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「的を得る」問題


これは以前書いた「一所懸命」問題よりも、ちょっとやっかいです。
余談ですが、神田伯山さんはちゃんと「いっしょ、けんめい」と言ってました。わーい!。
わーいっつーか当たり前なんですけどね、日本語を扱う話芸の人なんで、そんなの当たり前です。


で、「的を得る」問題です。
なんだよ的を得るって、的は射るもんだろ!?
と思ったそこのあなた。そうなんです、その認識が広まってるのがやっかいなのです。

「的を射る」だけが正しいとされていましたが「的を得る」でも間違ってません、みたいな解説も多いですね。
昔、某国語辞書が「的を得るは間違い、的を射るが正解」って載せちゃって、その認識が広まっちゃったというのが真相でしょう。

はっきり言いましょう、的は得るものです。
もう一度大きく書きましょう。

的は得るものです


的を射る。映像で想像してみてください。
的の端っこに、ギリギリの端っこに、タンッ!ビヨ~ンって矢が刺さったところ。
的を射てますよね。
しかし、中央を射抜いてない的を射ただけの矢なんて「確信を点いている」「要領を的確に捉えている」という意味としては、どうなんでしょうか?

「的を得る」も「的を射る」も的の中心である正鵠を射抜くという意味でつかっているのだから、ここはやはり
「正鵠を得る」から転じた「的を得る」が正しいのではないのでしょうか?

そもそも「得る」は「手に入れる」という意味だけじゃなくて「捉える」という意味があるますからね「要領を得る」とか。

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しかーし、ウルトラ大問題が
この「的を得る」を間違いだと思ってる人があまりにも多くて、使うに使えないのです。
普通に当たり前に使うと「的を得てどうするんですか、的は射るものですよ、もっと勉強してください」とか的外れな指摘の矢がビュンビュン飛んでくるのです。
的を射たいんじゃなくて、こちとら正鵠を得たいの!そういう意味で使ってるの!。10周くらい葛藤してわざと使ってるの、当たり前でしょそんなの!・・・っていちいち言い返すのもめんどくさい。
指摘してこない人もきっと
「こいつ日本語知らねーな、こんなやつの書く脚本なんてきっとろくなもんじゃねーだろう」
とか思ってるんじゃないだろうかと宮下草薙のような疑心暗鬼状態に陥ってしまうのです。

かといって端っこにビヨヨーンと刺さってる「的を射る」を使うのは絶対にいやなのです。
調べても調べても、いまだに「的を射るは正しくて、的を得るも間違いではない」という論調ばかりなのです。端っこギリギリ射抜いて喜んでるみなさんは。

あ、急に気付きました!。弓道って的に当たれば位置に関係なく全部1点なんですよね。
アーチェリーとかダーツみたいに、場所によって点数が変わらないんですよ、たしか。ちゃんと調べてないので知らんけど。
だからだ、だから射るだけで満足なんだ。アーチェリーじゃなくて弓道の国だからみんな受け入れてるんだ。
おおー、文章を書いてて途中で確信を推理するって、なかなかじゃねっすか?。これぞ的を得てません?。だからどうしたって話ですけど。

とにかく的を得るを使いたいときに、「芯をくってる」とか「確信をつく」とか「まさにそれ!」とか「うひょー!」とか、なんだか微妙な表現を使わなくてはなりません。

普通に「的を得る」が普及して、当たり前のように使える日がいつかやってきますように。

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