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今は少し自分のいる場所が見えなくなっている気がする。
デザインの考え方に関して、それと将来のことに関して

どちらも真っ暗のなかで、とても明かりとは呼べない暗闇の濃度が薄い灰色のようなものが前方に見えている感覚だ。
どれくらい行けば、その灰色が明るくなってクリアに物事が見えるようになるのか見当がつかない

ちょうど今年の春で4年間、大学に入ってデザインの勉強をしたことになる
3年目の半分のときにコペンハーゲンに留学して、半年が終わり、
今日から残りの半年が始まった。

最もやりたい事、大抵は
難しそうなこと、誰も挑戦してなさそうなことに飛び込んで、
最初はうまくいかなくても、
諦めずに続けることだけに専念できるならば、
足掻いていればいつの間にか上手くいくようになると思っている。
思い上がっているかもしれないけど、そういう風に回っていると信じている
自分の尊敬する人はみんな、そうやっていると信じている


留学のときも、そう思って大学院のコースを選択した。
実は自分はまだ学部を卒業すらしていない

海外の大学院は大抵の人が学部を卒業した後に一度就職して経験を積んでから入学してくる。
そんな中で自分が入っても、ある意味実力の面では及ばないことはわかっていた
それだからこそ留学する意味があるんだ、
自分と同じか、自分より下のレベルのとこに行ってもしょうがないだろう、と思って、
しんどくても足掻いてやってやれば自分の糧になるって思ってやってきた。

案の定だが、留学の半分が終わって
自分の課題が山のように見つかった。
今まで気づかなかった駄目なところが沢山出てきて、正直凹んでいる

だが、凹み切ってはいない。
多分それは自分が学問の中にいると感じているからだと思う
「自分は学んでいる身分なんだから、できないことが沢山ある方が幸せに決まっているじゃないか。」っていう思いがある。
これが良いのかどうかわからない
なぜなら、その状態は自分が自分に責任を追っていないから感じる部分もあると思うからだ。
支えてもらって今の自分が「成り立って」いる、正に文字通り
責任がないから、能力が至らなくても生きていける。

けど、自分の責任で生きていくって、そんな次元の話じゃあない
今日改めて再確認した。


今まで感じていたような、やりたいことに飛び込んで
至ってない自分がそれを続けることで
自分で自分を成り立たせることができるのか。

今は無理だとして、経験を積んでいたら
いつかそれは実感として感じられるのか
「今の自分ならできる、成功できる。」って感じる日が来るのか
周りの人が認めてくれたら、例え自分で感じていなくてもそのタイミングがきたってことなのか

自分で気づけるその確信が来るのを求めて待っていても、いつまで待っても来ないような気がする。
大切なものは度胸とタイミングと運
それとも計画性なのか

きっとまだ自分でどんなかたちであれ自立したことがないから、
答えがわからないのだと思う

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