モラハラ、借金を乗り越えた先に見つけたもの。 トカノハート&ハート代表の生い立ち -前編-
はじめまして。私は『生前整理・遺品整理アドバイザー』として、年間100世帯のお客様のサポートをさせていただいている、松井麻律(まつい まり)と申します。
私は片付けだけのためでなく、「自分らしく生きられていない人に対して、自分らしく生きるためのお手伝い」を提供していきたいという想いで活動しています。
生前整理や遺品整理、訪問介護などいろいろなことを通して、より良い生活をしてもらい、誰もが対等な世界を創りたいと思い、活動しています。
今回は私が『生前整理・遺品整理アドバイザー』になる前の生い立ちについてお話したいと思います。
松井麻律の生い立ち
私は、1984年9月7日栃木県栃木市で生まれました。
小学校時代が男勝りのガキ大将のような女の子で、中学に入学する頃には、「お前は女子だから」と言われてやりたいことをやらせてもらえないジレンマが芽生えます。
差別されているような感覚で悩んでいましたが、21歳のときにバイセクシャルだと気付き、自分の内側を表現できるパンクロックにハマっていきました。
高校生で家出
家族は、父、母、双子の妹の4人家族。父はフランス料理のオーナーシェフを務めていましたが、お酒を飲むと暴れて八つ当たりするような性格で、家族を守るのは自分の役割でした。
木刀で何度も叩かれることもありましたが、小学生のころ、裸で外に出されたことが一番嫌な経験です。
その当時はしつけが厳しいと感じていましたが、今では虐待だとはっきりわかります。
ある日、父と大喧嘩して思わず包丁を出し、「このままではいけない」と思い、当時付き合っていた人の住む家に居候することになります。
初めて抱いた夢は、映画監督
高校を卒業して、バンタン映画映像学院に入学。
中学校のころから映画をよく観ていて、唯一映画という世界でなら自己表現できると思い、映画監督を目指しはじめます。
私の現実の生活はまるでフィクション映画のようでしたが、映画の世界と比べれば違和感がなく、「自分の家庭はごく普通なんだ」と思い込んでいました。
映画制作は楽しく成績も優秀でしたが、当時付き合っていた男性は感情の起伏が激しく、DVを受けながら過ごすことになります。
専門学校卒業後にテレビの制作会社に入社
私生活はめちゃくちゃでも専門学校は順調に卒業。期待を胸に制作会社へ入社しましたが、現実は壮絶な闘いが待っていました。
希望していた報道の部署は女性ディレクターが多く、ヒステリックな声で叱られては泣く生活。
挙句にバラエティ番組の担当に飛ばされ、男性スタッフが多い中、いじめやセクハラ、パワハラが当たり前の環境に耐えながら忙しい日々を過ごしました。
無断欠勤を1日だけした次の日に「辞めると思っていたけど戻ってきたんだ!」と言われ初めて人に認められた感覚が芽生えます。
摂食障害の妹
テレビ制作会社で6年間働き続けて26歳になった頃、実家では双子の妹が摂食障害になっていました。
妹は内に溜め込む性格で、私が実家に帰るたびどんどん痩せていき、ある日突然、母から「妹の摂食障害がこれ以上進むとやばい」という連絡が来ました。
「東京のうちに来れば?」と言うと、次の日には荷物をパンパンにして引っ越してきました。
そして、自分が生きることで必死になっていた1人の生活から、妹の命を預かり生きる2人の生活を2年ほどすることになります。
天国と地獄
仕事では、ADからディレクターに昇進できそうだという最中。
久しぶりに達成感と充実感でワクワクしていましたが、現実はそう簡単にはいきませんでした。
精神的に苦しんでいた妹は片付けができない上、すぐにヒステリックになってしまい、寄声を上げたりすることで、私のストレスも次第にピークを超えていました。
だんだんと仕事にも影響が出るようになり、判断能力も落ちていた中、他人に名義を貸してしまったことで借金まみれに。
そして借金を返すため、ADをやりながら、キャバクラで働き始めました。
そんな時、前の夫と出会い引越しの手伝い・契約を手伝ってもらうことになります。
私はクレジットカードのブラックリストに入っていたため、引越し費用は前夫に立て替えてもらい、妹を含めた3人の生活がスタート。
その時、前夫から突きつけられた条件が、ADの仕事を辞めることとパンクを卒業すること。
それに従い、私はバンド関係のグッズだけでなく、専門学校も含めた人間関係を全て切り、借金を返すためパートで働き始めました。
映画監督への夢やディレクターへの昇進は叶わぬ灰のように消えてしまい絶望的でした。
しかし借金がある限り働く以外の選択肢はなく、27歳の時にようやく借金を返し終わりました。
絶望からの復活
その後、前夫に「借金を返したので仕事をさせてください」とお願いし、転職活動を開始。
様々な面接を受け、「あなたみたいな経歴は無理」と笑われることもありました。
そんなとき、見つけたのが女性専用のジム『カーブス』。
健康のお手伝いができるということに魅力を感じました。
面接当日は場所を間違えたり、記入シートも漢字がわからず虫食い状態だったり、面接者の中でも服装が浮いていたりと問題が多くありましたが、10人前後の受験者の中から無事内定をいただきます。
女性オーナーが「一番真面目に話を聞いていた」と周りの反対を押し切って採用してくださった話を後から伺い、「本気でここで働きたい」という姿勢が伝わったようでした。
その頃、妹は東京でギャル系のショップ店員になったことで次第に自分に自信をつけていました。当時から付き合っていた夫と同棲するようになり、別々に暮らすようになりました。
運動教室で見つけた新しい自分
女性オーナーのお陰で希望通りの仕事ができることになったカーブスでは、社員教育として『7つの習慣』を徹底的に叩き込まれます。
その時に、自分の生き方が普通の習慣と全く違っていたことに気付けたことで、女性オーナーに恩返しがしたい、という想いから夢中で働きました。
すると1800店舗の中で成績が一番になったことで新店舗の店長として選ばれ、だんだんと自分に自信が持てるようになっていきます。
”自分の行いを変えれば、周りの行いも変わる。”
”自分が関わりたい人を選べば、自分の生き方も変わる。”
他人のせいにするのではなく、自分次第で人生が変わるのを実感し、新しい自分に出会うことで生き方に責任を持てるようになりました。
前夫はモラハラ夫
メンバーの習慣をサポートすることで人生を変えるという仕事は、自分がやりたかったことに直結していたため、カーブスでの仕事は順調でした。
そして「妹もここに入れば、必ず変わるはず!」と思い、コーチとして一緒に働くようになります。
妹はガリガリに痩せ、生理も止まっていましたが、カーブスで筋トレをすることで体力がついて、子どもが産める身体に変わっていったのです。
店舗立ち上げのときには、よく帰宅時間が遅くなり、夫から罵倒を浴びせられました。
私の父も亭主関白だったため普通だと思っていましたが、町内会のご夫婦に「それはおかしい」と言われて、初めて夫が ”モラハラ夫” だったことに気づき、夫と価値観の差が生まれるようになっていきました。
たくさんの喧嘩を繰り返した末、『自分を変えようとせず、相手に求めてばかりのモラハラ夫』との離婚を決意しました。
新たなスタート
これまで、悪い男性に騙される、という経験を何度もしてきましたが、「人は誰しも悪くなる時があり、その理由は必ずある」ということを、自分自身の人生を通して学びました。
悪い方にいっても、終わりよければ全てよし。
たくさんの経験を乗り越えた後、そう思えるようになっている自分がいました。
▼後編
松井麻律(まつい まり)
栃木県出身。生前整理・遺品整理アドバイザー。
「自分らしく生きられていない人に対して、自分らしく生きるためのお手伝い」を提供するため、『トカノハート&ハート』を起業。
訪問介護を通し、遺品整理の価値を伝えながら、「よりよい生活のため」にサービスを提供し続けている。
ホームぺージ:https://tokano.tokyo
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