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年収190万35歳がお金の話します4 【心が病んでる】

前回はこちら↓

上京したら知らない間に実家が消えたらしい。親は今どこへ……?
一方順調に頑張っていたつもりが突如出勤が出来なくなった私は、そのどこに住んでるのかわからない親元へ向かいます。

というところまで書きました。

いや、なんでこんな自分語りを長々書いているんだろう……とか自分でも思っちゃうんですけど、今回のお金のことは私が私と向き合うために書き始めたものなのです。私にしか需要はないけれど細々と続けます。

よし、いくぞ。

会社に行く電車に乗ることができなかった私は、母の助言に従い上司に嘘をつき、自宅へ戻りました。とりあえずの荷物をまとめて地元に向かいます。

自分の知る実家は借金で没収されたので、初めて見る初めてのお家に到着です。
両親は古い一軒家を借りているようでした。ちなみにぼっとん便所だった。ぼっとん便所って昔よくホラー漫画のネタに出てきませんでしたか?それを思い出して結構トイレに行くのが怖かったです。

実家にあった家具や電化製品などはそのまま使っていて、「こういうのって全部没収されるわけじゃないんだなあ」と思ったのを覚えています。

その頃そこで何をどうしていたのかあまり覚えていません。その辺の時系列が自分の中で曖昧になっている……。

ただ私はもうすっかり病んでいたみたいで、寝ている時間以外を食べることに費やすようになっていました
それこそ病的に食べるのを止められませんでした。寝る時間を削って食べました。食べていないとどうにも居られなかったんですね。

このストレスによって食べてしまう、という流れは中学校で太り続けたときから身についてしまったものだと予想できます。
そもそも人間の身体は長くストレスを受け続けていると食欲が増すホルモンがびゅーんと増しますから、多くの人は食欲がどかんと来てしまうわけです。

だから食べまくってしまうのはわからなくもない。理解できます。
けど、実家で守られている環境でのそれと、自立して一人になった環境でのそれはレベルが違いました。

学生の頃のはただの大食いと言えましたが、その頃の食べ方は自傷行為に近いものだったと感じます。いえ、実際無意識に自分を罰していたのだと思います。そこはまたあとで書こう。

後々調べてそれが摂食障害の中のむちゃ食い障害というものだとわかります。しかしその時はそんなことも知ろうとせず、全てがいっぱいいっぱいになっていて食べること以外放棄してしまってたんです。

私は自分がおかしくなっていることはわかっていましたが、何も話す気にもなれず母との会話も必要最低限でした。
何日目かには泣かれたことを覚えています。「帰って来てから一回も笑ってないよ」と言われました。

思い返してみるとどう考えてもマジもんの鬱なんですが、私は身体が動くのならば病気ではないと思っていたふしがあり(ありがちですね)、食べるのさえ落ち着けば普通になると思っていたのだと思います。

っていうかあれ?父は?という話ですね!
存在感が空気なのか?……いえ、疑いようもなく存在してませんでした。
父は働いていた会社をクビになっていて、伝手で雇ってもらった会社の寮かなんかで暮らしていたらしいです。

しかし人のことなんて考えている場合じゃない私。会社も休んじゃってて罪悪感があります。
前回書いたのですが、私はとにかく田舎で甘やかされて育っていたので社会人としてどうこうとかのレベルじゃなかったんですね。
その私に色々と教えてくれながら盛り上げてくれたのが、当時の上司や先輩の存在でした。

そんなありがたい環境で一体どうしてそこまで病んでいったのか?

その答えはつい最近までなぜなのかよくわかっていませんでした。働いている人達のことが好きだったから、なぜそこまで嫌になってしまったのか考えても考えてもしっくり来なかったんです。

だけど今ならそれはシンプルに考えられます。

売り上げを上げることが、嫌で嫌で仕方がなかったのです。

よーしようやくお金と結びついてきた。

この病み期はこの後も引き続き私につきまといます。
ということで次回!

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