「アスペル・カノジョ」は、シナリオ創作論のアンチテーゼ

「アスペル・カノジョ」
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「アスペル・カノジョ」は、シナリオ創作論のアンチテーゼである。

シナリオというのは、主人公が困難を乗り越えて成長する物語だ。
主人公や登場人物に何かトラブルが発生する。しかし主人公は苦労しながらも、そのトラブルを解決することによって成長する。
しかし、アスペルガー症候群(以下、ASD)においてはそれが成り立たない。

●「アスペル・カノジョ」の冒頭

その名の通り、この漫画はASDの女性のお話。
同人漫画を書いている主人公(自閉症気味)のところに、ファンを名乗る女性が現れる。
ブログなどにアップした写真から住所を特定したという。
強引さに追い返すこともできず、泊めることになるが、人の布団の中でリスカをする。
その後も、他人の飼い犬を突然蹴飛ばしたりして、主人公はドン引きしてしまう。
だが、彼女は父親に犬の檻に閉じ込められていた過去を知る。

ヤンデレとかメンヘラとか言葉があるけど、そういう領域を越えている。
そういうのは可愛い女だから保護したい、という下心があるが、そのレベルではないのだ。
主人公はこのままだと自殺するに違いない、と思って保護する。


●あなたならどう書く?

女の子がパニック障害で泣き叫んでいる。
そこで男主人公が取る行動はなんだろうか?

たいていの人は、「優しく抱きしめる」を選択するのではないだろうか。

それはなぜか?
人を慰めるのに一番抱きしめるのが良いし、何よりそれが一番絵面がいいからである。
そして、パニックを起こした彼女に対して、抱きしめるという1ステップで解決すれば、展開がすごく楽だ。
主人公の活躍によって困難を残りきった。彼女と仲良くなった。なんて綺麗なお話だろうか!


しかし、ASDはシナリオのご都合と違って、そんな簡単に解決するものじゃない。
なぜなら明日も同じようなことでパニックを起こす。
抱きしめるのは一時しのぎにしかならない。

シナリオには一度解決した困難は二度とつまづかないうルールがある。
たとえば、主人公は人を信用しないという弱点があり、それを解決したら、その後ずっと人を信用して行動することになる。
なぜか?
同じ失敗をされると、まったく同じシーンができてしまうし、解決したシーンが存在する意味がなくなってしまうからだ(解決できてないなら、それは解決シーンじゃない)。

ASDでは毎日のようにパニックが起こる。
だから毎日抱きしめる、では同じシーンばかりになってしまう。同じシーンばかり見せられても嬉しくないから、そんなのはシナリオじゃない。

ここで、シナリオライターは恥じねばならぬことに気付くであろう。
「彼女が泣いてるから抱きしめる」という選択が、いかに安直であったかを。

人と人のドラマでは、しっかり相手に向き合わないといけない。
相手は一般的な女性像そのままの女性ではない。唯一無二の女性だ。
その人の問題を解決するには、一般的に最適だと思われる「抱きしめる」をできるだけさけて、その彼女へだけのアプローチを考える必要があろう。


●一歩進んで、二歩下がる

「アスペル・カノジョ」では、ASDと向き合うことに、一歩進んで二歩下がるような描き方がされている。
何かを改善しようと思っても、また別の問題で状態がさらに悪くなっていってしまう。

物語でも主人公を追い詰めるため、あれこれ次から次へと問題を起こすことがある。
だが、上記でも言ったが、一度解決したものは二度と出してはいけない。

物語は読者のために、主人公が成長して前に進んでいる感じを出す必要がある。
でもASDの場合、そんなに簡単には前には進めない。同じ問題で何度もつまづいて、下手すれば一気にバッドエンドが近づいてしまう。

ここでシナリオライターは思うだろう。
シナリオはなんてご都合主義なのかと。
基本的に主人公や登場人物はハッピーの方向に近づいていく。
でも、現実はそんなに甘くないのだ。


●エンディングのない人生

あれこれあって、主人公とカノジョは成長して絆を深め合っていく。
シナリオライターはどんなエンディングを迎えるか考えることになる。
あなたはどんなエンディングを考えるだろうか?

これは男と女の物語でもある。
なら、ハッピーエンドを描きたくなる。
その最たるものとして、結婚式があるだろう。
人生で一番ハッピーなものの象徴だからだ。

主人公がウェディングドレスのカノジョを抱きしめる。
なんて感動的なエンディングだろうか。
いや、さすがにそれはご都合すぎる。主人公がドレス姿のカノジョを想像する、まででとどめた方がいいだろう。
そう思う人もいるかもしれない。

「アスペル・カノジョ」では主人公は新聞配達で生計を立てていて、とても二人分を支えることなんてできないからだ。



以下、ネタバレ。



最終巻の告知に「エンディングのない人生」という文言がある。
これはASDの症状が和らぐことがあっても、完全に治って、一般人と同じ幸せを手に入れることはない、という意味である。
つまり、ハッピーエンドなんてないのである。
いや、エンドがないのだ。

おそらくこの登場人物もウェディングドレスを着るようなハッピーを望んでいるかもしれない。
でも自分がいくら頑張っても、普通の幸せを手に入れられないことをわかっている。
手に入らないものを望んでも絶望するだからだから、決して望まない。

だから、「アスペル・カノジョ」は中途半端な形で物語が終わる。
ハッピーエンドは当然ないし、ちゃんとしたエンドもない。
ASDの問題は解決することなく、毎日続くことになるからだ。


ここでシナリオライターは思うだろう。
シナリオライターの書くお話はどんなにご都合主義で、阿漕なんだろうと。
誰でも頑張れば成功する? そんなわけがないのだ。


●シナリオライターの仕事は生き方の提案

シナリオライターの仕事は何か?
よく「こういう生き方はどうですか? 面白くありませんか?」と提案する仕事だと言われる。

そのため、基本的に主人公は困難を乗り越えて成長する。
そして、主人公の生き方が素晴らしいもののように描かれることになる。


「アスペル・カノジョ」は上記のように中途半端に終わる。
そのため打ち切りにあったと言われるが、原作者によると、前から想定していたエンディングだと言う。
そのシナリオライターの目的は、エンディングのない人生を歩んでいる主人公とカノジョを描くことにあったわけだ。
そして、読者はその生き方に感銘を受ける。


この文章を通して、シナリオはご都合主義でろくでもない、ということを言いたいわけではない。
この「アスペル・カノジョ」を通して、普通のシナリオ創作とは違うアプローチをたどることができることを話したかった。
その上で、人に夢を与えるシナリオをアリだし、現実を知ってもらうシナリオを作るのもアリだ。


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