「ガチャ上の楼閣」第1話
「新しいゲームの世界設定、担当してもらいたいんだけど」
その言葉は、小椋文見(おぐらふみ)の人生の中で一番嬉しかったかもしれない。
テストで満点を取ったこと、短距離走で一位を取ったことより嬉しい。大学の合格発表を見に行ったとき、企業から内定の電話があったときより嬉しい。高校生のとき、好きな男子から告白された言葉より……たぶん嬉しい。
文見はその言葉を会社の会議室で聞かされた。
相手は自分の務める会社の社長。
社長といっても、従業員が5、60人ほどの小さい会社だ。出会ったら平伏して通り過ぎるまで頭を上げてはならない、といった威圧感を持つ億万長者社長との面談ではない。学校の先生ぐらいの気持ちで、毎日のように顔を合わせ、気さくに会話をしながら仕事をしている。
「あたしがやってもいいんですか!? シナリオなんて書いたことないですよ?」
「やりたくないならいいんだけど、やりたい人はいっぱいいるだろうし」
「やります! やらせてください! やらせていただきます!」
文見は即答した。
ここはゲーム会社ノベルティアイテム。スマホゲームやアプリを作るベンチャー企業である。
主力タイトルであるスマホゲー「エンゲージケージ」は絶好調で、会社の顔とも言えるオフィスをオタクの聖地・秋葉原の綺麗なビルに移すことができた。そして、さらに売り上げを伸ばすため、「エンゲージケージ」に続く新作ゲームを作ろうとしていた。
文見はその新作ゲームの世界観や設定を作ってほしいと言われたわけだ。
それはゲーム業界において「シナリオライター」と呼ばれる職種の仕事だ。下流ではキャラのセリフやト書きを書き起こしたり、会話イベントのスクリプトを打ったりする。上流はそのキャラ自体を生み出したり、キャラの住まう世界を設定したりする。まさに神、世界の創造主ポジションだ。
これまで下積みで、データやスクリプトを打ったり、ゲームをモニターしてバグ報告したりなど、雑務しかやってなかった文見にとって、夢にまで見た憧れの仕事である。
「よかった。若い層に響くゲームにしたくてね。若者文化に造詣が深い君に任せたかったんだ」
造詣が深い。なんてビジネス的でスマートに相手を褒められるよい言葉なんだろう。
これが経営者と被雇用者という関係ではなく、友達間で言うようなざっくばらんな言葉にすると、「サブカルに沼ってるキモオタが適任だろ」になる。
「は、はあ……」
ゲームの根幹となる世界設定担当は、入社三年目の文見にとって大抜擢といえ、非常に嬉しいものだった。でもちょっと複雑な気持ちもある。
大抜擢の理由に、先月の人事評価面談において、オタクであることを猛烈アピールしてしまったのが思い当たったのである。
ゲーム会社に入社してるのだから、社員はだいたいオタクである。しかし文見はちょっと上を行っている。自作衣装でイベントに参加するコスプレイヤーなのだ。
大学のころ、とあるスマホゲーにのめり込んでしまった。異世界から召喚された美男美女が地球を救うファンタジー作品で、月商何十億と言われるほどのビッグタイトルである。
推しのゲームキャラが好きすぎて、販売されているグッズを買い占めるだけでは飽き足らず、自分で衣装を作り、自分でそのキャラになりきってしまった。
もともと裁縫が上手だったり、美術が好きだったりするわけではない。ネットで調べながら裁縫を手探りで始めたら、思いのほかはまってしまい、大学生活の大部分を使ってしまった。今ではかなり慣れたもので、時間さえかければ全身フル装備を作れるほどになっている。凝り性だったは元来のものかもしれない。
また、これまでオシャレとは縁が遠かったが、コスプレから化粧やウィッグを学び、まさに別人になれるようになってしまった。実生活にも応用され、女子力上がったね、と古い友達に言われるようになったのはよい効能といえるかもしれない。
はじめは人前に出るのがかなり恥ずかしかった。背は高いほうなので、衣装を着て立っているだけでも見栄えがして、通りかかった人が「すごいね」「かっこいいね」と褒めてくれた。ちなみに、もっぱら男性キャラのコスプレをしている。
慣れてしまえば快感となっていった。そこにいるのは自分ではなくて、アニメキャラ。まったく別の自分なのだ。もしかすると、役者の人たちもその感覚があまりにも爽快で人前に立っているのかもしれない。
しかし、アニメやゲームのキャラになれたり、みんなに見られて褒められたりする、というコスプレ体験はすごく斬新で嬉しいものだったが、誰にでも話せることじゃなかった。
一般人には絶対言えない。変に興味を持たれたり、奇異の目で見られたりして、人間関係が激変してしまうはずだ。
また、エントリーシートや入社面接のお決まりの質問で、「大学のときに取り組んできたこと」というのがある。特定のことに熱意を持って最後までやりきったことが、企業に評価されるのだ。
文見の場合、これは間違いなくコスプレだった。コスプレを通じて、物作りやデザインを学んだり、人と協力して一つのことに取り組んだりしたのは、他では得られない貴重な経験だ。就職活動で話そうか思ったが、ドン引きされてしまうリスクを考えて、結局話せなかった。日本の会社は奇抜な人より、忠実な人を好むものだ。
「小椋はいろいろ詳しそうだからな。それに、売れるゲームを作るには、こだわりが強いのがいいと思うんだ」
「は、はい……」
できるだけ話すべきでないと思っていたが、前回の人事評価面談では、社長にポロっとカミングアウトしてしまった。
すでにゲーム会社の中にいるし、元証券マンでまだぎりぎり三十代の社長は、誠実でありながら愛嬌もあって、なんでも話してしまいそうになるのだ。
一時間にわたって自分の好きなゲームについて熱く語ってしまった。
世界観のこだわり、キャラの造詣、イベントの作り込み。そして、ゲーム内に広がる世界を現実で表現するために努力しているのかを語ることになる。その世界にある素材がどんなものか解釈して、現代のものに置き換えていく。お金や時間には限りがあるから、再現するのにできるだけ安く、そして簡単に加工できるように工夫していく必要がある。
……などなど、話しているときは楽しくて仕方なかったが、今思い返すと恥ずかしくて死んでしまいそうだ。
「でも、あたしなんかがやっていいんですか?」
社会人歴2年、ゲームクリエイター歴2年、シナリオ未経験。ゼロからゲームのシナリオを作ってほしいと言われて嬉しいが、やはり荷が重いのではないかと思ってしまう。
「こういうのは経験より、愛とかやる気だよ。私もゲームなんて専門外だったわけだし。小椋には愛があるんだと思ったんだけど、やる気はどうかな?」
先日の熱弁のおかげで、文見がただゲーマーというわけではなく、世界観を深く理解し、楽しんでいることが社長に伝わったわけである。恥ずかしいカミングアウトも報われそうだ。
「もちろんです! やる気あります!」
「じゃあ、よろしく頼むよ。あとで企画書送っておくから目通しておいて」
「はい! 勉強しておきます!」
社長は会議室を出ようとしたところで、振り向いて言った。
「次は何のコスプレするの?」
「はひっ!? あ、いえ……。け、検討中です!」
文見はきょどってしまう。
コスプレの話はせずに済むと胸をなで下ろしたところだったのだ。
「じゃあ、うちのゲームのキャラなんてどう? 宣伝になるし、お金も出していい」
「か、考えておきます!」
趣味を上司に知られるのは諸刃の剣だと文見は思った。
さすがに自分が開発しているゲームのキャラになるのは、ちょっと違う気がする。
(それより、コスプレしてるのを社員みんなに見られるとか、マジ無理だから……)
「なんかいいことあった?」
「え?」
「その顔」
「ああ……」
会議室から席に戻ってくるなり、隣席に座る同期の久世京祐(くぜけいすけ)に話しかけられた。
きっとアホに見えるだろうから、一回トイレに行って浮かれる気持ちを抑えたつもりだったが、顔に出ていたようだ。
感情が顔に出やすいとはよく言われる。そういうのは隠せないものなのかもしれない。
「大きな仕事、任されちゃった」
「新プロジェクト?」
「情報早いね」
「まあな」
久世はウインクしてみせる。
チャットコミュニケーションの申し子で、仕事中よく社内チャットツールでいろんな社員とやりとりをしている。そのため、こういうニュースのキャッチが早い。
元来、人なつっこい性格で、面と向かったコミュニケーションもなかなかのもの。楽観的でお調子者で信用されないこともあるが、気軽に話せるやつとして社内外で人気者だ。
「シナリオやらせてくれるんだって」
「シナリオ!? すごいじゃん! 新プロジェクトってことは、始めから書かせてもらえんの?」
「そう。世界観担当だって」
「いいなあ、うらやましい! 俺も大きな仕事やりてえ!」
下積みで共に苦労してきた同期に言われると、自分がどれだけ恵まれているかが分かり、文見は嬉しくなる。
「そんなことないよ。新しいプロジェクトなんて絶対大変だし、シナリオも書いたことないからなあ」
謙遜で言ってみるが、嬉しさはきっと隠せていない。
「小椋は頑張ってたし、みんな期待してるんじゃない? 俺もうまく行くと思ってるぜ」
「そうかな、そうだといいんだけど……」
久世はいつもこうして図ることなく褒めてくるから、恥ずかしくなってしまう。
「そういう大抜擢があるのは、小さい会社ならではだよな」
「あー、そうかも。大手だとシナリオはベテラン社員がやってて、若い人は全然関われないとか聞いたことある」
「ゲーム全体に影響するから大変だというのもあるんだろうけど、そういうの独占したがるよなー」
「ああね……。『自分がこのゲームのお話書きました。なんでも聞いてください』ってインタビューで自慢できるおいしい仕事だから、手放したくないかあ」
三年目社員がシナリオを書けるのは、業界全体からすると相当ラッキーだった。久世の言うとおり、小さい会社だから起きることだろう。
小さいゲーム会社に就職するのに不安はあったが、改めてこの会社に合格してよかったと文見は思う。
「ところでさ、土曜日暇?」
「土曜日?」
「デートとか入ってるならいいんだけど」
「別にないけど。分かってていってんの?」
「一応、聞いてみただけ」
「なんだよ……。暇だけどさ」
高校時代、文見にも彼氏がいたが、大学が違ったので別れてしまった。その後、コスプレにはまってしまったり、入社して忙しかったりで、恋人とはまるで縁がなかった。背が高く、胸が小さいことから、男性より女性に人気があったりする。
久世とはただの同期でただの友達でしかないが、このタイミングで誘われると、密かに好意を持っていたのかと少し勘ぐってしまう。
「佐々里が会社やめるんだって。久しぶりに同期で集まらない?」
「え? 佐々里?」
自分のことではなかった。
佐々里裕太。一緒に入社した同期だが、数ヶ月前にノベルティアイテムをやめていた。
「待ってよ、転職したばっかじゃん」
「そうなんだけど、いろいろあったんだってよ」
「ふーん」
同期は小椋文見、久世京祐、佐々里裕太、そして木津観月の四人。ノベルティアイテム創業以来の新卒採用で、大切に育てられた。他の社員はすべて中途採用で少し年が離れていることもあり、四人は公私ともに関わることが多く、とても仲が良かった。
それぞれオタトークも聞いていて、文見がコスプレをやっていることは同期も知っている。
「暇だし行くよ。観月は?」
「木津も来るって。これで久しぶりに四人揃うな」
「久しぶりと言っても、佐々里君がやめたとき以来だから三ヶ月前?」
「いいだろー、何回集まったってー」
「それは別にいいんだけど、なんでやめるんだろ。さすがに早すぎない? 有名なゲームをやらせてもらえるとか言ってなかったっけ」
「『ブレイズ&アイス』な。今週もセルラン50位内キープ!」
「すごいじゃん」
スマホゲームはストアごとにセールスランキング(セルラン)が公表されている。100位内に入っているゲームはかなり売れていて、社会的に認知度が高く、それを開発しているゲームはかなり儲かっていることを指す。
売り上げのほどんどはガチャ。好みのキャラを得るためにガチャを引くが、10連ガチャでだいたい2000円から3000円ぐらいかかる。しかし当たるとは限らず、多くのユーザーが繰り返しガチャを引くことになり、1キャラのために10万円近くかけるのも珍しくない。
テレビゲームの相場が6000円から1万円程度で、一人のユーザーが一年に数本購入するといわれている。平均するとテレビゲームの売り上げは、一人あたり一年で数万円だろうか。
スマホゲームは一ヶ月で10万円、テレビゲームは一年で数万円。圧倒的にスマホゲームのほうが儲かる構図になっている。
セールスランキングのトップは、月商数十億だと言われている。
ゲームも映画も製作費が10億を超えると超大作と言われる。だが、トップゲームは一ヶ月でその製作費を上回る売上を上げてしまう。しかも、それが毎月のように続くのだから、儲かって仕方ない。
とあるアニメ監督の作った実写映画は、一ヶ月で興行収入が20億円だったという。テレビゲームのパッケージが1本8000円とすると、20億円売り上げるには25万本販売する必要がある。
比較すればスマホゲームがどれだけ儲かるかが分かるだろう。
ガチャの上に建てられた楼閣は、どんな老舗企業よりも高くそびえる。ガチャの前には、積み上げた歴史など足もとにも及ばないのだ。
ノベルティアイテムも同様にスマホゲームで大きな利益を上げている。歴史の浅い会社が、すぐに利益を上げることができないお荷物の新入社員を採るのは非常にリスクが高い。けれど、四人新人採用しても問題ないぐらい、儲かっている。だからこそ、文見にシナリオを任せる余裕もあるのかもしれない。
「なんか事情があるみたいなんだよ。みんなで聞いてやろうぜ!」
「そりゃね」
仕事をやめると宣言したからには、けっこうな理由と愚痴があるはずだ。
佐々里が関わっている「ブレイズ&アイス」は、プレイはしたことないが文見もよく知っているゲームだ。知名度のあるゲームを開発できるのは楽しいだろうし、友達にも自慢できる。そしてきっと給料もいいことだろう。どうしてその会社をやめることになったのか非常に気になった。
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