Suddenly the rail gun/Positron

「それを手にしたら、君は人間には戻れなくなるんだよ」

 どこまでも優しく柔らかい声音だった。顔には微笑みがたたえられている。それでも彼女から受ける印象は無機質さを孕んでいた。それは彼女の陶磁器のような造詣の容姿からくるものなのか、内に秘めた非人道性が滲み出ているものなのか、それともその両方なのかもしれない。

「それでも君はそれを使うのかな」

 目の前の兵器に眼をやりながら、女は問いを口にした。

 身の丈よりも長い白く無機質で角ばった銃身。銃身左側には人間の右腕をはめ込むための窪みと穴がついており、ウェアラブルウェポンのかたちをとっていることがわかる。銃身後方部には小銃でいうところの弾倉が空調の室外機のように不格好に取り付けられている。

 女の問いかけに、相対する少女は答えた。

「覚えていますか、石田博士。前に新宿駅で会ったことがあるでしょう。私の友達。和泉リルって子。彼女、五月の第二次銚子決戦で負傷していらい東京の病院に入院しているんです。まさかあの子の居る東京にまで攻められてはいけないでしょう。そう思いませんか」

 飽く迄少女は朗らかにそう言った。

「つまり、その22式眞機名神槍を受け入れるということね」

「そうです」

 石田は目の前の少女のことを考えた。来栖ブラン。18歳。高校三年生。世の中のなにもかもを知ってはいない。そして友情と愛情、それを守るための犠牲的行動の甘美さと醜悪さは知っていた。彼女は自己犠牲の価値を過剰に見積もっていた。そして今から自分はそれに着け込むのだ。石田という女は幾度目かもわからない自嘲と自己嫌悪を内心で行った。

 目の前の白い兵器は22式眞機名神槍。Deus ex machinaとも云う。

 槍と呼称されるが実際は超小型陽電子砲である。砲撃後の再充填に一時間以上かかる上に量産化も出来ていない。それでも威力は十分以上のものがある。個人が携帯する火器としては過剰とも言えた。銃身の右側には金属製の杭が仕込まれていて近接戦闘も可能である。しかし眞機名神槍の最大の特徴はその破壊力ではなかった。

 眞機名神槍の左側の結合部から人体の神経と神槍内部の演算機が直結するようになっており、それを通じて人間の脳の演算能力を神槍内部演算機が支援することが可能ならしむる――とされている。しかしその実態は逆だった。人間の脳の演算を神槍内部演算機が支援するのではなく、神槍内部演算機の演算能力を人間の脳が支援するというのが実態だった。人間の五感が脳、或いは脊髄に伝達されたものが人間の意識化へと補正され脳が認識する前に、その情報は眞機名神槍へと送られる。そして人間の意識が意思決定を行う前に神槍内部演算機が回答を出力し、人間の人体へと伝達されることになる。つまり、22式眞機名神槍を手にするということは、自らが人型汎用決戦兵器となるということと同義だった。もっと口さがなく言えば肉体が乗っ取られるということになる。圧倒的な戦闘能力を得る代わりに人としての意識を全て失うことになる反人道的な代物だった。

 そして眞機名神槍は一度接合すると外すことが出来ない。眞機名神槍は物理的に肉体と接合しているため、それを外すことは人間の身体から脳を切除するのと同義になる。接合開始から数時間をかけて肉体の全神経が従来の自然界に存在しない金属元素と結合し、人間のそれよりも伝達能力が向上した神経が構築される。そしてその元素は脳の一部の蛋白質と二量化しヘテロダイマーとして結合する。22式眞機名神槍を受け入れるということは生物的にはともかく人間としては死を迎えるのと変わりない。

「さあ、始めましょう、石田博士。もうすぐ奴らが千葉へ侵攻してきます。その前に私は私であることをやめていなければ」

「……そう」

 まったく面白くなさそうな顔で石田は応じた。偽悪的な演技も限界だった。偽悪もなにも実際にこれから為すのは悪行なのに、と内心で自嘲した。自らの感情をそのまま表出させるのは恥ずべきことだと石田は思っていた。それが身勝手なものであるのなら猶更だ。いや、自らの感情のうち身勝手なものなどない。感情というものは軒並み身勝手なものなのだ。だからと云って、開き直ることだけはしたくなかった。その感情もまた、身勝手なものだった。

 接合に関して特別な作業が必要はなかった。眞機名神槍の接合部に右腕を挿入し神槍を起動させれば植物が根を張るように接合作業は進行する。それは強姦じみたものではなく、甘やかな愛情交歓にすら似ていた。ブランは躊躇いなく眞機名神槍に腕を預けた。石田もまた躊躇いなく眞機名神槍を起動させた。

「最期に、何かある?」石田はそっけなく訊いた。

「特に、何も」ブランはまったく穏やかに答えた。「むしろ石田博士、私に何かあります?」

「私? 私は――」少し何かを考えてから石田は言葉を繋いだ。

「――そういえばね、私は博士じゃないよ。ずっと前にも訂正したと思うけれど」

「そうなんですか? 眼鏡をかけているし、いつも白衣だし、もう博士みたいなものじゃないですか。博士じゃないなら、何なんです?」

「自衛官。陸上自衛隊。陸上自衛隊開発実験団第8実験科附二等陸佐・石田アヤカ。博士じゃなくて、軍人ってやつ」

 石田はブランに向けてさっと敬礼を行った。その動作は陸自のものではなく海自式の敬礼の動作であった。

 石田は思い出していた。かつて先輩と呼び親しんだ自衛官のことを。男ではあったが恋愛感情を抱いたことはなかった。しかし、抱いていた個人的な尊敬はひねくれた彼女の精神には似つかわしくないほど純粋なものだった。惜しむらくはその尊敬をその人に示す機会を一度も得ぬまま、彼は洋上で戦死した。今のブランと同じような自己犠牲の発露により、生還の望みの薄い作戦へと参加し、太平洋を墓標としてしまった。彼は彼女よりも二歳年上であったがその存在の耐えられない自己の軽さはまさに少年のそれであった。石田はそれがまっとうでないことを理解しつつも、彼とブランを重ねていた。

「日本国自衛官としてまったくの敬意を表します、来栖ブラン――」

 ブランは何も答えなかった。彼女の眼には人間らしい光がなかった。彼女はもはや来栖ブランではなく、22式眞機名神槍であったから。

 

 

 九十九里町と白子町の境の海岸線より外神猟兵は上陸行動を開始した。かつて北米西海岸へと侵攻した際と同様に、上陸時には太平洋上からトゥールスチャ外神海上火砲群による砲撃支援を受けていた。九十九里浜には無数の巨大な穴が生み出され、海岸線に沿って作られた街並みは数十分で瓦礫の山と化した。対する東部方面隊第1師団隷下第1戦車大隊は侵攻に備え増強されていたが所詮は大隊規模の応射であり、水際作戦未満の反撃でしかなかった。千葉県東部の保持は最初から期待していない。場所を捨ててでも戦力を保持し続けることが重要だと信じていたし、実際その通りだった。

 イドーラ外神猟兵旅団は瞬く間に大網白里市東部を蹂躙し、占拠した。そのまま日本国首都たる東京を目指し進撃を開始した。県道83号線を西進しつつ人間の住む街々の破壊も彼らは忘れなかった。幼子が積木を崩すような無邪気さと不用意さで、人々が作り上げてきた歴史ともいえぬささやかな連綿とした縁のような何かを壊し、烏有に帰した。

 自衛隊東部方面隊第1師団を基幹戦力とする千葉戦闘団は大網白里市と千葉市の境を第1防衛線と策定していた。第1戦車大隊は砲撃を加えつつ第1防衛線までじりじりと後退を続けていた。人ならざる何者かに祖国を蹂躙されていくさまを彼らは戦車内部から眺めていた。怒り、名誉、焦慮、義務といった様々な感情を混淆させゆっくりと忍び寄る絶望と無力感に抗っていた。彼らが戦車の中からそれを見続けることが出来るうちは敗北ではないのだから。

 第1防衛線に展開していた第1師団は第1戦車大隊の後退に合わせ作戦を次の段階へ移行させた。敵猟兵旅団の先頭部隊が大網白里市中心部へと侵入し、戦車大隊が安全圏まで後退したことを確認すると、県道138号線沿に敷設した指向性散弾と対戦車地雷を起爆させた。轟音と共に東西に延び切った敵猟兵旅団の中腹が弾け飛び、それらに触れた多くの外神の眷属たちが肉塊へと化した。

 同時に千葉戦闘団による本格的な反撃が開始される。弾薬と燃料を補充した増強戦車一個大隊の砲撃、多目的誘導弾が敵前衛へと着弾した。続き、陸自飛行隊の対戦車回転翼航空機による対地攻撃が波状に展開された。この時点でのイドーラ外神猟兵旅団は対空攻撃能力は有していなかった。さしたる抵抗も出来ぬままに、機関砲とヘルファイアによって眷属たちは肉体を弾けさせ、体液を汚らしくまき散らし、吹き飛んだ土と混淆し、大地と一体化した。

 祖国を蹂躙する人外の化物に戦闘団が配慮する要素は一切なかった。陸自飛行隊の攻撃が一時の息切れとともに、飛行隊は素早く退避した。ありったけの火力をぶつけられた敵先頭猟兵たちに更なる火力が殺到した。東京湾沖に待機していた護衛艦きりしま・てるづき・おおなみ三隻からの弾道ミサイルの着弾であった。外神たちの九十九里浜侵攻にそなえ、九十九里浜沖に無数の機雷を敷設していた彼らの仲間は、トゥールスチャ海上火砲群に強襲されその殆どが洋上で戦死していた。

 千葉県大網白里市は鉄火の庭と化した。陸海空統合戦闘集団たる千葉戦闘団は日本国の有する暴力装置としての精華を発揮した。瞬く間に敵猟兵二個大隊は夏の外気に触れた酒精のように蒸発し、日本の国土と一体化した。化物どもに墓標を作る文化があるのかは彼らの知り及ぶところではなかったが、少なくともここを人外どもの無縁仏として祭る地として扱うつもりだった。

 だが化物は依然として侵攻と前進をやめなかった。

 眷属たちが目の前で機械の焔に包まれていくのを眺めつつ、半ば自殺的に彼らは侵攻をやめなかった。彼らにも死という概念は存在し、死という概念を理解しつつ、自らの選択した行動がその終末へと直結していることを知りながらも、彼らの歩む速度は変わらない。あらゆる破壊力、膂力、精神性と行ったものが人のそれとかけ離れている彼らをもっとも化物たらしめているのはその行動原理なのかもしれなかった。

 戦闘は消耗戦へと移行しつつあった。千葉戦闘団は弾薬、燃料といった物的資源の消耗。侵攻する外神猟兵は生命的資源の消耗。人対人であったなら後者はさしたる時間も必要とせず敗北しただろう。しかし、外神猟兵は人で言えば歩兵戦力として扱われる存在であったが、外神猟兵一個大隊の有する破壊力は増強戦車一個大隊と同じか、或いはそれ以上のものを持っていた。加えて、その装甲能力は戦車と比較してまったくの優位にあった。陸自の普通科連隊が後衛に徹しているのはそのためだった。彼我の攻撃・防御能力の圧倒的な差を埋めているのは単純に戦慣れしているかどうかでしかない。

 そしてなにより絶望的なことに、化物の生命的資源は質も量も潤沢だった。


「第1飛行隊、全滅」

 千葉戦闘団司令部に突如達せられた被害報告は深刻だった。

 二次元的な侵攻に対して三次元的な迎撃でどうにか持ちこたえていた戦闘団により、航空火力の喪失はあまりに影響が大きかった。そしてなによりその急報は唐突に過ぎた。

「対空攻撃は、どこから」統合幕僚司令部美作海将は内心の焦りを表出させることもなくそう訊ねた。

「前衛からではありません。後方からの火力支援のようですが、それ以上は」

 美作海将だけでなく、その場にいる人員の殆どに嫌な想像がはたらいた。そして、彼らがその想像に対する見解を述べる前に、その想像が正確であったことを知ることになった。

「敵増援第四波上陸開始。トルネンブラ二個支援聯隊と、ニャルラトホテプ師団です」

 悲鳴にも似た報告は司令部を緊張させた。


 それは砲撃ではなく正しくは高出力レーザーであった。一度放てば最充填に十数時間を必要とするが、その光線を撃てる個体は数えずとも十分以上であることはわかっていた。大網白里市東部から放たれた光線は第1防衛線付近上空に展開していた陸自飛行隊を直撃した。多少の減衰はあったものの回転翼航空機を溶解させるのには十分以上の出力だった。

 攻撃はニャルラトホテプ師団によるものだった。その一個師団だけでも千葉戦闘団を上回る攻撃能力を有しているということは、灰燼に帰した北米大陸西海岸が物語っている。ニャルラトホテプ師団の出現までに千葉戦闘団はイドーラ二個外神猟兵旅団を壊滅させていた。そして、それが何もかもの限界点でもあった。弾薬の消費に対する兵站は限界を超えていたし、航空火力を喪失した千葉戦闘団はもはや独力による弾幕で化物の侵攻を止めることは出来なくなった。千葉戦闘団は第1防衛線の放棄を余儀なくされた。

 後退へと転じた軍隊は往々にして悲惨な運命が待ち構えているが、それでも千葉戦闘団は統率を維持していた。しかし、外房線に沿って健気に後退していた陸自にイドーラ外神猟兵とニャルラトホテプ師団隷下独立混成聯隊は逆襲を開始した。イドーラ外神猟兵旅団はともかく、ニャルラトホテプ師団はあからさまに千葉戦闘団を弄ぶような慢心をしていた。そして質の悪いことにその慢心は戦闘に悪影響を及ぼす類のものではなかった。後退する戦闘団への追撃に勤しむ外神猟兵をよそに、彼らは市街地の破壊と落伍した自衛隊員への戮殺を嬉々として受け持った。明らかに無駄打ちといえる高出力レーザー砲を戦術的にはまったく意味のない方向に発射した。解き放たれた高エネルギー弾は着弾してもその威力を弱めることなく、水切りの石のように市街地を破壊しながら地面を幾度か跳ね、それから漸く地面にその威力を全て伝えた。

 千葉戦闘団が第2防衛線へと後退するころにはその戦力の4割を減耗させていた。こちらの戦力は限られていて、そして向こうの戦力はなおも増大している。しかし第2防衛線には新たな救援が待っていた。それは人数にすれば5人という数の上ではなんとも頼りないものであったが、彼らは人ではなかった。

 谷垣アヌ。王城エリウ。瀧川アルテ。東堂フィアナ。そして、来栖ブラン。それらは飽く迄彼女たちが人間であった頃の名前だった。しかし22式眞機名神槍とだけ呼ぶには彼女たちはあまりにも美しく、可愛らしく、そして儚かった。戦乙女の如き冷徹さと精巧さすら兼ね備えていた。

 陽電子砲の充填は完了していた。そして千葉戦闘団の収容はもはや限界だった。22式眞機名神槍はそう判断した。最初に陽電子砲を化物に向けて発射したのは王城エリウだった。未だ化物と交戦している者、今まさに虐殺されんとする者、何もかもを諦めた者――戦場で死者となったものとこれから死者になろうとするもの。彼らと化物はまったくの区別なく陽電子砲撃に巻き込まれ、蒸発した。

 何故彼女たちが最初から出張ることができなかったのか。それはまさしく政治的理由であった。核弾頭の使用よりも倫理に反する彼女たちという存在を戦場に解き放つにはそれなりの理由が必要だった。現存する(政治的に)まともな戦力で太刀打ちできぬ場合、漸く彼女たちの本分を発揮できた。日本には核弾頭は存在せず、友邦たる米国は最早北米大陸の維持すら困難な状況である。なにもかもの手段を用いてなお食い止められぬと示されてからでなければ彼女たちは動けない。世界がどれだけ絶望的でも政治というものは存在した。希望というものが未来に存在していると人々が確信している限りは。

 5発撃ちきったところで、彼女たちは白兵戦へと移行した。目指す敵戦力は後方のニャルラトホテプ師団である。第2防衛線に近づいていたイドーラ外神猟兵旅団とニャルラトホテプ独立混成連隊は千葉市中心とともに陽電子砲により軒並み蒸発していた。

 戦闘に参加していなかった陸自の輸送ヘリより傘下した彼女たちはニャルラトホテプ師団への逆襲を開始した。じゃきり、とごつい杭を銃身から露出させるとそれをニャルラトホテプへの凶器とした。

 轟音とともに彼女たちは敵へと向けて跳躍した。彼女たちが荒れ果てた市街を駆け抜ける横に無数の爆発が起こった。味方の援護射撃は彼女たちを巻き込んで行われた。しかし、彼女たちがフレンドリーファイアの餌食になることはない。千葉戦闘団と戦術データリンクされた22式眞機名神槍の演算により、千葉戦闘団の射撃管制に合わせてキルゾーンの最中の僅かな安全地帯へと逃げ込むことが出来たからだ。

 爆音が周囲を包み、砕かれた建物の粉塵が白く舞った。乳白色の煙の中から来栖ブランは跳躍した。戦闘力を喪失した敵には目もくれず、さらに後方で襲撃を準備している化物へと襲い掛かった。身の丈よりも長く伸ばした特殊合金の杭を敵の肉体へ突貫させた。串刺しになった化物は生物らしくない悲鳴を上げた。それを気にすることもなく彼女は化物を膂力のみで持ち上げ、敵の集団の方へと投げ飛ばした。

『意外とよく飛ぶものだなあ』

 来栖ブランはすべてが隔絶された世界でそうひとりごちた。眞機名神槍を用いる自我が消滅すると石田アヤカは説明したが、厳密なところそれは使用者と接した人間からの認識でしかない。彼女の自我というものは実際は消えてはいなかった。ただ、それを表出するすべが全て失われているのだった。外界から受けた刺激を認識することは出来る。だから、見えるし、聞こえるし、触れる。けれどそれに対する反応がすべて脳ではなく眞機名神槍にとってかわられるということなのだ。

『他の子たちはどうしているのだろう』

 自らの肉体(支配は既に来栖ブランから離れている)が行う戮殺からはおよそかけ離れた呑気なことを彼女はぼんやりと考えた。彼女は目の前で行われている凄惨な光景を、まるでスクリーンを眺めるような気分で捉えていた。いや、映画なら映画なりに感動しているだろう。映像作品を鑑賞しているときよりも彼女の気分は平坦なものだった。

 来栖ブランがこの千葉での決戦に参加した回数は、最早数えるのを諦める程に増えていた。彼女は一度目に眞機名神槍を受け入れて戦死していらい、同じ時間を何度も繰り返していた。化物共に肉体をずたずたに引き裂かれるか、あとは眞機名神槍が致命的な損傷を負うかして死を迎えて意識を断絶させたとき、彼女は千葉の決戦より数年前のある日に意識が巻き戻る。その日は初めてこの世界に化物が出現した日だった。繰り返す時間の中で彼女は幾度もの戦火を見て、幾度も人が死ぬのを見て、幾度も肉体を侵され、幾度も自らの手を汚し、幾度も死に、幾度も生き返ってきた。彼女にとって死と生は等価値だった。それはある種の生物的な絶対死ですらあった。

 気が付けば戦場に立っている人間は来栖ブラン一人だけだった。他の4人は戦死していた。彼女が時間を繰り返す度に蓄積された経験は眞機名神槍に大なる影響を与えていた。来栖ブランが過去(ある意味では現在、もしくは未来)に経験した内容を元に眞機名神槍は彼女のものだった肉体を動かしていた。彼女が戦場に立つ経験を増やしていく度に、彼女は強くなっていった。

 それでもなお埋めきれぬ彼我の戦力差は依然として存在した。眞機名神槍に肉体の全てを預け、肉体を不自然な元素と融合させて人のものでなくし、幾度もの戦場を経てもなお、その差は埋めきれない。肉体の疲労は限界に近づき、身体を動かすための熱量は枯渇していた。完全に物理的な限界が存在していた。

 肉体の動きがあからさまに悪くなった瞬間、細く追尾性をもった光線が幾筋も彼女の身体を貫いた。悪戦を続ける今回の彼女の戦いはこれで終了した。眞機名神槍こそ損傷していないが、肉体は死に瀕していた。そして、時空以外全てが閉ざされていた彼女の意識もまた死に瀕していた。幾度もの戦闘。幾度もの激痛。幾度もの死亡。幾度もの絶望。それらを重ねるたびに、彼女の心は鈍麻していき、限界を迎えつつあった。

 地に倒れ伏した彼女の耳に荒い足音が聞こえた。こちらへと進軍してくる化物の足取りだった。なにもかもがどうでもよくなった。彼女はやがてくる肉体の死と再生、それらにまつわる悲劇を想像し、一人絶望した。

 しかし、彼女に死と化物が這い寄ってくることはなかった。

 不意のことだった。一筋の衝撃が化物を直撃した。千葉戦闘団の砲撃よりも明らかに強烈なものだった。

 ならば、6人目だろうか、と来栖ブランは首を傾げた。これまでの時間の巻き戻しの中で6人目の眞機名神槍適合者が出現することはなかった。

 戦術データリンクを参照すると、衝撃の発生源と思われるあたりに謎の熱源反応があった。その一帯には膨大な磁界異常と重力異常も発生していた。その異常地帯の中心に少女が一人立っていた。

 やはり6人目なのだろうか、と思った。しかし、視力を強化・補正された視界から捉えた少女の眼には、眞機名神槍に囚われていない人間らしい光があった。何より、彼女が携えている武器は眞機名神槍ではなかった。黄と黒を基調とした三本の柱が根元で平行に固定されている。その根元の反対側には把持出来るような部分が存在し、少女はその部分を握っていた。

 少女は武器の先端を化物共の方向に向けていた。そして、武器の先端がアークのような光を放出したかと思うと、そのまま長く伸びて云った。最初は少女の背丈と同じくらいだった全長が、最終的には三倍以上まで伸びていった。消弧するように先端の発光が止むと、今度は根元が青白く光り出した。

 瞬間、膨大な破壊力が解き放たれた。陽電子砲以上の衝撃が化物の群れに着弾した。そしてそれに対する反動も凄まじかった。あらゆるものが落ち着いてきたときには、着弾点には何者も残っていなかった。

 なんとまあ、とにかく、すごいな、と来栖ブランは素朴にすぎる感想を抱いた。あまりにも状況の落差がひどく、感情が追いついていなかった。寧ろ、笑いたくなってしまうような展開の不自然さがあった。謎の少女はそのまま洋上にいる化物も同様の攻撃で吹き飛ばしてしまった。

 これはレールガンだ、と直感で来栖ブランは確信した。謎の少女が携えている武器に大電流を発生させる機構が存在するようには見えないが、なんとなく彼女はそう思った。もしその直感が正鵠を射ているのならば何もかもが規格外であることは確かだが、なによりも目の前の光景が異常すぎた。今ならばどんな異常もするりと呑み込めるだろうな、と現状に似つかわしくない自己分析を来栖ブランは行った。

 再び重力異常が発生した。唐突な救世の少女はそのまま宙に浮き、どんどん空へと昇っていった。戦術データリンクが示す高度は上昇を続け、やがて大気圏を突破し、宇宙へとその身を晒した。少女はそのまま月の衛星軌道上に乗ると強烈な電磁力で自らを固定させ、レールガンの銃口を地球に向けた。

 強烈な発光とともに銃身は伸びていった。人間が持つ火器としては滑稽に思えるほどの長さになった。そして少女は、まさに神の槍のような一撃を地球へと放った。着弾点は太平洋上南緯47度9分西経126度43分、太平洋到達不能極付近の絶海の海底、ルルイエと呼称される化物どもの巣であった。

 その日、あっけないほど簡単に、化物どもは地球から根絶された。


『とにかくすごい攻撃だ』

 来栖ブランは小学生並みの感想を抱きながら、その一部始終を目視、若しくは戦術データリンクの伝える情報を受け取るかして把握した。

 やがてふよふよと呑気にすら見えるような降下をして、謎の少女は来栖ブランの前へと降り立った。そして銃身を短くしたまま、来栖ブランの肉体に何発も射撃した。その内の数発により、来栖ブランの眞機名神槍は破壊された。

 私を死から救ってくれるのだろうか、と来栖ブランは死を受け入れる心持ちになった。しかし、またもや彼女に死は訪れなかった。確かに眞機名神槍は破壊された。それでもなお彼女は生きていた。寧ろ、肉体は以前とは違う快活さを有していた。彼女の肉体は再び、彼女の支配下へと戻った。

「体が……動く?」

 信じられないようなものを見るような目で、彼女は彼女自身の意志で動く自分の手足を見つめた。

 謎の少女はとくに感慨もなさそうに来栖ブランに背を向けると、最後に一発西の空に向けてレールガンを小さく放った。そして再び異常な磁場と重力が発生したかと思うと突如空間に虚無のような歪みが生じた。その歪みに少女は身を躍らせ、そして消滅した。

 来栖ブランに残されたのは膨大な疑問と精神的空白、そして何度も失いそして取り戻した、人間らしい生だった。



 最後に謎の少女が放った一撃は、和泉リルの身体を貫いていた。一筋の光がリルの身体を貫いたかと思うと、化物に汚染されたすべての部分が焼き切られ病巣は跡形もなく彼女の身体から消滅した。

 千葉決戦から一年。

 全てが元通りとなるにはまだ何年もかかるが、かつてそこに存在した平穏は戻りつつあり、その兆しは誰の目にもわかるほどだった。そしてブランとリルにも日常が戻ってきた。


 最後に謎の少女に破壊された来栖ブランの22式眞機名神槍は、いまもなおブランとリルが住む一つ屋根の下、思い出の品々と並んで大切に保管されているのだという。




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