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放送法の解釈は変更された?

立憲民主党の小西議員が提出した総務省の行政文書が、捏造されたものだったのか、捏造でなければ高市大臣は議員辞職するのか、といったことで大騒ぎとなりました。立憲民主党は、当時の安倍政権が放送法の解釈を変更して言論を弾圧したと主張していますが、本当に解釈が変更されたのでしょうか。

行政文書が捏造されていたものだとしたら、虚偽公文書作成や公文書変造、秘密文書に当たるなら、国会公務員法の秘密漏示になる可能性はあります。では、解釈の変更自体は何が問題なのでしょうか。

放送法4条2号によると、放送事業者は、放送番組の編集に当って「政治的に公平であること」が必要であるとされています。この規定に違反して放送した場合、総務大臣は3カ月以内の“停波”つまり放送の停止を命じることができ、それに従わないときは、放送免許を取り消すこともできます。

報道の自由は憲法で保障されているので、報道内容について、国家権力が干渉することはできません。なので、たとえば新聞記事の内容を法律で規制したりすれば、憲法違反になり得ます。しかし放送の場合は、電波の稀少性や放送の与えるインパクトの大きさなどを理由に、法律で内容を規制しています。公平でない意見を一方的に流すことの弊害ゆえに、「政治的に公平であること」を、放送法は要求しているのです。

しかしながら、時の政権が「政治的に公平であること」について恣意的に判断し、気に食わない放送局を停波できるとなると、放送局は萎縮して政権に批判的な報道をしなくなります。そうすると、偏った情報しか国民に届かず、世論の形成を歪めてしまったり、有権者は選挙で投票するための判断材料を得られなくなったりします。つまり民主主義にとってきわめて危険な状況になるので、「政治的に公平であること」の判断は慎重にしなければなりません。

放送法4条2号の「政治的に公平であること」をどのように解釈するかについて、衆参の委員会で何回か明らかにされました。とくに重要なのは、昭和39年、平成6年、平成27年の委員会での答弁です。

平成6年の衆議院逓信委員会では、政府参考人の答弁ですが、「政治的に公平であること」の判断は「特定の政治的見解に偏することなく、いろいろな意見を取り上げ、放送番組全体としてバランスのとれたものでなければならない」との解釈が示されました。ここでは、答弁者は「番組全体で」判断すると述べています。

ところが、平成27年の参議院総務委員会で、高市総務大臣は「政府のこれまでの解釈の補充的な説明として」「一つの番組のみでも、選挙期間中又はそれに近接する期間において殊更に特定の候補者や候補予定者のみを相当の時間にわたり取り上げる特別番組を放送した場合のように」「極端な場合」については「政治的に公平であることを確保」していないと答弁しました。
補充的な説明としてですが、「極端な場合」には、「一つの番組のみでも」政治的公平を判断できると答弁したのです。この答弁が放送に不当な圧力をかけたと高市大臣は批判され、今回の小西文書でも蒸し返されている訳です。

しかし、「極端な場合」においては「一つの番組のみでも」政治的公平を確保していないと判断できるという説明は、昭和39年の参議院逓信委員会の答弁でも示されていました。したがって、放送法の「政治的に公平であること」の解釈は従来から一貫しており、高市大臣の時代に解釈の変更をした訳ではないことになります。

今回の小西文書騒ぎ、高市議員辞職騒ぎに関しては、小西文書が正確なのかどうか分からないので、官邸からの圧力があったかどうかは不明です。大騒ぎした割には、あらためて放送番組の政治的公平の判断基準を明確にした、という実益くらいしかなかったようです。

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