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ライターとギャラ

自分の値段とは

ライター、気付けばもう20年くらいやってます。

ここで言うライターの定義とは、締め切りとギャラによって文章書いている人たちのことです。
いまここで私が書いているものには締め切りもギャラもありませんから、ライターとしての成果物ではないです。

私はギャラの交渉というものをしたことがありません。だいたい発注元の言い値で書きます。
とは言っても、これは「いくらでもいい」ということではなく、相手がこちらの再生産性を理解し、妥当な金額を提示してきたときだけ仕事を受けるという意味です。

この考えのベースには、昔勤めていた会社の社長の言葉があります。
「自分に値段をつけられるようになりなさい」と言われたのでした。
ひとりでやっていくにはそれが必要だと。

ボーナスは出ても残業代は出ないような会社でしたが、私はそこで学んだスキルや人脈みたいなものを元手に独立しました。

ライター=清貧

自分の値段――
1文字1円とかでは書けませんし、ホームページ1つ100円では作れません。

これではクオリティを維持できないですし、生活ができないと廃業せざるを得ません。けれど、むちゃな金額を提示する業者はどんどん増えてきました。
やりがい搾取なんていう言葉が浮かんできます。これって、漁業で言う乱獲と同じです。後のことを考えず獲って資源を枯渇させてしまう。

独立する際には、
ライター=貧乏
それでいいと考えていました。儲からなくても最低限食えればいいと。つまりは清貧。
思えばそれは、未来はもっと良くなるという希望みたいなものが下地にあったから言えたことでした。
現代の貧乏って、本当に洒落になりません。

カネの面だけで言うと、独立してから現在まで、ゆるい坂道をずっと下り続けているような感じでやってきました。
インボイスについていろいろと言われていますけれど、それがとどめとならないことを祈っています。

これ以上は愚痴しか出てこないのでやめます。


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