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手帳に書き留めてきたことや写真のネガやデジタルデータに残してきた記憶のようなものを、こ…

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手帳に書き留めてきたことや写真のネガやデジタルデータに残してきた記憶のようなものを、この辺で一度整理して自分自身が何かに気がついたり、誰かが何かを思いついたりするきっかけのようなものを創れたらなあ、と思い書き始めます。

最近の記事

どこかへ 2008年6月のインド

この時に初めてインドに行きました。 インドの南部カルナタカ州にマイソール(Mysuru)という古くからの街があり、そこに食品の研究所があります。 マイソールは少し不便なところで、当時はバンガロール(Bengaluru)から車で移動するしかありませんでした。6月1日の日曜に出国してバンコクで乗り換えてバンガロールに向かいました。 この時はGRデジタルを連れて行きました。 バンコクで乗り換えに何時間かあったので、バンコクに詳しい同行者に連れられてバンコク市内で少し早めの夕食をと

    • どこかへ 2008年5月のモスクワ

      モスクワを何度か訪れました。5月はいい気候です。 言葉がわからないこと、文字が読めないこと、治安はそれほど良くはないこと、渋滞が激しいこと、街中に警官が多いこと、難しい問題はいくつかありましたが、当時はまだ落ち着いていました。 お昼にショッピングモールでピロシキを買って食べたり、夕食はちょっと立派なレストランに連れて行ってもらったり、それなりに楽しいこともありました。 この時はGRデジタルを連れて行きました。 2024年の現在、当時の出張を思い出すのは、少し複雑な気分です。

      • どこかへ 2007年12月のジュネーブ、モスクワ、パリ

        欧州でのいくつかの用事が重なって、ジュネーブ、モスクワ、パリを巡ってきました。12月9日の土曜のNH209で発ってフランクフルトでLH3670に乗り換え。 この時はContax T3とRICHO GR デジタルを持って行きました。デジカメは便利だと思いつつ、初めてのスイスだったこともあり、当時は信頼していたフィルムカメラも同伴させました。 ホテルのドアの内側にはいろんな札が下がっています。普通は「起こさないで」とか書かれていますが、靴を磨いて欲しい、というのもあるようです。使

        • どこかへ 2007年8月のモスクワ

          2007年は出張の多い年でした。 8月にはモスクワに行きました。モスクワにあった研究所の担当になり、そこでの建設に関わるトラブルがあったのでその解決策を検討するための訪問でした。12日に出国して15日に帰国しています。 この時はリコーのGRデジタル(初代)を持参しました。それまではSONY Cybershot T3を連れて行っていたんですが、カメラを少しだけグレードアップしたくなったんだと思います。 この当時、僕のカメラといえばフィルムカメラが中心で、海外への出張に持参した

        どこかへ 2008年6月のインド

          どこかへ 2007年5月のボストン

          恒例のバイオの展示会/セミナーがボストンであったので参加してきました。 手帳を見返してみると、GWの後半から1週間ほど出かけていました。シカゴ経由のボストンだったと思います。 この時はSONY Cybershot T3を連れて行きました。 ボストンのホテルは64 Arlington St. にあるThe Boston Park Plazaでした。今はHilton系の随分と高価なホテルになっているようです。冒頭の写真はチューリップ越しに向かいの小さな公園から撮ったものです。入

          どこかへ 2007年5月のボストン

          どこかへ 2007年4月のサンディエゴ

          2006年頃から何度もサンディエゴを訪れていました。 たいていはLAXから車で移動します。一人で行く時はロスから電車に乗ったりもしました。La Jollaのホテルを予約することが多いです。トーレパインズのゴルフコースのクラブハウスに付属したホテルで、The Lodgeと言います。 このホテルの部屋は重厚な雰囲気で木製の大きなベッドがあります。中庭にもトーレパインが何本も生えてます。従業員の中にはキルトを履いた人もいました。スコットランド風なんでしょう。とても気持ちの良いホテル

          どこかへ 2007年4月のサンディエゴ

          どこかへ 2007年3月の上海

          前年の11月に続いて、2007年の3月に上海に出張しました。 前回の藻の匂いがするお風呂のホテルに懲りて、少しマシなホテルを頼んでおきました。高層のホテルで窓から街並みが見えました。やはり街並みは霞んでいます。いわゆるスモッグでしょうね。 今回の出張では少し時間的な余裕があったので、上海の街中を車に乗せてもらって散策しました。古い煉瓦造りの街並みは荒れてはいても趣があってキレイだと思いました。 古びた集合住宅のような建物は朽ち始めているように見えます。あまりキレイには見えま

          どこかへ 2007年3月の上海

          どこかへ 2006年8月のサンディエゴ

          1月に始まったサンディエゴの会社との契約交渉はその後も続き、ようやく基本条件の合意にこぎ着けました。そこで契約締結に必要な細部の条件交渉のために8月末に出張しました。しかしそうは言ってもサンディエゴ、あまり重い雰囲気を出さないよう、ビーチに近いDel Marのオーベルジュに宿をとり、穏やかな気分を心がけて出かけました。 この時にもSONY Cybershot T3を持っていったんですが、やはりデータの管理が悪く、生のデータはどこにも見当たりません。しかし当時はデジカメのデータ

          どこかへ 2006年8月のサンディエゴ

          どこかへ 2006年11月の上海

          2006年11月に出張で上海に行ってきました。22日成田発のNH921、帰りは25日上海発のNH922でした。 上海にある開発センターとの連携で何かできることはないのか?考えるための視察だったと思います。 SONY Cybershot T3を連れて行きました。 ホテルは上海の事務所が予約してくれたところ、市内の簡素なホテルでした。 欧米のホテルとはだいぶ雰囲気が違いました。日本のビジネスホテルとも違います。そっけない内装とそっけない調度品です。部屋はエアコンが効いてなくて湿

          どこかへ 2006年11月の上海

          どこかへ 2006年4月から5月のアレクサンドリア、フランクフルト、ストックホルム

          2006年の4月の末から5月にかけて、アレクサンドリア、フランクフルト、ストックホルムに行ってきました。 アレクサンドリアでBioVisionという欧州系のバイオの会議があってこれに参加し、乗り継ぎのフランクフルトで動物園に寄って、スウェーデンのストックホルムにある医科大学、カロリンスカ研究所を訪問してきました。 この時もSONY Cybershot T3を連れて行きました。 フランクフルトで乗り継いでアレクサンドリアにつきました。20年近くも前のことですが、エジプトの入国

          どこかへ 2006年4月から5月のアレクサンドリア、フランクフルト、ストックホルム

          どこかへ 2006年4月のシカゴ

          2006年4月9日に出国してシカゴに行ってきました。僕にとってこれが初めてのシカゴで、毎年恒例のBioの集まりに参加するためでした。シカゴは五大湖の一つ、ミシガン湖の南端にあります。 ホテルは市内中心部あたり、会場のコンベンションセンターは市の中心部から湖岸に沿って南下したところにあるMcCormic Placeという建物にあります。ホテルからは主催者の手配したバスで移動です。複数の路線があり、各々いくつかのホテルでピックアップしてくれます。 この時はSONY Cybersh

          どこかへ 2006年4月のシカゴ

          どこかへ 2006年1月のサンディエゴ

          アメリカ西海岸の最南端、サンディエゴの北部の La Jolla(ラホヤ)というところにベンチャー企業が集まっているエリアがあり、そこにあった会社を訪問しました。2006年1月のことです。 LAXまで飛行機で行って、そこから車で移動しました。 この時はコンタックスT3にコダックのポジフィルムを詰めて出かけました。 この辺りはUC SanDiego(カリフォルニア州立大学サンディエゴ校)の近くで、世界有数の研究所もあり、特にライフサイエンス系のベンチャーが集積してクラスターを作

          どこかへ 2006年1月のサンディエゴ

          人と話をすることは得意じゃなかったんだけれど

          もうすでに会社員を辞めて、支給される年金に加えて細々と自営のような仕事の収入で生活しています。 退社してからは家にいる時間が長く、人と話をすることはとても少なくなりました。夕方に仕事から帰ってくる妻と食事しながらたわいもない話をするだけで、早めにベッドに入ります。その後に妻は撮り溜めたテレビの録画を見ているようです。そうやって何日も他人と話をすることがない日が続いています。スーパーのレジの人に「ありがとう」というのが一日で唯一の発話だったりします。それでも寂しいと思うことはな

          人と話をすることは得意じゃなかったんだけれど

          どこかへ 2005年6月のフィラデルフィア、ニューヨーク

          毎年6月頃にはアメリカでバイオ関連の集まりがあります。展示会と講演を組み合わせたような企画で、アメリカのいろんな都市(一部はカナダ)のコンベンションセンターが会場になります。僕が最初に参加したのは2001年のサンディエゴで、その後もできるだけ参加するように心がけてました。 2005年はフィラデルフィアでした。コンベンションセンターは街外れにあることが多く、フィラデルフィアのように街の中心近くにあることは稀です。サンディエゴやワシントンD.C.のコンベンションセンターも今では街

          どこかへ 2005年6月のフィラデルフィア、ニューヨーク

          どこかへ 2005年5月のモスクワ、サンクトペテルスブルク

          ロシアによるウクライナへの侵攻も2年を超えて続いており、この状況でロシアの思い出など書くのは気が引けるんですが、ロシアには知人もいてロシアの人みんなが悪いわけではないことも理解しています。 少しモヤモヤする気持ちを感じつつ、19年前にロシアに行った記録を綴ってみようと思います。この時はコンタックスT3にネガカラーフィルムを詰めていきました。 成田からアエロフロートSU582でモスクワに移動、機内では和食に似た料理が出されました。浅いスープ皿にうどんに似た麺が入っていて、皿の

          どこかへ 2005年5月のモスクワ、サンクトペテルスブルク

          どこかへ 2004年10月のフィラデルフィア

          本社から研究所へ転勤してすぐの2004年の10月、フィラデルフィアにある研究所が開催するイベントがあり、そこに参加してきました。コンタックスT3にモノクロフィルムを詰めて連れて行きました。 これがはじめてのフィラデルフィアでした。シカゴORDで乗り換えてフィラデルフィアの空港まで、そこからはタクシーでユニバーシティ・シティにあるホテルに移動しました。市内までの料金は定額で$45、これにチップを乗せて$50くらい払っていたと思います。 フィラデルフィアにはこのあと何度も訪れる

          どこかへ 2004年10月のフィラデルフィア