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未来のスタンダードをどうつくる? - ぼくらが東北スタンダードを名乗る理由

2020年。東日本大震災から10年が経とうとしている今、この先の未来がまた見えなくなってきています。

あの時”の東北も同じ状況でした。これまでにあった価値観が崩れ、誰もが「未来はどうなっていくのか」を考えていた2011年。

私たちは東北6県の工芸・クラフト・地域食品を扱うお店「東北スタンダードマーケット」と申します。

2010年に「東北STANDARD」プロジェクトを立ち上げ、まだ今ほどSNSやWEBメディアが発達していなかった時代からずっと、東北の工芸家の方や郷土芸能を取材して発信してきました。

こけし・赤べこ・鹿踊・イタコなど、取材をさせていただいた18つの文化・風習は、どれもその土地に根付いたスタンダードです。

それらはここ10年といった時間軸ではなく100年、1000年と、とても長い年月をかけてスタンダードとなった文化ばかり。

それだけ長く定着してきた文化を、支えていたのは誰でしょう。それらが生まれたきっかけはなんだったのでしょう。

私たちが見聞きしてきた東北のスタンダードは、もしかしたら、今改めて見直すべきものではないかと考え、初めてnoteに投稿させていただきます。

ここで一つ具体的なエピソードとして、宮城県仙台市の「松川だるま」の物語をお話をさせてください。


災いから起きあがるだるまのはなし

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仙台のだるまは表が青く、あらかじめ両眼が入っています。「松川だるま」と呼ばれ、その発祥は今から200年以上前の江戸時代。今でも仙台市内の神社に納められる松川だるまを作りはじめたのは、実は伊達家の武士でした。

当時の東北は大雨によって洪水が巻き起こり、田畑は荒れ果てる「天保の大飢饉(てんぽうのだいききん)」に苦しんでいました(飢饉:災害によって食料不足になること)。そこで武士たちは刀を捨て、人々を勇気づけるためにと「松川だるま」を作りはじめたといいます。

松川だるまは転んでも起きあがる縁起物で「復興」の願いが込められています。伊達政宗が独眼だったために、”四方を見渡す”ように力強い両眼が入れられ、家内安全のご利益がつきました。さらには、三陸の海から宝船に乗って七福神がやってくるよう、表には海の絵が付け足され招福のご利益も祈願されています。

だるま様のおかげもあってか、伊達藩は復興し栄えていきました。人々は「七転び八起き」で運気が上がるように、毎年神棚に8体のだるま様をまつり、年に一度「どんと祭」でお焚き上げをして感謝の気持ちを込めました。

現代になって、だるま様を8体も置ける神棚を持つ家庭は減っていき、松川だるまの需要は徐々に減っていきました。経済的に豊かになるにつれ、祈りの対象であるだるまと人々の距離は離れていったのかもしれません。

しかし2011年、東日本大震災が起こります

震災の翌日、松川だるまの工房に一人の男性が訪ねてきました。男性は泥だらけの大きな風呂敷を抱えて、涙ながらにこう話しました。

「だるま様を直してくれないか。そうでないと、私の気持ちも起き上がれない」

男性は津波の被害が大きかった宮城県の女川町から駆けつけたそうです。職人は驚きましたが、こんな時だからこそ松川だるまが必要なのではと思い、その日から毎日、工房を開けてだるまを作り続けたそうです。

すると不思議と、松川だるまを買い求める人々はどんどん増えていきました。東日本大震災の直後、食料も少なく、気持ちが収まらない中で、自然と人々が「祈り」を思い出した瞬間でした。松川だるま200年の時間を越えて、仙台のスタンダードになったのです。

震災当時、神棚の上で揺れに耐えながら家内を見守るだるま様は、何を想っていたのでしょうか-。

*このお話は、松川だるまの伝統を受け継ぐ、宮城県仙台市の「本郷だるま屋」さんからお聞きしたエピソードです。


"スタンダード"が持つ、本当の意味

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このエピソードから私たちが感じたこと。それは「スタンダードは、はじめからスタンダードだったわけではない」ということです。

「なす術がない」「祈るしかない」。そんなピンチの時に、ひれ伏すのではなくグッと立ち上がる勢い。それに共感する人々が合わさって、気がついたらスタンダードになっている。スタンダードとは、その過程を表す言葉なのかもしれません

武士が刀を置いてだるまを作ったエピソードには、本職を捨ててまで人々のお役に立とうとする強い覚悟が表れています。今の時代に置き換えれば、本業を止めてまでマスクを縫製している会社と同じくらい、意義があることではないでしょうか。

スタンダードになる芽が生まれる瞬間は、人々が切実に願いを込める瞬間なのです

だるま様のエピソードに加えて、「スタンダード」の語源からこの言葉を紐解いてみましょう。

スタンダードを日本語に訳すと、多くの人が「標準」や「定番」などの言葉を当てはめます。しかし、実は違います。

スタンド/Stand=立ち上がる」と「ハード/Hard=確固になる」が合わさった「確立する」という言葉が本来の意味であることは、あまり知られていません。

スタンダードは「世界標準」的な大きなものではなく、むしろ「今自分に何ができるか・今自分が何を支援できるか」という小さな勇気と捉えることもできます。

この考え方を胸に、私たちは伝統的に続いてきた東北スタンダードはもちろん、新たに生まれ、100年後に残したい東北スタンダードも発信していこうと決めました。その想いから、実店舗をオープンしたのは2016年のことです。

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内装は、東日本大震災をきっかけに生まれた「石巻工房」さんに手がけていただきました。被災直後に最低限の木材と道具で作れる家具工房として誕生した石巻工房さんは、私たちが100年後に残したいスタンダードの一つです。

これから先、昨年の大雨被害にあった地域から生まれるプロジェクトや、この緊急事態宣言の中で、勇気を持って立ち上がるプロジェクトが東北各地から出てくることでしょう。

それらは、未来のスタンダードとなる芽。

文化の芽を育てていくこと、守っていくこと。それには多くの時間と労力が必要になります。そのひとつの柱となれるように、これまでとこれからの東北の魅力をぎゅっと詰め込んだ、市場のようなお店を目指して、東北の文化を発信を続けていくことが、私たちのモットーです。


そして今、残したい未来のために動き出します。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

本来は、ここまでを私たちのお店の紹介記事とする予定でした。

しかし、「東北三大祭り」と呼ばれる青森ねぶた・仙台七夕まつり・竿燈まつり(秋田)をはじめ数々の東北の観光行事が中止になり、本来であれば今年たくさんの人々に渡るはずだった品々の行き場がなくなってしまい、脈々と根付いてきた東北スタンダードが、いま急速に失われようとしています。

伝統工芸や地域食品の多くは、職人さんがお一人で、あるいは家族経営など、ごく小規模で続いてきています。中には非常に手間がかかり、年に1000個程度しか制作できないものもあります。

職人の皆さんは、そういったものをお祭り・観光・物産展などのイベントで、対面販売してきました。しかしそれができないということは、そもそも後継者問題を抱えているこの業界にとって、致命的なことなのです

この文章を書いている4月22日現在、東北スタンダードマーケットの実店舗も臨時休業となってしまいました。

そこで今、未来のスタンダードを残すべく、私たちが立ち上がります

東北スタンダードマーケットオンラインショップで、東北の作り手の皆さんの商品の予約販売をするプロジェクト「#tohokuru / トホクル」。

あなたのおうちに、東北が来る」をコンセプトに立ち上げた #tohokuru は、期間限定で東北の作り手の品々を掲載し、予約注文を受け付ける「オンライン上の催事」です!

第一弾は4月27日〜5月10日まで全国から予約注文を受け付け、5月15日以降、約1ヶ月以内に皆さまの元へお届けいたします。

4月23日現在、78の東北の作り手が参加し、380品目の商品が掲載されています。

東北STANDARD発足からこれまで10年間をかけて、気がつけばのべ300社以上の作り手の品々をご紹介してきました。

たくさん想いがこもった品々を眠らせたままお店をクローズしているのは心苦しいですし、これから実店舗がどうなるかの見通しを立てられないのが実情です。

これまでは「東北のスタンダードを支えよう」をモットーに運営をしてきました。

しかし、実店舗が営業できない今回ばかりは、その支える力にも限界があります。立ち上がった #tohokuru を、確かなものにして、未来に繋げていきたいです。

このプロジェクトが良いなと思ったら、ぜひシェアしていただけますと幸いです。(もちろん、ただ支援をいただくという形ではなく、ぜひ暮らしに取り入れていただきたい良い品を、自信をもって掲載しています…!こんな時だからこそ、暮らしをあたたかくする東北の品々をお手に取っていただきたいです)

ご注文いただいた商品は私たちが心を込めて梱包・発送いたします。

東北に観光に来られなくなった今、東北の品々が全国に旅立ちます!


モノが語り、つないでいく。

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最後に、東北スタンダードマーケットを運営している私たちの会社のことについてご紹介させてください。

東北スタンダードマーケットは、青森県八戸市の「株式会社金入(カネイリ)」が運営しています。

カネイリは300年ほど前に八戸市(当時南部藩)の魚屋さんとして始まりました。創始者・金入福太郎の苗字がそのまま社名となり、1947年に会社化しました。

戦後、魚屋さんから文房具屋さんに転身。経済が発展していく中で文化活動を支えるために、八戸商店街の一角で”街の本屋さん・文房具屋さん”として70年に渡りお店を営んできました。

本を売ることは、物語をつなぐこと。

文具を売ることは、物語をつくるお手伝いをすること。

地域にひとつ書店があることで、街の文化度は少しだけ高くなります。

70年のカネイリの歴史の中で、2011年、東北の人々にとって忘れられない出来事が起こりました。東北に根付く数々の文化が消えゆくのを見るうちに、次の世代に繋げなければいけない物語が、すぐそばにあることに気付きました。

それは、東北で作られた工芸品、食品、郷土芸能、風習など、私たちにとってはごく当たり前で、だけど尊い文化でした。

例えば、私たちの本社での公用語はバリバリの南部弁です。全国的に”ポピュラー”なのは標準語ですが、八戸市民にとっては南部弁が”スタンダード”。

震災以降、ローカルなスタンダードにこそ、日本に限らず世界の人々に、新鮮な感覚をもたらす可能性を潜めていると感じ始めました。

2010年、東北の文化を取材・発信する「東北STANDARD」を発足。東北の職人さんを取材する中で、「東北のモノに込められた、モノがたりを伝えるお店を作れないか」と考えるようになりました。

東京ミッドタウンでの復興デザインマルシェの開催、せんだいメディアテークへの出店などの機会を経て、2016年に仙台パルコ2に「東北スタンダードマーケット」を出店しました。

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ここで少しお店のつくりについてお話をさせていただくと、通常、お店を開くことになったら、数百種類の商品をカタログ化している「卸商社」さんから仕入れるのが一般的です。

例えば300品目を取り揃えたお店を作るのであれば、30品目をカタログ化している商社10社と契約すれば成立します。

しかし、私たちが注文をしている作り手の方々は、お一人やご家族で制作している場合がほとんどです。つまり300品目を取り揃えるのに、300人の作り手にご連絡をして、一個一個注文していく方法をとっています。

これには相当の手間や時間がかかります。いまだに創始者の金入福太郎と同じ、魚屋さんのようなスタイルで営業しています。しかし裏を返すと、お一人お一人の作り手の顔が浮かびますし、今回の事態で皆さん本当に苦労していることと感じています。

#tohokuru のプロジェクトは、1週間前に作り手さんから「催事販売ができなくなって困っている」というお声をいただき発案しました。その日中に思い立って「こういうプロジェクトを考えています」という趣旨だけのメールをお取引先の作り手の皆さんに送りました。

すると翌日には50件のお返事をいただき、急ピッチでプロジェクトを立ち上げました

今まで実店舗で行ったイベントでも、これほど多くの品々を一度にご紹介できたことはありません。場所の制約がある以上、リアルな店舗では実現できなかった規模です。

本に例えるならば、これまでは最大でも300ページの本しか作れませんでした。

しかしインターネットを通じて、300人の作り手の皆さんが、もし10ページ分ずつ寄稿してくださったら、それは3000ページの大作になります。

書店から創業した会社として、モノを通じてモノがたりをお届けできたら幸いです

#tohokuru について、詳しくは下の記事をご覧ください。商品ページには一つ一つに作り手からのメッセージが掲載されています。noteの「ストア」ページからも商品をご覧いただけます。

株式会社金入を、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

[ 東北スタンダードマーケット ]
Instagram:@tohoku_standard_market
https://www.instagram.com/tohoku_standard_market/
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Twitter:@TOHOKU_MARKET
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あとがき:この記事は株式会社金入の岩井が執筆させていただきました。もしお問い合わせがございましたら、こちらまでお願いいたします。
メール:wholesale@kaneiri.co.jp
お電話:022-220-0179 (株式会社金入 仙台事務所)
*リモートワーク中につき、メールでのご連絡の方がスムーズです

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