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どこかへ 2005年5月のモスクワ、サンクトペテルスブルク

ロシアによるウクライナへの侵攻も2年を超えて続いており、この状況でロシアの思い出など書くのは気が引けるんですが、ロシアには知人もいてロシアの人みんなが悪いわけではないことも理解しています。
少しモヤモヤする気持ちを感じつつ、19年前にロシアに行った記録を綴ってみようと思います。この時はコンタックスT3にネガカラーフィルムを詰めていきました。

成田からアエロフロートSU582でモスクワに移動、機内では和食に似た料理が出されました。浅いスープ皿にうどんに似た麺が入っていて、皿の中のスープは機内の揺れとともにその辺に飛び散りました。なぜかアエロフロートはよく揺れる印象があります。日本人に対するサービスのつもりなのかもしれませんが、普通のものを出してくれたらよかったのに、と思いました。味は一口しか食べられないようなものでした。デザートは普通で、とても甘かった記憶はありますが、普通でした。窓の外には森と畑に囲まれた街が見えました。

モスクワ到着前、小さな家は整然と点在している
モスクワ シェレメチェボ空港

空港を出ると、新しい道の両側にショッピングセンターが並んでました。アパートはどれも似たようなデザインですが、ショッピングセンターは店ごとの独自性が出ているようで、大きなIKEAも見えました。カジノもできていたようです。

空港からモスクワ市街に向かう車窓から
空港からモスクワ市街に向かう車窓から
Hotel Proton 室内

Protonというホテルに宿泊し、翌朝に赤の広場の辺りを少し観光してから事務所で講演しました。市内にはマクドナルドもありました。
その後、夕方の便でサンクトペテルスブルクに移動しました。電車でも移動できる距離だと思いますが、その直前に電車の爆発事故があって、やっぱり飛行機での移動になりました。

モスクワ市街
赤の広場

サンクトペテルスブルクのホテルは、SPB Vergazというところ、今でも残っているようです。遅めの夕食はホテル近くのActorsという店で。これはどうも無くなっているようで、探せませんでした。

Hotel SPB Vergaz 室内、窓からの眺め

サンクトペテルスブルクでは大学の中を通って移動し、パブロフ研を訪問しました。大学の中で建物の壁にあの周期律表を見つけました。あのメンデレーエフの元素の周期律票です。その初期のバージョンが建物の壁に大きく描かれていて、化学が好きな僕としては、ちょっと感動しました。メンデレーエフはここサンクトペテルスブルク大学の教授だったんですね。
パブロフ研は、あのパブロフの犬、ベルを鳴らすと条件反射でヨダレを出すという、あの研究をしたパブロフ博士の名前を冠した研究所です。動物実験が得意です。市内にある事務所と郊外にある研究所を訪問しました。あのヨダレを出した犬はシェパードらしいです。当時から軍用犬の飼育と兼ねて犬を実験に使っていたらしく、ビーグルじゃなくてシェパードなんですね。大きな犬で、少し怖かったです。

市内のパブロフ研
郊外のパブロフ研

見学の後、パブロフ研の人たちとSadovaya通りにある「東方のパリ」というレストランで食事しました。フランス料理だったように覚えていますが、自信はありません。そこでロシア人はフランス人を尊敬していて、インド人とは仲が良く、日本人には程々の親近感を持っていると聞かされました。中国や韓国の人たちの印象はよくなかったようです。

サンクトペテルスブルクと言えばエルミタージュ美術館です。ぜひ行きたかったんですが、現地の人から「見るには三日は必要だから、次にしたら」と駆け足でサンクトペテルスブルクを訪れた僕たちの慌ただしさを嗜めるように言われました。1時間だけでも、と思いましたが、そんな規模感じゃないようです。その次の機会はまだ訪れていないんですが。

サンクトペテルスブルクからSU842、そのままモスクワで乗り継いでSU575で帰国しました。帰りの便の食事は普通で、大丈夫でした。モスクワ発の便では日本の食材が使えなかったんでしょうね。それでよかった。

SU575 機内食

この時、お土産にキャビアを買ってきました。当時も高価なものだと思いましたが、一つだけ買って帰って家族で食べました。写っているグラスは2001年にサンディエゴに行った時のお土産ですね。
この写真だけは、SONY Cybershot T3で撮ったものです。

ロシアで買ってきたキャビア


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