「悪者を消す」ことで得る自己肯定感の危うさ

こういうツイートは伸びないとわかってはいるんだけど(笑

4人の教師が同僚教師をいじめていた事件について、世論の反応はとても厳しく。

「いじめじゃない。傷害事件だ」
「絶対に許されるべきじゃない」
「厳罰に処されるべきだ」

等々。多くの批判的な声がネット上に飛んでいた。
ある意味当然だと思う。あまりにひどい事件だし、被害者の方には本当に同乗する。
加害者は法で相応に裁かれるだろう。
罪を憎む気持ちはもちろん私にもある。

でも、ネットでの反応を見ていると、だんだんと違う感情が見えてくることがある。

それは、加害者を憎む気持ちでも被害者を憐れむ気持ちでもない。

「悪い人」を強く罰する、存在を社会から抹消する、そういう類の気持ちを表し、自分が望む結果を得たときに「自分の意見は正しかった」となって気持ちよくなりたい、というものだ。

これは、ネット上では本当にたくさんある。

例えば先日、タレントの木下優樹菜さんが、自身のお姉さんが務めていたタピオカ店のオーナーに恫喝メールを送ったというニュースが流れた。
ネットでは木下さんを非難する声が溢れた。

「2度とTVに出るな」
「旦那ともども消えてほしい」

等々。
併せて、ディズニーランドで木下さんが言ったという暴言までSNSで流れ、さらに非難は増える。

でも考えてみてほしい。
私たちはタピオカ店のオーナーとのやりとりをほんの一部しか知らないし、ディズニーの件の真偽もしらない。
仮に木下さんに暴言があったとしても、自分が言われたわけでもない。
TVから消えろと言わなくても、そもそも超人気タレントとかでもあるまいし、毎日のようにTVに出まくってるわけでもない。
旦那なんて事件に何の関係もない(苦笑

つまり、実は私たち一般市民は話の真偽もしらなければ、およそ何の実害もない。せいぜい気分悪いね、くらいのもので、そんなのは日々いくらでもある。
それでも「悪い奴だ」という感情を多くの人で共有できて、それで「攻撃してもいい」という免罪符を得たと思ってしまうと、多くの人が喜んで攻撃する。
そして実際にTVで見なくなれば、自分の主張が正しかったと証明されることになる(気がする)。
だから、消えろ消えろと攻撃する。

スポーツ選手もかなりひどく言われやすい。
何を悪いことをしたわけでもない。プレステのゲームよろしく、自分の思い通りのプレイをして結果を出せないだけで「二度と日本代表に呼ぶな」とか「ニュースで流す価値はない」とか言われたり、ひどくなると人格まで否定されたりもする。
日本代表に呼ばれなくなったり、ニュースが減ったりすれば、自分の主張が正しかったと証明されることになる(気がする)。

とにかく、悪者認定した相手を「消す」ことで自分が正しかったと思おうとする。
この行為は、ネットに溢れるほどある。


この行為の怖いところは、相手が「本当に悪い人」である必要はないこと。

そもそも人に良いも悪いもない。

誰だって良いことも悪いこともするからね。
「この悪人め!!」と憤る人も何かしら悪いことをしていることはいくらでもあるのが人だ。

にも拘らず、なにか「悪い」と決めやすい事、多くの人とその感情を共有しやすい事があると、その人自体を悪い人にする流れは一気に加速する。
その人を悪い人にしてしまえば、それに対して自分が何を言っても許される。みんなで攻撃してもそれは正当だ。
そんな思いが攻撃の口を軽くする。

当たり前だけど、こんなことをどれだけ繰り返しても、悪い事は減らない。


悪いことをなるべく減らしていくために必要なのは、

「厳罰に処せ」
「二度とTVに出すな」
「日本代表に呼ぶな」

と、自分が消したいものを消そうとすることじゃない。消えたら喜ぶことでもない。
そんなことで悪い行いは消えないし、むしろその行為こそが危うい。

刑罰を無くせといってるわけではない。
あるものが法に則ってきちんと施行されればいい。
多くの人が、罰せ罰せ、消えろ消えろと言うことで、誰かが幸せになることはない。

このnoteにも書いたけど、例えばマスコミの行き過ぎた取材や姿勢には、市民は一斉に批判の声をあげる。

でも、自分の隣で何か事件があったときに、真っ先にスマホのカメラを向けるのは市民だ。

自分はしない、じゃない。
誰だってしている。スマホのカメラじゃなくて噂話かもしれないし、やじうまかもしれない。
誰だってついやってしまう。
だからマスコミは、そういう報道が「結局需要がある」と判断して、行き過ぎた取材や報道を行う。
マスコミは、自分たちが作っている社会を写す鏡だよ。


もう一度書くけど、誰だって悪いことはするんだよ

だからこそ、ものすごく強い思いじゃなくても、少しでも、本当の心のところで、悪いことが減ればいいなって。嫌な事件が減ればいいなって。そういう気持ちがあるなら(これも誰にでもある善い心だと思う)、

自分こそが悪いことをしないようにする

ところからやっていくのが一番大切だよ。
自分はしていない、ではなくて、自分がしていることこそを見つめて、理性をもって、ひとつでも減らす。
そうやって社会をほんの少しずつ良く保つんだよ。

勿論だけど、自戒を込めて。

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