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Exchange study in Copenhagen

今日6月18日、留学先のコペンハーゲン王立芸術アカデミー
master program Furniture and Objectでの最終プレゼンが終わり、
一年間のスタディが終了した。

日本に帰国するのは3週間後なので、まだ少しはデンマークにいるけど
現在の実感としては全て終わったって感じ。

何から書けばいいかわからないほどたくさんのことを経験した。
自分なりに苦しい思いは沢山したけど、その分多くのことを吸収できた
本当にこっちの世界に飛び込んでみてよかったなと思ってる

こっから少しずつ、忘れないうちに自分がこの一年で何を感じたか、何を学んだか、残して置いていきたいなと思う。

今日は終わったばかりだし、こっちのデザイン教育のあり方で自分が感じたことを書いておこうと思う
やっぱりKITとこっちで重要視されることは違う。
その違いに後々で繋がってくるので初めに言っておくと、
今学期の自分の成績は10(6段階評価のうちの5)だった。
前学期が7(6段階評価のうちの4)だったので、ひとつ前進できたのは嬉しい
けど、最高点を取れなかったのが凄い悔しい。
終わりよければ全て良しだなんて到底思っちゃいないけど、最後にいい成績とってやりたかった

学問としてのデザインのあり方の違いに話を戻すと、
最大の違いはプロセス、過程の重要性の違いだと思う。

デンマークではプロセスをどれだけ積み重ねるかが本当に重要事されている
スケッチをたくさん描いて、実際に手を動かしてモデルを作り、試行錯誤を重ねて行く過程が大事になってくる。
だから、少し違うな、この方向性じゃないかもな、と感じていてもとにかくつくる。
つくって、試してみて、そっから考える
たとえ結果自体は上手くいかなくても、その中に次に繋がるヒントが隠されているかもしれないから。

こうやって言葉で書くと、
「まあ、そりゃそうだよな。トライするのって大事だよな」って感じちゃうけど、正直想像を超えるレベルだと思う。
少なくとも俺はそうだった。

最初の頃はめちゃくちゃ戸惑った
自分はまだコンセプトみたいなのが固まっていなくて、手を動かすどころか頭の中で概念と格闘している間に、周りの連中はシンプルに自分の興味の向くところからどんどん制作を進めていく。

それでコンセプトは上手く落ち着くの?
ってずっと思ってたけど、それも最早ズレた考えだなって今は思う。
はっきり言って、こっちのデザイン教育の中にいわゆるKITで言うところの"コンセプト"の重要性はほぼない、と思う

例えば課題で椅子を制作するとしたら、KITならば今の社会状況や市場の流れや、素材など何らかの背景からデザインのタネになりそうなところを探す。
それに自分自身の感覚やアイデアを組み込んでいくってのが、何となくの流れなんじゃないかなと思う。

けど、KADKはちがう。
こっちでは椅子をつくる課題で
「美しい背もたれのある椅子が作りたいです。なぜならそこに面白さを感じるから、以上」でコンセプト段階は終了って言える。
少し大げさに書いてるし、当然こっちの学生も色々考えてるけど、個人的な体感の違いはこんな感じ。
KADKでは個人が持つ興味や意志に対して否定的な意見を言うことはほとんどない、それはその人個人のものだから。
そのためにKADKの学生はみんな自分が面白いと感じるものを見つけるアンテナの感度と、そのシャープさがとても高いと思う

だから学生もコンセプトの段階でグジグジ悩むことがない
最初に何が自分的に面白いと感じるかリサーチ(あるいは試作)して、そっからどんどん進めていく。
だからアイデアが固まってから最終的に出来上がるものに辿り着くまでの時間が長くとれるし、そこのクオリティと速度がものすごい速い。
必然的に出来上がるものはめちゃくちゃ美しくなる。

これは自分がKITでしてきたことと大きく違うなと思う。
KITでは寧ろほとんどの時間を「自分が何を提案するか考える」ことに費やす。
考えて、考えて、
「今の社会にはこれが必要だ。理由は〜だから。」って筋道立てて言うことに全力を注いでいる。
ある意味そこで燃え尽きてしまって、そこからかたちや細かいところの試作を重ねることもそれほど無く、一気に最終制作にジャンプする。

そうすると何がおこるかっていうと、
あれだけ時間かけて色々考えたのに、最終的に出来上がったものが機能しない。若しくはかたちとして美しくない。
何とも悲しいものが出来上がる

全然KITでのコンセプトに重点を置くことが悪いって話してるんじゃない。
こっちで他の学生のプレゼン聞いてると、
「それ作って、なんの意味があんの?」って正直思ってしまうことも少なくない。
やっぱりコンセプトは凄い重要だと思う
特にプロダクトの分野、これだけ物が溢れているって叫ばれている中で、自分がつくるものの重要性や影響が客観的に語れないものは今後作っていくのは難しいんじゃないかと思う。

結局ベストなのは両方できることなのは間違いないのは言うまでもない。
固まったコンセプトから充分なプロセスを経て、最終的に"良い"物をつくる

でも京都とコペンハーゲンにデザインの教育機関があって、両者ともどちらかに傾倒していることを実感すると、中々デザイン教育の場で両方を貫くのは厳しいのかなとも感じる。
とは言え、今後デザイナーとしてやっていくには決して無視できないポイントだし、この段階で両方のやり方を経験できたことは大きな財産だと思う

前学期で7の評価を受けたときに、このことは強く感じたので今学期は徹底して試作を重ねた。
スケッチも日本にいたときの何十倍も描いたし(かなり上達した気がする)、模型もちゃんと後々重要になることを感じながらたくさん作った。
それでもってコンセプトもしっかり詰めた。

だから今学期のプロジェクトはどれもかなり自信があった
周りの学生や先生からの評価も良かったし、個人的な手応えも感じていた。
だからこそ最高評価がとれなかったことが悔しかった

試験後に先生にどうしてか聞いてみたら、まだコンセプト段階のところに時間をかけすぎていると言われた。
すでに自分の中で面白そうなタネは見つかっているのに、そこにトライするまでの時間とトライする効率が悪いそうだ。
トライするのに躊躇しているのか、他の理由があるのかわからないが、そこの速度をもっとあげないと、最終的なもののクオリティを充分にあげる時間が確保できない

死ぬほど悔しいが全くもってその通り

まあ気分晴れ晴れ、完璧な気分で京都に帰るより、宿題をいただいた気持ちになって悪くないなと思う。

最後にこれまでに話してきた考え方の違いから、KADKとKITでもう一つ決定的に違うことを書いておきたい。
それはプレゼンのあり方

KITでは例えば卒業制作を例にとると、4〜5分デザイナーがプレゼンして、そこから2分間あるのかないのか分からない質疑応答があり、後日紙面にて成績が伝えられる。

KADKでは例えば今回の学期末試験の場合、だいたい15分プロジェクトのプレゼンをして、そこから10〜15分試験官とプレゼンをもとにディスカッション。その後5分くらい学生は席を外して試験官たちで話し合って成績を決め、その場で成績とコメントをいただく

やっぱりここでもプロセスの重要性の違いが大きく出ているなと思う。
しかしこれに関してはどっちも良さがあるとは思わない
はっきり言ってKITの現在のプレゼンとその評価の仕方は最悪だと思う
少なくともデザイン教育の場所がすべきことではない。

学生のプレゼンが5分なのは、まだ納得できる
長すぎてダラダラ話してもしょうがないし、要点をまとめて伝える能力は必ず必要だから。
ただ教授の質疑応答のあり方は本当によくないと思う
2分なのはどう考えても短すぎてなんの議論も生まれないし、教授の数が多すぎてお互いに気を使ってるのか、そもそも教授からの発言すら生まれない。
しかもその場では何も伝えられず、後日思い出したかのように成績が伝えられる
このやり方で徳をする人が誰もいないように感じてしまうのが虚しい。
例え実際の社会のやり方がそうだとしても、それを大学内でしてしまうのは半ば大学の存在意義を自分たちで捨ててるようなもんだよな

最後のほう急に愚痴になってしまった。
でもこれは帰ってから何とか変えられるように働きかけていきたいと思う

また少しずつ色んな方向性からこの一年間で感じたことをまとめていけたらなと思う。
書きなぐりの状態で思ったことを書き連ねているので、読みづらいと思うけど、もし読んでくれた人がいたらまた意見交換したいな

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