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崖を登る途中自分の存在の仕方を考える

ロッククライミングでは、崖の上から命綱を垂らす為、大きく迂回し回り込んで登り、そこにロープをくくりつけて崖を降りるのだが、この時コレから登る為のしゅみれ?シィミュレーションをする。
途中で止まって、その場所の景色、匂い、岩の状態、全てを感じながら〈この場所で自分が存在するにはどうすればいいのか、どのように身体を動かせば良いか〉を考えていると、結局はその心を岩に溶かすようなイメージになる。

どんな存在の仕方が自然なのか、場所ごとに違っていて、場所ごとのもっとも簡単で自然な動きと筋肉と精神状態が何なのか、全部の神経で探り当てる遊びなのだ。
コレがとても面白い。

さらにその嬉しい副産物がある。
〈自然と同化するというか、自分が自然で出来ている〉感が味わえるようになった。

ただのイメージトレーニングではなく実際に体験する事が出来る。

一つの岩に手をかける時、一番自然で理想的な精神状態は〈今を感じる〉こと。高所から落ちるかも知れない恐怖やその先のルートの確認など、少し先の未来を考えるのは少しの方がいい。一番自然で理想的な肉体の状態は、重力と風と岩の形と表面のコケとその山のどの場所にある崖のどの辺の位置にどの角度でぶら下がっているか…を五感で100%感じる事ができる状態だ。それらの条件を100%で出来ている時、オレの振動の一部が自然物の振動と同じになっているのだとわかる時がある。(量子力学のヒモ理論のやつ)
そしてオレと自然が同じ〈振動〉で出来ている事を再確認するたびに「あーぎもちー」となる。

そういう意味でロッククライミングは自然と同化する為のスポーツだとも言える。
きっとサーフィンとかもそうなのだと思う。
個人競技ってことか?
スキューバも近いけど、バディ制だから完全に個人っぽくないよな。

ともあれ、同化は楽しいって事だ。

ん?相手が人ならどうなるのだろう?

ん〜〜、やっぱり人と会うと、会った瞬間から〈同化〉は始まるんだろうなぁ。
久しぶりに帰省して親友と再会したら、すっかり離れた振動域が、顔を見たり会話しながら少しずつ距離をつめ同化していくのだろう。そういう仕組みな気がする。
それがあんまり離れすぎると、〈自然と合わなくなる友人〉とかになるんだろうなぁ。そんな気がする。

オレがウツっぽい振動域にいた時、家族が離れていったのもそういう事だ…と、ちょっとエリを正してみた。


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