見出し画像

年収190万35歳がお金の話します8 【お金てなんなんだ?まとめ】

前回はこちら↓

私は収入は少ないけれど、それで貧乏になっていたわけではなかった。
「収入が少ない」という意識が自分を勝手に苦しめていただけだった。

そのことに気が付いたというとこまでを書きました。

改めて私の中に
「金ってなんだ?」
そんなありふれたような疑問が沸いてきます。

少し前、私は人間に必要なものは何かを考えてみたことがあります。普遍的なものの話です。最低限の、確実になくてはならないもの。

ぱっと考えて健康かお金かなと思ったんです。

ではどちらが優位なんだろうと考えてみますと、お金は人間が使うもの。
ってことは健康>お金じゃん?と結論に至りました。

世界にはお金のために健康を害する人が五万といますけど、もしも世界に貨幣制度というものが無ければ自分の身一つがまずの大事なものですよね。

お金は生きるために必要ですが、
健康は生きているというその状態を司るので。

じゃあ、お金ってなんなんだ?(二回目)

なぜこんなにも人間にとってお金という存在は大きいんでしょう。
お金の最初の記事に書きましたが、人間が狂うのって愛と金が二大要因じゃないですか。多分。

って考えたときに、「あ」と思いました。

もう先に答えに書いてたじゃないか。

お金は人が使うもの

これだ。

そうなんですよ。
お金はお金にあらず。

お金とは、人なんです。

この時ようやくわかった意味がわかった。
よくお金は愛と同じだとか言われるじゃないですか?知ってます?スピリチュアル界ではわりとまかり通っている説なんですけど。
でも私はなんとなく言いたいことはわかるけど全然頭に入ってこないと言いますか。それってどういうこと?どんな感覚なの?どういう状態なの?ってずっと思っていたんです。

でもわかったわ。
確かにお金って愛なんですよ。
でも愛って言うからイメージできなかった。
愛っていうか、人だ。人って言ったほうが理解しやすいと思う。

私達はお金を通して【それを使う人】を感じるんです。常に。

だからお金のことが好きになるし、憎くなるし、一緒に居てほしいし、もう放っておいてほしいんです。全部人への感情と結びつくではないか!
そのことが当たり前過ぎたから意識してないだけで、必ずお金の後ろに誰かをイメージしているはずです。

私の話を出します。
何記事も自分語りをしたのは、ここを伝えたかったからです。

私の実家は借金まみれでした。書いてないけど家族のことでお金の嫌な思いもたくさんしたと思います。
今は叔母に雇ってもらっていてお給料が高いとは言えず、かと言って給料を上げるのは無理。休みを増やすのも無理。辞めさせるのも無理。と言われてきて私は気持ちが軽く死んでいました。

お金のことを考えないようにしました。

これは全てなにに繋がると思いますか?

お金が私に見せてくるものは、いつも【家族】なんです。

もっと言うなら

家族への憎しみ

だったんです。

正直、その気になれば今の職場を抜け出してしまうことは可能だったと思います。それでも本当に色々とよくしてくれた叔母や叔母の旦那さんへの義理が私を引き留め、どうにかこのままここで働こう、ここでやっていこう。と踏ん張っていました。
そうは決めてみたものの、やっぱり嫌だったんですよね。そうすると、叔母やその旦那さんへ恨みのような感情が生まれるんです。あなた達のせいで!っていう。
そしてそこから罪悪感が生まれます。自分はなんて性格が悪いんだ。家族総出で世話になった人達に恩返しをしなければいけないのに、そんなの当然なのに。不義理な人間だ。文句ばっかり浮かんで嫌な奴だ。これでもかと言う自責の念に駆られます。
悪循環でした。

でもこれ、転嫁なんですよ。よく考えたら。

叔母と旦那さんのせいじゃない。
私がお金で嫌な思いをするのは誰のせい?

「親のせい」(と思っている)

だけど起こってしまったことは仕方ない。私は私としてやっていくしかない。そう思ってきたのです。

私は親に対してお金の問題に触れたことは一度もありません。
お金を遠ざけていた。という現象とリンクします。
私にとってはお金は家族を表すもの。
見ないように触れないように蓋をしてきたということです。

無意識に溜まっていった不満、当時感じたストレスはもう消えたことにしていました。だって仕方なかったからです。

でもご存じの通り、未消化になった感情って溜まっていくんです。見えないけれどどんどん溜まるから、爆発したり急に動けなくなったりするわけですよね、人間って。

私はそれを知った上で無視を決め込みました。
両親への苛立ちと悲しみを隠していました。
そしてそれを叔母と叔母の旦那さんへと投影しました。

私が月給15万円という数字を掴んで離さずに来たのは

「両親を許さない」

という意思表示だったということです。

いやあ、書いてて情けないというかもうなんて言っていいかわからない感情になるんですけど。
親へぶつけられなかった気持ちが、お金を通してずっと出ていたわけですね。お金を多く持っていて、そこへの不満がなくなったら、両親への恨みも手放さなければいけなかったんです。それは許せなかった。私の苦しみを思い知れ。とそう無意識に思ってきたんでしょう。

私ね思うんですよ。だから。多分家族仲の良い人は、そこまでお金に対してすごい不満を感じたことってないんではないか?って。もしくは不満が溜まるような状態にならないとか。データとかないからわからないただの想像ですけども。

ああ、なんだ。そういうカラクリだったんだ。
全部が繋がって、納得することができました。勿論すっきり解決したー!という気持ちになったわけではないんですけど(むしろこれからが勝負なんですけど)、それからというもの理不尽に叔母と叔母の旦那さんに腹を立てることがめっきりと減ったのです。
この一連の考えで導かれたものが、私にとって【正解】だったんだと思います。

お金ってそれ単品で見たら、やっぱりただの物質です。
でも皆にこれだけ平等なものもないんですよね。持っている人がもれなく使える物ですから。

その人の1万円は素晴らしいけどあなたの1万円はクソなので使えないんですよごめんなさいね。なんてことないじゃないですか。むしろ金さえあれば人となりなど関係なかったりしますし。

それなのになぜお金という存在はこんなにも人間の感情をもてあそぶのか。

お金は本質的には、私達にとって【人】だからだ。

私はそう思います。
あくまで私は。

大分長く書いてしまいましたが、これで私のお金の記事を終わりにしようと思います。けじめとしてというか、この意識の流れの変化を記録として残しておきたかった。途中なんでこれ書き出したんだ……って面倒になってしまったりしたんですけど。
でも書いてよかった。やっぱり書くことで余計にすっきりした!

いつか私と同じような状況になる人が居ないとも限らないですもんね。
そのときその人がここを見つけてくれて、少しでもなんかのヒントになってくれたらなあと思っています。

これに目を通してくださった方、お付き合いありがとうございました!
そして読んでくださってありがとうございました。

とうふ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?