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“立ち向かわない勇気。”

結構立ち向かってきたと思うんよ 私。(冒頭からいきなりなんなん って話ですが)

よく、「自分よりも力の弱いヤツに攻撃してないで、強いヤツに立ち向かっていけよ」って言う人がいるけど、私は私よりも強い人(『強い』の解釈はありますけど)に立ち向かってきたと思うのよ。

仕事でも下っ端に文句言うんじゃなくて、上司とかトップに不満をぶつけにいかなきゃ。改善するなら元を絶たなきゃでしょ って思ったり。
政治の不満でもテレビに向かって文句言ってるんじゃなくて、じゃあ直接やれよ とかね。


苦手なこととか、苦手なものについても、挑戦が必要だともいうから、敢えてやったことのない無謀なものとか、欲しいものの為に必要だと言うのなら苦難に飛び込んでいけ とかね。


欲しいものがあるのなら、得たい立場/環境があるのなら、そこにぶつかっていけ! 立ち向かっていけ! って。

思ってた。

なんだかね。 

勝ちに行かなきゃ とか 価値をつけなきゃ とか。必死。

でさ、

今まで “強い人” の “大きな声” とかに気圧されてきたから 戦闘モードに入ってさ。守る為の戦いかもしれないけど。

声の大きい人、力の強い人、徒党を組んで集団で攻めてくるように感じてしまって。

そういう対人じゃなくても、普通にやってても今までうまくいかないことがあったりしたから、うまくいってたとしても身構えてしまって、「こんなんでいいのかな」とか思ったりしてさ。

ルサンチマン的な?

負けてる意識が染み込んでるというか、劣等感もずっと抱えてるし。

私は落伍者だから 頑張って勝ち(価値)取りに行かなきゃ って。

勝手に仮想敵を作って 挑みに掛かることばかり考えてたわね。


疲れたわね。

いつも私は何か悪い、だから攻められるんだ だから責められるんだ とか考えてしまってたからさ。


(ここまでが 6月6日に書いてた下書きの残りです。)

(記事のヘッダーの画像を 差し替えました。)

(ここから文脈がまた変わります。)


色んな人から言われる、善意ある言葉も悪意ある言葉もマトモに受け取ってしまうんですよ。
相手さんは ただ話したいだけだったりするかもしれないんですけど、それを私が勝手に重く受け止めてしまったりして。
重く っていうか、なんか反応してしまうんでしょうね。
ただでさえ自罰的というか自責が強いからなのか。
本当に私に関係のないことであっても勝手に傷付いてしまう感じで。

相手さんはただ話してるだけなのにね。
攻撃的な意図を含んでる場合は尚更、心に刺さってしまうんだけど。
でも、それをかわしていきたい。

仮に 悪意みたいな、攻撃的な意図がある場合でも、それを受け止めずに カウンターせずに。
ま、露骨な攻撃なら明確に対抗しないといけないのかな… って書きながらちょっと思ったとこだけど。

けど、立ち向かっても疲れるし、
言ってくるほうが どういった意図を込めて言ってくるかなんて分からないし。
や、言ってきた言葉の意図とかを推察しようと思えば出来るんだけど、不毛というか、意図を読んだことで相手さんに真っ向から構えられるのもしんどいからね。

『柳に風と受け流す』って感じですかね。
理想は。

「人の言うことをちゃんと聞かなきゃ」って どうしても思ってしまいがちなところがあるのでね。
だからこそ、人の話を聞いてて、『コイツなに言ってんだ…?』って思ってしまうときにも真っ直ぐにキャッチしなきゃとか思ってしまうから。


勇気を持ってね、相手の言動を受け止めようとグッと私が構えることによって、相手さんも力が入ってしまうこともあるかもしれないし。
それによって私が痛い思いして我慢してキャッチするとツラいもの。


どんどん流していこう。
柔よく剛を制すじゃないけど、重いものがきてもサラッと、ふわっと。




時として、立ち向かった方がいいこともあるんだろうけど、
今は、私の場合は どんどん流していく。
感情を流していこう。

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