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初心者ライダーの無知と無謀…4号線を寝ずにひた走り【NORAオートバイ6】

4号線

「4号線をまあっすぐ行くと青森に着くんだよ」 
会社の飲み会で先輩はそう言いました。バイクでロングツーリングに行ってみたいと話した時でした。四半世紀前の話です。

私は夏休み(9月中旬)に、下道で金かけずにちょっとサバイバル気分で、東京から青森まで行ってみようと軽い気持ちで思っていました。そして海を渡って北海道だ、と。函館には友人がいるので泊めてもらおうと考えていました。

で、先輩の話を真に受けて計画を立てたのですが、それが地獄の始まりでした。当時の私は免許取ってから数年。愛車GB250とともに万能感に満ちていました。

一応はそれなりの準備をしなきゃと考え、アメ横に行きました。バイク用の合羽は嫌いなので、ポンチョを買いました。それから米軍のジャングルブーツ。

そしてついに秋晴れの正午過ぎ、バッグを後部座席に括り付けて、半キャップにゴーグル姿で、笹塚(東京都S区)のアパートをスタートしたのでした。

行き先は青森県・大間のフェリー乗り場です。

岩手あたりでずぶ濡れに

都心は暑くて T シャツ姿でした。しかも大渋滞に巻き込まれて遅々として進まず。やっとのことで埼玉に入ってまた渋滞にはまり、栃木の渋滞にはまり、仙台に着いたのは多分14時間後くらいだったと思います。深夜2時ごろ。

気が張っていたせいで眠くはなく、このまま行けるとこまで行こうとさらに北上しました。

すると、朝方になって雨が降ってきました。

よしポンチョの出番だ。

そしてこの時私は、バイクに乗りながらポンチョを着るとパラシュート状態(ムササビ状態)になり、走行できないことを知りました。

しかも防水加工のない米軍のブーツはあっという間にずぶ濡れになり、

さらに ゴーグルは雨が降ると視界がゼロに。前の車のテールランプしか見えません。

すべてが自殺行為です。

雨脚はどんどん強くなり、対向車線からくるトラックが跳ね飛ばした水が全身にかかりました。

司馬遼太郎が遣唐使か何かについて「無謀というよりも 無知であった」と書いていましたが、これは当時の私のことなんじゃないかと思います。

スーパー銭湯

ちょっと耐えきれなくなり、街道沿いのスーパー銭湯に寄りました。

そこで なんとか一息つきました。サウナでダラダラしていたら、なんと、雨がやみました。

バッグも浸水していましたがそれほどでもなく、一応乾いた服に着替え、再びエンジンをスタート。

さらに北上すると、次にやってきた問題は寒さでした。

都心ではTシャツ1枚でも十分なくらいでしたが、こちらは季節が1カ月くらい進んだ晩秋の気温です。
M65を着ても冷たい風が徐々に体力を奪っていき、指先の感覚も消えてしまいました。

凍えながら入った八戸のラーメン屋で鼻水を垂らしながら食べた煮干しラーメンがうますぎてびっくりしました。

すでに2日目の夕方。家を出て30時間くらいは経っています。

腰や肩には激痛が走り、疲労は限界点ギリギリで、意識がもうろうとする中、ただただ走っているだけです。当初の計画では観光地を回ろうと考えていましたが、もちろんそんな余裕はなく。

さらにダメ押しで、ゴーグルが壊れました。

しかも目に入った小さなごみが眼球に刺さり、痛くて片目が開けられなくなったので、眼科を探してむつ市内をさまよいました。

大間港→函館

大間のフェリー乗り場に着いたときは日も暮れて真っ暗になっていました。そこでコンビニ飯を食べつつフェリーの出港時間を待ちます。

フェリー乗り場には車やバイクがたくさん集まっていて、ツーリング中のおじさんとか、車中泊のおじさんとかが声をかけてきました。

「クラブマンでよくここまで来たねえ。こんなので長距離走ったら手痺れちゃうよ」

「車中泊は気楽でいいよ。あちこちで美味しい名物食べるから飯代はかかるけどね」

ようやくフェリーに乗り込みます。到着は1時間半後。

函館でフェリーを降りた私は夜の町を走って友人の家にたどり着き、部屋に入れてもらって朝まで死んだように眠りました。40時間ぶりの睡眠です。

◇◇
この後は再会した友人たちと函館近郊を走るだけで道内ツーリングは終わりました。

そして東京への帰り道も、無謀な旅路の繰り返しとなったのでした。


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