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南平台の記憶・その7 東急東横店南館と山手線の南改札

前回の記事で、昭和40年代に、渋谷駅周辺にはデパートが三つあり、南平台にあった社宅アパートからアドバルーンが見えていた、ということを書いた。
でも本当にデパートは、もう三つともあったのだろうか。
そこで三店の開業日を調べてみた。

東急東横店 開業日: 昭和9(1934)年11月1日
東急本店  開業日: 昭和42(1967)年11月1日
西武渋谷店 開業日:昭和43(1968)年4月19日

ということで、わたしが渋谷で物心ついた時には、三店とも出揃っていた。

渋谷駅周辺の変遷については、昨今の再開発にともない、多くの人が写真や記事をウェブに載せてくれているので知りたいことがある時に大いに助かる。
中でも「シブヤ経済新聞」、そして「渋谷文化プロジェクト」の記事から多くのことを知ることができた。

たとえば東急東横店の歴史については、

に詳しい。

東急東横店も、わたしが渋谷に引っ越した昭和41年の時点では、南館はまだできていなかったということを知った。
南館とは、かつての東急プラザと向かい合った部分、ピアノの鍵盤のようなデザインの壁面を持つ建物部分のことだ。南館のオープンは昭和45年というから、大阪万博の年、わたしが幼稚園の年長組の時だったらしい。

ということは、南館の一階にあった山手線の南改札は、それ以前にはなかったのだろうか、という疑問が湧いてきた。
いろいろ探してみたところ、田村圭介さんとおっしゃる方の論考「渋谷駅の形態の変遷」の中に、以下のような記述を見つけた。

https://core.ac.uk/download/pdf/268266349.pdf
【1964年オリンピックに合わせて山手線のプラットフォ ームの拡張とともに南口が完成する。東横線の南口も同時期に出来上がる。南口の上空には首都高速道路が高架となって完成する。また,大山街道を利用し渋谷駅から新しく 六本木へと道路が建設され 246号と名付けられる。】


また下に貼ったリンクの、渋谷駅の歴史を扱った論考の中にも、

【1963(昭和38)年:渋谷駅西口本屋竣工 写真Lの 印 で、鉄筋コンクリート2階建て
1964(昭和39)年4月:東横線ホームが4面となる
ホームはカマボコ型の屋根で覆われた。
1964(昭和39)年10月:首都高速3号渋谷線 暫定部分開業
山手線の上を越す 渋谷4丁目~道玄坂間が最初に開業した。】

とあった。

どうやら、山手線の南改札と東横線のカマボコ駅舎は、昭和39(1964)年のオリンピックを目途に整備され、国鉄部分には、昭和38(1963)年に鉄筋コンクリート二階建の駅舎ができたようだ。

その南改札のある駅舎はどんな感じだったのだろう。

わたしが、社宅のある南平台から渋谷駅に向かい山手線に乗る時には、西口から入りその南改札を使っていたはずだ。でも、その駅舎を思い出すことがまったくできない。

渋谷の古い写真を丹念に探せば、きっとどこかに残っているだろうが、ざっとウェブで探しても見つけることができなかった。またしても「渋谷文化プロジェクト」の下の記事にも、渋谷駅横の高速道路完成間近の写真が一枚出ていて、これを90度回転させたところに、古い駅舎があるはずなのだが・・・。


でも、いいものを思い出した。
2015年に東急プラザが閉店する時のサヨナラ展に出ていた、1964年の渋谷駅周辺を再現したジオラマだ。あの時写真を10枚くらい撮影させてもらったが、その一枚に、南館ができる前の、低い駅舎が写っているのを発見!

写真手前が西口で、入って右手に南改札があったはずだ。鉄筋コンクリート二階建の駅舎はこんな感じだったらしい

このジオラマは、反対側の渋谷駅東口の様子を再現するのが主眼だったようで、東急東横店の西館も途中で切れた状態だが、もう一枚の写真に、なんとアドバルーンまでが再現されているのが写っていたので、トップの写真に載せておきました。

これが本当だとすると、東横店だけで二つのアドバルーンを揚げていたようだ!






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