食正月/おせち/験担ぎと羽休め
「あけましておめでとうございます」
今年は父母の他、5名の知人に新年の挨拶をした。言わずもがなLINEで。
数年前は携帯を所持しておらずLINEもやってなかったのに、今やしっかり現代味が染みに染みた生活をおくってる。年賀状は一通だけ書いた。
夫とは「明けたね」くらいのやりとりはあった気がするが、もう元旦から5日も経っているので明確に覚えてない。
残りの出来事もだんだん記憶が薄れていく。
既にうろ覚えの年末年始を、うろ覚えのうちに振り返っておこうと思う。
🙈大晦日 2023/12/31
おせち作る
昨年末は大掃除もせずに、おせち作りに励んだ。
「新年の運まで掃除してしまうので、大晦日に大掃除はしない方が良い」というのをどこかでちらっと見聞きしたのをいいことに、大掃除はしないことに決めこんだのだった。
“市販品を買って詰める”という考えが何度も過った。しかし市販品は案外高く、派遣社員にとっては敷居が高い。それに自分で作れるものは作るべしという我がポリシーにも反する。
年末は露程の、露程も残ってんのかすら怪しいくらいの微量の気を振り絞り、一から作ることにした。
8時から11時までぶっ通しで作った。たった3時間かと思うが、3時間料理し続けるのもなかなかだ。一切料理をしない三が日を手に入れたい一心で、クックパッド先生やクラシル先輩の知恵を惜しみなく借りる。
インターネットはすごい。というよりレシピをわざわざ投稿して他人に教えてくれる先輩方がすごい、頭が上がらない。
ここまでレシピが普及してなかったひと昔前に生まれていれば、栗きんとんひとつ作ることも儘ならなかったと思う。恵まれた環境に置かれていることを痛感した大晦日だった。
昼・余り物丼、汁
なんとか今年のうちに食べちゃいたい余り物を丼にまとめることに成功した。
白米は切らしてるので玄米で、なかなか美味い。
汁も野菜の切れ端から旨味が出て、なかなか美味い。
自分の料理に対して、「なかなか美味い」以外、どう評したらいいかわからない。そもそも私のは、切る乗せるの連なりであって、料理と言えるのか怪しいところもある。
まあ今日のところは、台所に立つこと=料理という子供の頃の我が持論を信じて、私のやってることは料理だと胸を張ることにしようと思う。
夜・年越しそば
西友の激安信州そばに、ヤオコーの激安天ぷら盛り合わせ。聞かれてもないのに「激安」であることを公表するのはなけなしの誠実さである。
蕎麦は普段から食べてるので安定の味だったが、ヤオコーの天ぷらはトースターで焼きを入れたところかなり美味しかった。
一昨年、某天ぷら屋さんで買ったのよりも段違いに美味かった。また今年もヤオコーにお世話になっても良い気がする。
🙉元旦 2024/1/1
朝・おせち実食
<お品書き>
(市販品)(貰い物)の後ろめたさがすごい。
黒豆だって昆布巻きだって、自分で作れるものだ。それを、スーパーの市販品に頼った。
「自分で作れるものは作るべしという我がポリシー」などと偉そう抜かした数分前の自分を恥ずべきである。
もしも言い訳を垂れるチャンスをくださるのであれば、一つだけ。この2つは市販品を買った方が安かったのです、本当なんです。
新年早々、矛盾ばかりの人間味に富んだ生き様を晒している。
高尾山
詣でに夫婦で高尾山へ。途中の団子が美味いこと。男坂女坂を登りきったところにある黒ごま団子が個人的に一番美味い。
黒ごま甘酒も一杯ひっかけて、新年早々点滴。(甘酒=飲む点滴)
真逆の性格の我々夫婦だが、元旦は妙なところで息が合い、おみくじは全く同じものを引き当てて、おまけに大吉ときた。大吉が出ると少し重荷に感じてしまうのは捻くれすぎだろうか。
賽銭用に財布から出した五円玉、夫婦揃って昭和63年ものだった。
だからどうした感が漂いつつも、この偶然にほんのり縁起の良さを感じながら賽銭箱に投げた十円が吸い込まれていった。
二礼二拍手一礼、お願い事はせず、本名と住所を神様に伝えるという至極シンプルな拝礼をかました。
昼・蕎麦
往路同様に復路も歩きで頑張っていたが、突如目の前にリフトが現れてしまったことで、心が揺らいだ。
揺らいでからはもう早い。950円をきっちり払い、人間を運ぶためだけにできた乗り物に揺られ、あっという間に麓まで到着した。
(ちなみに人生初のリフトとやらは金輪際乗ることはないだろう。めちゃくちゃ怖かった・・・)
楽したはずがリフトによる想定外のスリルにより、一丁前に腹が減る。麓の蕎麦屋に入る。高尾山は自然薯が有名らしいので、「とろろ山菜そば」を注文しまんまと定石客の一員。有名なだけあって自然薯はめちゃくちゃ美味かった。
粘り気あるのにあっさりさらっと食べられる、卵黄と相性抜群、久しぶりの山菜も最高。
大晦日に食った信州そばとは比べてはいけない。「あれはまた別物なのだ」と何度も自分に言い聞かせたので、また今年の自炊生活では、西友の信州そばに度々お世話になることだろう。
夜・おせち
元旦の夜も勿論、おせち。
左上に見えますのが、おせちに早くも物足りなさを感じたであろう夫のカップ焼きそばだ。
出されたものも食べつつ、独自の工夫でバランスを取ってくれるのは大変有難い。互いに最高の晩餐にするためには、ある程度の自由度を設けるのが大事。
🙊三が日残り 2024/1/2、3
1/3までおせち・煮しめで生活。台所には立ったものの包丁は一切使わなかった。
新年は刃物を使うと「縁を切ってしまう」という理由で避けた方が良いと言われている。
心身を休めつつ縁起に乗っかることもできた。
意地でも料理しない
絶対包丁を使ってはいけない新春特別ルールに則り、好きなものを食っても良いという最高の食正月。
もちろん正月から営業してるお店に限るが、制限というのは時に人を燃えさせる。
数ある店舗から選びぬかれたラーメンとインドカレー、心して味わった。
元旦のニュースで暗くならなかった訳がない。
意に反し、どう工夫しても安易な気がしてしまう自分の言葉。
しかし全く声に出さないのもまた不誠実な気もする。
兎に角、一日も早い復興を。
飽きを救うリメイク
元旦の夜にカップ焼きそばを食っていた夫は、飽き性の権化である。
元旦に続いて1/2の夜も、おせちを見る目に翳りが見られた。
少し早いが、煮しめにスパイス、ケチャップ、ウスターソースを混ぜてカレーライスへ急遽リメイクすることとなった。
※材料投入して混ぜるだけなので、包丁は不使用
リメイクする姿勢が響いたのか、カイエンペッパーを入れすぎて少々辛すぎた点は多めに見てもらえた。
無言のリクエストに答えた代わりに、翌日1/3の夜は有無を言わさずリメイク無しでおせちを食べてもらい、我々の三が日は幕を閉じた。
料理するのは嫌いじゃないとはいえ、やはり頭も体力も使う。
3日間包丁を持たずにゆっくりすることは、思いの外かなり休息に繋がった。
おせちのおかげで羽休めができたような気がする。
年末頑張ったかいがあったかもしれない。
日本人らしくゲンを担ぎまくった三が日、良い年になりそうな気がする。
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