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自分の時間を生きることって

先月、参加した二日間の講習会に、若い書評ライターの方が参加していて、彼から佐宗邦威さんの書いた『じぶん時間を生きる』という本を紹介され、早速買って読んでみました。

ちなみにこの書評ライターさんは高橋一彰さんといって、現在34歳でフルタイムの会社員のかたわら、毎日1冊の本の書評を書いてSNSで紹介している凄い方です。

8月末で連続1,111日目となり、現在も継続中という、大杉潤さんの若手版とでもいえるのでしょうか。

こういう方と偶然出会えるので、他流試合は面白い。

さて、著者の佐宗邦威さんと言えば、昨年、『直感と論理をつなぐ思考法』という佐宗さんが書いた本を読んだばかりで、超多忙な人だと勝手に理解していました。

本の出だしに書かれていたことを要約すると以下のような内容でした。

著者はずっと、「時間は効率的に使うべきだ」と信じて生きてきて、限られた時間の中で最大限のアウトプットを出すために、ひたすら仕事の「生産性」をあげてきた。そのために、SNS、Google、Calendar、Slack・・・デジタルツールをフル活用して、時間効率をどんどん高めていけば、生産性が上がって余白の時間が増えて、豊かな人生が遅れるはずだと信じてきた。

でも、結果はというと、時間を効率的に使おうとすればするほど仕事が増え、「時間が無くなっていく」という矛盾に陥った。そして気が付いたことは、そうしたデジタルツールに支配されている自分、そしてその時間感覚は他人が起点の「他人時間」に振り回されている自分だったということ。

著者はこの気づきから、もはや「他人時間」の中を生きていくのはやめて「自分時間」に時間間隔を切り替え、住居を軽井沢へと移し東京との2拠点生活を始めているといいます。

詳しくはお読みいただくとわかるのですが、この本を読んで私は、かつてどこかで聞いた、ある逸話を思い出しました。

アメリカの超大手のコンサル会社で働く、年収100万ドル越えのエリートビジネスマンが、夏に3週間のバカンスをとって南の海に浮かぶ小さな島でゆっくり過ごすことにしたそうです。

彼が海のそばのコテージで本を読んでいると、現地の住民とおぼしき男の人が、毎朝同じ時間に船を出しているのに気づきました。

よく観察してみると、毎朝船を出し、正午前には戻ってきて、その人った魚を入れたボックスをもって帰っていくようでした。

彼はコンサルという職業柄、とても興味をもって、ある朝その男に声を掛けました。


彼「毎朝、船を出して魚を取っているようだけど、どんな暮らしをしているんだい?」

男「ああ、子供たちを学校に送ったらここに来て船を出し、その日食べる分の魚をとって、子供たちの学校が終わるまでに帰って、あとは夕方まで一緒に遊んですごしているんだ」

彼「魚は毎日とれるのかい?」

男「ああ、この海には魚はたくさんいるよ」

彼「だったら、もっと多くの魚をとればいいじゃないか」

男「そんなにとったって我々家族で食べきれやしないさ」

彼「家族で食べきれないなら、市場に持って行って売ればいい」

男「この小舟じゃ、売るほどの魚は積めないよ」

彼「だったら、どこかで資金を調達してもっと大きな船を手に入れるんだ。そして、会社を作って多くの人を雇い、たくさんの魚をとって市場で売ったら、かなり大きなお金が手に入るよ」

男「そんなことをして、どうなるっていうんだい?」

彼「そうしたら、あとは会社は人に任せてさ、君は毎日のんびり船を出してその日食べる分の魚だけとったら、昼からは子供たちとゆっくり遊んで暮らせるようになるよ」


この話しは私たちに、毎日へとへとになるまで働くことの本質を教えてくれるとともに、誰にも公平に与えられた24時間という1日の時間を、自分の時間として使っているのだろうかという自問とを与えてくれています。

私たちは日々の仕事の中で、自分の意志で自分の目標達成や充実感を得るため、あるいは自己実現のために「じぶん時間」をどれほど持っているでしょうか?

とても多くのことが「他人起点」によって動かされていないでしょうか?

他人が配属する、他人が仕事を決める、他人が評価する、他人からのメールに翻弄される、他人がスケジュールを決める、他人が作った映像を見る・・

もちろんそれらすべてを否定するわけではありません。

でも、全部に真面目に対応していたら、自分のやりたいことに没頭できません。

私は、積読本の読破のために、毎朝6時からの90分間を読書の時間に充てることを決め、そのために習慣となっていた朝のテレビ視聴を止めました。

テレビ映像はほぼすべてが「他人の過去の報告」です。

中には有益な情報もありますが、基本的には他人が作って流しているものを見ているだけのもので、他人起点の「他人時間」によって、「じぶん時間」を妨害されているだけかもしれません。

ドラッカーは「経営者の条件」(ダイヤモンド社)のなかでこう言っています。

「する必要の全くない仕事、何の成果も生まない時間の浪費である仕事を見つけ、捨てることだ。(中略)忙しい人たちがやめても問題のないことをいかに多くしているかは驚くほどである。(中略)なすべきことは自分自身、自らの組織、他の組織に何ら貢献しない仕事に対してはノーということである。」

私も社長時代、全く無意味だと認識していた会合での頼まれスピーチ、業界団体の懇親会、委員会、ただ報告を聞くだけの会議・・・などなど。

なくても何の問題のない、他人が作った事柄によって多くのじぶん時間を妨げられてきました。

他人起点の時間の使い方から、自分起点の時間の使い方にトランジションできたら、今とは違った世界が見えてくるかもしれませんね。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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