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動と静の精神エネルギー

「エネルギー充填」と一口にいっても、精神エネルギーは動と静に分かれる。そしてどちらのエネルギーをより必要とするかには、個人差がある。

体力MAX・やることを全て済ませた状態で、自由時間が5時間あるとして、遊びに行ったり人と会ったりする時間(動)と、家や馴染みの場所で静かに過ごす時間(静)を、何時間ずつ割りふったら、精神のバランスが最高になるか?

私にとっていい割合は、動:静=2:8ぐらいだ。

動のエネルギー(以下、動エネ)を得るために、静のエネルギー(以下、静エネ)を消費するタイプは、静エネを常に多く持っておかないといけない。逆もまた然りであろう。動エネを外交性、静エネを内向性と言い換えても問題ない。動エネは人と話したり活動的でいることでチャージされ、静エネは一人静かに過ごすことで回復する。

動エネに偏った日は、反動でしばらく動けなくなる。大好きなヘヴィメタルのライブに行った日はいつも、静かな夜を長く過ごすことで静エネを得ようとするのか、疲れているのになかなか寝付けない。

動エネが不足すると、それはそれで気が塞いでくるので、引きこもりすぎも良くない。理想的には、週に2日ほど、各2時間くらい出かけるのが私にとって最適なバランスだと思う。しかし殆どの場合「移動時間を入れて2時間以内で、動的な楽しい時を過ごす」は物理的に無理だ。例えば2駅隣のショッピングセンターに買い物に行くだけでも、もう2時間ではすまない。もう少しスケールの大きいライブ参戦であれば、渋谷と家を往復するだけで2時間、ライブ開演〜終演で2~3時間以上かかるので、数倍以上の供給がいっぺんに来る。もっといくと、旅行に行く場合、ずっと部屋にこもるのは勿体ないので一日の大半を動的に過ごす羽目になる。動エネを補充するときは、どうしても供給過多になって反動が出てしまうのだ。

静エネに偏った人間のデメリットを多く書いたが、メリットもある。

まず、圧倒的に金がかからない。一人暮らしのときであれば、動エネを得るには外出する必要があったが、今は同居人とのおしゃべりでわずかながら動エネを得られてしまうので、用事がなければ二人してずっと引きこもっている。買い物・病院・近場のファミレス以外の外出は、月に1回ぐらいですむ。それで全く苦しくないのだから安上がりである。

次に、何もしなくても(寝てるだけ・ぼーっとするだけでも)なんとなくうっすら楽しい感じがする。これは何なのかよくわからないが、いわゆるセロトニン的幸福の度合いが多いのだろう。大人になったから…ではなく子供のころからゴロゴロは至福であった。青年期、おなかに飼い鳥をのせてソファで昼寝するのは最高だった。今は、夫が横ですやすや寝ているだけで「寝息がおもしろい、たのしいなあ」と思っている。やっぱり相当に安上がりだ。

そして、1つの経験から深く学ぶことができる。1つ1つの体験の重みが大きいので、ひとつひとつ咀嚼・分解する必要があるのだが、この分解処理によって、経験を自分のものにできる。同じ失敗はほぼ繰り返さず、後輩に経験からいろいろ教えてあげられたのも、この性質が関係している可能性がある。

どちらが良い悪いということはなく、向き不向きの話である。何かが苦手な人が存在するおかげで、仕事は生まれている。そういうわけなので、おそらく明日も明後日も私たちは引きこもっているだろう。

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