいこんなものなのかもしれない、と勝手に決めつけたのだった。

                ■

 なにはともあれ、謎は解明した。神田でも品川宿でも、タヌキやキツネに化かされたのではなかった。ずっと化かされてたと思っていて悪かった。今度、秋葉原に用事があったときは柳森神社にお参りしなきゃ。キツネの好物といえば油揚だけど、タヌキはなんだろう。天かす?いや、それはおそばの具の話か。しかも東京と大阪で定義が違うんだっけ。

 とにかく、近い内に柳森神社にお詫びのお参りをしてきます。パンパン。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?