見出し画像

年収190万35歳がお金の話します3 【会社に行けなくなった】

前回はこちら↓

裕福だと思っていた我が家は実は借金まみれだった、ということを知った高3の終わり。
上京した私のもとに届いた母校からの手紙には、あんたの両親頭いかれてるよ、と書かれていました。

ってところが前回のお話でした。

さて、実家から出た私は進学せず、社会人デビューを果たしました。進路決めの段階では大学か専門学校へ行こうと思っていたのですが、母に「お金を出せない」と言われたのです。借金まみれですからね。当然でしょう。

私はあっさりと進学を諦めました。自分で借金をしてまで学校へ通う気がまったくありませんでした。学校というものがどうしても嫌いだったからです。苦労して行きたくなかった。

ここでまた時を遡ってみます。
私は中学生のとき、今で言う不登校生に近い存在だったんですね。幼い頃からの人見知りをこじらせた挙句、学校にうまく馴染めないストレスでどんどん太っていきました。最終的になんと重量85キロです。もちろん毎年制服は特注。その制服も卒業と共に次世代のデブちゃんへと引き継がれていきました。役に立ってよかった。

高校は女子高がいいという理由で実家から遠いところを選び、無事人間関係には恵まれ少し体重も減りました。が、中学校で身に着けてしまった学校が嫌いだという感覚を払拭できるところまで至らず、やはり授業は休みがちに。コンプレックスが酷くて人目に触れるということ自体なるべく避けていました。

そんな状態で働き始めたのでとにかく全然使えない人材だった私はたくさん怒られました。いやあ、当時を思い返すと申し訳なさが……周りの人大変だっただろうな……。ちなみに声が小さい。動きが遅い。は社会人になって注意されたこと2トップです。初歩的過ぎてつらい。

しかし社会人になってお金を稼ぐことを学んでいった私は、初めて自分のお金を自分の好きに使える楽しさを知っていきます

そんな中、また衝撃の話が耳に入りました。
ついに実家がなくなった。という報せです。

それでも私はあまり動揺しませんでした。
なぜなら悲劇のヒロインだったので。

漫画のような悲劇に見舞われた身に降りかかる更なる不幸は、私にとっては自分の人生のストーリーを彩る起承転結の要素だったわけです。バカです。

そしてこの不幸のスパイスはまた別のところからもやってきます。

ある日突然、会社に行くことができなくなってしまったのです。

ぬくぬくと育ってきた私はバリバリと働くことに憧れを抱いている少女でした。希望通り、当時私は休みを返上して終電まで働くタイプの生活をしていたんですね。
あ。会社員とかではなく、エステティシャンをしていました。

え!?85キロ越えのデブだったのに!?!?
と思いますか?ふっふっふ。実は地元を離れた私はダイエットに成功し、46キロくらいまで減量していたのです。若さってすごい。
容姿、体型のコンプレックスをずっと持っていたので綺麗な人が働くところに憧れており、結果縁のあったエステに就職してました。

でも行けなくなったんです。電車に乗れない。
怖くなった私はここで母親に電話します。すると母は「とにかく一回帰っておいで」と言ってくれました。

帰っておいでも何も今どこに住んでるんだよっていうツッコミはそっと胸にしまい、私は仕事を休んでいざ地元へ。
ここから暗黒面に堕ちていきます。

つづく





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?