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生きる

私はまた思い出していた。

突然かかってくる通話に君と設定した着信音。
消えたいと泣きながら被った布団で聴く君の優しい声。
不安に駆られて「生きてる?」と送るLINEに、
とびきりの変顔が返ってくる月曜日の朝。
後ろから突然抱きついてくる君の体温の温かさ。

もうひとつだって更新されない君との思い出
日に日に君の声が分からなくなって、君の笑顔が薄れてゆく。

お願い、やめて
神様とやらが本当にいるのなら、と願った。
「これ以上私から翡翠を奪わないで」
「もう私を孤独に追いやらないで」
神様、なんて縋ったことない人間の初めての願いだった。

動画も写真さえもなかった。
それは、私達の願いと真逆の事だったから。
この世界から消えたい、
誰にも知られずひっそりと居なくなりたい、
この世から記憶ごと消える事を願っていた私達は写真や動画を嫌った。自意識過剰かも知れない。だって私達の写真が残ってたって誰も見向きもしない、でも、それでも、大嫌いなこの世界に生きた痕跡が残るのが嫌だった。

今では少しだけ後悔している。
世界の誰もが後ろ指をさして翡翠を嫌っても、
翡翠は私の背骨だった。
宝物で、世界の全てだった。
少し背が高くて雪のように白い、脆くて柔い女の子。少し取っ付き難い雰囲気を纏っているくせに私を見つけると、いつも長い黒髪を揺らして満点の笑顔で大きく手を振ってくれた。私は恥ずかしくて小さく手を挙げて振り返した。
あの笑顔を、あの声を、この世界にひとつでも遺しておけば良かった。
いつからかは思い出せない、けれど気が付いた時から翡翠が生きている世界ならまだマシかもって思えた。苦しくても、痛くても私には翡翠が居たから何とか息が出来ていた。
まだもう少し、と思えた。
でも、もう居ない。

本当はもう会いに逝きたい。
翡翠の居る場所はもうわかっているのだから。しかし翡翠は許さないだろう。
分かってるよ、怒ると怖いんだもんね。
だから私は、翡翠に言い訳出来るくらいには長く息をしてやろうと思った。
「頑張ったでしょ、もういいよね」
そう面と向かって許しを乞えるくらい生きる。

翡翠の暖かくて優しい思い出と生きるんだ。
いつか完全に色褪せて翡翠がもう見えなくなったって、私は翡翠の透明な背中を追いかけて生きる。


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