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「ガチャ上の楼閣」第7話

「ちょっと、文見」
「ん?」
「ほらこっち」

 木津にうながされて、文見はオフィス外の廊下までやってきた。

「どうしたの?」
「どうしたじゃないわよ。また変な顔してる」
「そりゃね……」
「またやり直し?」
「うん……。社長はいいって言ってくれたんだけど、生駒さんが納得してくれなくて」

 前回の会議で、生駒に指摘されてから二週間が経過していた。その後、修正してメールでの意見吸収を行ったのだが、また生駒によって阻止されていた。

「あの屁理屈屋め……」
「屁理屈って……まあ、そうなんだけど」

 文見はきょろきょろ周りを見回して、社員がいないことを確認する。

「あの人、ワガママ言ってるだけでしょ。自分の気に食わないことがあると、すぐ反発してくる。いいところがあっても、他に自分が嫌いなシーンがあれば、全部が悪いかのように否定して、めちゃくちゃにしようとしてきてる」
「うーん……そ、そうね……」

 ひどい言いようだが、文見は否定できない。
 生駒は二年上の先輩である。だが前職もゲーム会社で働いていてこの業界のベテランであり、社会人三年目の二人が気軽に批判できるような人物ではなかった。
 けれど、木津の言うことはだいたいあっていた。
 なぜか目の敵にされていて、出すものに対して毎回痛烈な批判が返って来る。
 どこかに一つや二つ、気に食わないところがあるのだろうが、煙に巻いているのか、様々なポイントでツッコミが来るため、一番直してほしいのがどれかいまいち分からない。

「なんで社長はあんなに生駒さんを立てるんだろ……。もう直してる場合じゃないのに」
「そんなの簡単よ。自信がないだけ」
「どういうこと?」
「社長だから、強がって分かってるふりしてみせるけど、社長はシナリオの素人。特にゲームシナリオなんて専門外。自分が考えた話が批判されると、本当に面白かったのか不安になるのよ」
「社長が? 不安に?」

 社長は元証券マンということもあり、言動はいつも自信に溢れ、何事も正しい立ち位置から正解を出してくれるようなイメージがある。
 また、批判されたら不安になるというのは分かる。文見はそのせいでいつも不安だ。こう何度も批判されて、自分の書くものに自信がどんどんなくなっていく。

「『ヒロイックリメインズ』は企画もお金も、自社持ちでしょ? 社長は自分で決めて自分で責任負うしかないから、いろんなところで不安なのよ」
「うん? 自社?」

 文見がまったく理解していなかったようなので、木津はため息をはく。

「ちょっとここじゃアレだから、歩きながら話そう」

 二人はエレベーターを降り、オフィスビルを出る。

「あっつ……」
「あっつ……」

 外に出た途端、二人は外に出たのを後悔する。
 7月に入り、秋葉原の街は太陽光の集中攻撃を受けて、今にも溶けてしまいそうだった。
 観光客が多いこともあり、不思議と秋葉原は他の街より暑い気がする。

「電気屋いこ」

 涼しくてタダでぶらつけるところといえば、大型家電量販店である。電気街を抱える秋葉原では涼む場所に決して困らない。
 自動ドアという、地獄と天国を隔てる門をくぐり、大きな電気屋に入る。
 人の多い一階をさけて、二人は二階から当てもなく店内を歩く。

「それでさっきの話だけど、『エンゲジ』がよその出資で作られたのは知ってるでしょ」
「え、そうなの?」
「ほんと何も知らないのね……。当時、ノベはお金がなかったから、社長のツテで出資してもらってゲームを作ってたのよ。そのとき、大手ゲーム会社も紹介してもらって、技術的な支援をしてもらっていたの」
「そうだったんだ!? 社長すごい!」
「さすが元証券マンってところね。知り合いの知り合いを総動員して、小さい会社ながらゲームを作れる環境を作っていったのよ。それが4、5年前の話」
「へえ、そうだったんだ。観月、なんでそんなに詳しいの?」
「インタビュー記事、ネットにたくさんあるでしょ」
「ああ……」

 言われて見れば、採用面接の前に読んだ気がする。面接で話すネタとして、少しでもノベルティアイテムの情報を集めようと、社長のインタビュー記事を読んだ。
 しかし、あまり意味が分からず、面接では会社の沿革に関して話さないようにしていた。
 夏は自然と扇風機売り場に足が向いてしまう。まったく買う気はないけれど、一つずつボタンを押して性能テストをする。

「『エンゲジ』はノベが作ったゲームに見えるけど、実はいろんな協力会社があってようやく出来たものなのよ。スマホゲーだから分かりにくいけど、クレジットにはたくさんの会社が書いてあるわ」
「ほほー。小さい会社が運良くSSRを引いて、いきなり大ヒット飛ばしたわけじゃなかったんだ」
「間違ってはいないけど、ガチャみたいにただの運で成り上がったわけじゃないの。これまでゲームを作ったことない会社が1本作り上げるのはすごく大変で、だいぶ他のゲーム会社に手伝ってもらったみたいよ。だから、今回の『ヒロイックリメインズ』はできるだけで自社だけでやろうってことにしたわけ。ノウハウも貯まったし、お金も儲けたからね」
「なるほど……。全然知らなかった……」

 文見はヒロイックリメインズ開発の最初期からいるが、そんなこと考えもしなかった。ゲーム会社なんだから当然、新作ゲームくらい、ちょっと頑張れば作れるんだろうと思っていた。
 どこの会社でも、自社がどうやって利益を上げているか、これまでどうやって成長してきたかなどをちゃんと把握している人は少ないだろう。
 目の前で電気製品の説明をしている店員さんも、このお店がどうやってこんな大きい店舗を構えるに至ったか、なんという会社から出資を受けているかなんて知らないはずだ。

「だから社長は絶対に失敗できないのよ。ノベ単体では何もできないんだって、思われたら困るから」
「困る?」
「別に会社のお金について詳しいわけじゃないけど……。新プロジェクトや事業拡大にはお金がいるじゃない? 銀行や出資者からお金を借りるには信用がいるわけ。それはなんといっても技術力。ノベは他社の協力がなければゲームを開発できないんだって知られたら、お金を貸してもらえなくなってしまう」
「なるほどねえ……」
「『エンゲジ』では他の会社にアドバイスもらえたけど、今回は誰も教えてくれないから、ゲームの肝であるシナリオでつっこまれると、先に進んでいいのか不安になる。生駒さんはシナリオが専門じゃないけど、ゲームの開発知識はけっこうあるから、そこまで否定されると無視できないんだろうね」
「そういうことか……」

 ようやく社長があそこまで生駒の意見を採り上げる理由が分かった気がする。
 「他のライターやクリエイターの監修を受けたほうがいい」という意見を気にしていたのも、そういう事情があるのかもしれない。
 それは重々承知だが、今回はできるだけ内部でやりたいと思っているに違いない。

「でも、不安だからといってスケジュール遅らせるのはなあ……」
「そうね。生駒さんがシナリオライターならそれに従うのもいいかもしれないけど、職歴、職種全然関係ないし、結局答えは出てないわけだから、なんの意味もない。完全に社長として器量が足りてないわね。生駒さんに頼ったところで、技術的に解決してくれるわけでも、責任取ってくれるわけじゃないのに依存しようとするんだから。文見に任せた以上は文見に任せるべきよ」
「観月……」

 社長や先輩社員に厳しい意見を言う木津を不安に思ったり、自分を信頼してくれるのを嬉しく思ったり、複雑な気持ちで変な顔になってしまう。

「でも、気を付けたほうがいいわよ」
「え? 何を?」
「社長はあなたに責任を押しつけるかもしれないわ」
「えええっ! 社長がそんなことするかな?」
「だってこの状況で他に悪い人いる? あんたは生駒さんが悪いと思ってるかもしれないけど、社長はむしろ生駒さんが正しいと思ってるんでしょ」
「うっ……」

 確かにこの遅れている状況は、自分が悪いか社長が悪いかの二択である。社長が己の非を認めない限り、自分のせいになってしまいそうだ。

「ああ、そうだ言い忘れてた。周りのパートの状況もよくないよ。進行がかなりまずいことになってる」
「うーん……だいぶ待たせてしまってるもんね……」
「さすがに我慢できなくなって、グラフィック系のパートでは、社長に直訴しようって流れになってる」
「直訴!?」
「このままじゃスケジュール間に合わないから、何とかしてくださいって。もしかすると、文見を下ろしてくれってお願いするかも」
「下ろす!?」
「シナリオ担当者を変えてくれ、つまりクビにしろってことね」
「ちょちょちょ……! 意味は分かってるから、『クビ』とか言わないでよー!」

 仕事において一番耳に入れたくない言葉だ。
 自分がそうなりかねないことは、すでに意識していたが、他人に言われるとかなりドキッとする。

「そんなとこまで行ってるの……?」
「もう怒り心頭って感じ。スケジュールが遅れたら自分のせいになっちゃうからね。問題になる前に、社長に言っておけば責任回避できる」
「ひどい! ……いや、あたしが遅れてるのは事実なんだけど」

 他のパートは何も悪くなかった。むしろ巻き添えを食らってしまっている側だ。
 その直訴も社長批判ではなくて、自分たちの状況を改善するためのものであったり、感情的に困窮を訴えるものであったりすれば、社長も気分を害しないかもしれない。

「直訴なんてことになったら、社長は担当者を変えざるを得ないかも。文見の責任じゃないと社長が思っていたとしても、状況的に周りは文見が悪いからクビになったと思うはず」
「クビ……」

 文見は急に目の前が真っ暗になり、立っていられなくなる。

「ちょ、ちょっと……!」

 倒れそうなところをとっさに木津が支えた。

「ごめん……急にめまいがして……」
「大丈夫なの? ちゃんと寝てる?」
「あんまり……」

 木津が支えてくれるが、うまく立ち上がれない。

「救急車呼ぼう」
「そこまでじゃ……」
「顔真っ青だよ」
「外が暑かったせいかな。しばらくすれば治るって」

 クーラーと扇風機のコンボが決まった風がひどく冷たい。確かに体がかなり冷えてしまっている。
 木津は説得を諦めて、通路に設置されているソファーに文見を連れていく。
 腰を下ろして壁にもたれかかると、少し楽になった。

「ありがと」
「無理しすぎなんじゃない?」
「あはは。無理しないわけにはいかなかったからなあ……」
「……ごめん。クビとか言って」

 一緒に隣に座っていた木津が立ち上がり、突然頭を下げた。

「ちょちょちょ、なに!? 謝らないでよ」
「面白がってクビとか言っちゃった。頑張ってる人に無礼だよね……」
「そんなことないよ! あたしがダメだからこうなってるんだし。……まあ、ほんとにクビになったらショックだけど……」
「それは……」

 本当なら「クビになんてならないよ」と否定してあげるところだが、木津は自身の性格のため、きっぱり言ってあげられなかった。
 事態がここまでいってしまっては担当者変更もやむを得ない。また、変更になったほうが文見の体のためだとも思ったのだ。

「クビかあ、仕方ないよね……」

 社員としてクビになったらまずいが、シナリオ担当はクビになってもしょうがない事態になっている。それは文見も重々承知していた。

「誰か他の人やってもらったほうがいいよね。そっちのがプロジェクトのメリットになるし、あたしも限界だし」

 自嘲気味ではあるがこれも文見の本音だった。

「文句言ってみれば? 社長に」
「え?」

 文見はちょっと驚いた。
 木津ならば「だったらやめれば」と突き放したような言い方をすると思っていたのだ。

「確かにこんなことになったのはあんたのせいだけど」
「うっ……」
「でも責任はあんただけにあるわけじゃないでしょ」
「担当者はあたししかいないから、あたしの責任なのかも」
「それはそうだけど、あんたに指示出してるのはプロデューサーとディレクターでしょ。上の人に従ってやった結果なんだから、そいつらに責任取らせればいいのよ、私らの何倍、何十倍のお金をもらってんだから。あんたがしょいこむ必要なんてない。グラフィッカーは文句言うんだから、あんたも言う権利はある」
「うん……」

 木津の言う通りだとは思う。
 でも、「仕事で困っているので助けてほしい」「自分は悪くない」「社長が悪い」と主張できるほど、文見の心は図太くなかった。

「文見は頑張ってると思うよ。シナリオも読ませてもらったけど、よくできてる。でもうまく回ってないのは権限がないから。本来なら『シナリオディレクター』のような役職もらって、『もう直しません。これで行きます』って言い張っていいところよ。でも社長が能力もないのに自分でハンドリングしようとしてるから、こうなるの」
「シナリオディレクターかあ」

 ゲーム会社によっては、シナリオディレクターという役職者がチームを率いる。小規模なゲームだと存在しなかったり、ディレクターや他の担当が兼ねたりする。

「リーダーシップを発揮しないリーダーなんていらない。ここは文見より社長をクビにすべき!」
「えー!?」
「まあ、冗談だけど、それがプロジェクトのためだと思うわ。上の人が日和ったら、みんなが迷うことになるから、決めるときは決めてくれなきゃ困る」

 そう言うと木津はソファーから立ち上がった。

「今日は早く帰りな。これからもっと大変になるんだから、ちゃんと休まないと」
「うん、そうだね。たまにはゆっくりするよ」

 木津が手を差し出してきたので、文見はその手を取って立ち上がった。

 文見は会社に戻ってちょっと仕事をして、定時に上がることにした。
 シナリオ担当は相変わらず一人なので、日時の決まった仕事がなければあとは自由なので助かる。

「まだ明るいんだ」

 ちょっと前に夏至を迎えて、今が一番日が長い時期である。
 日が出ているうちに帰るのはひさびさで、夕方の秋葉原はまだまだ暑かった。
 観光客や買い物客も大勢いて、駅につくまでその間をすり抜けるのに苦労する。

「あの、すみません」

 その途中にスーツの男性に話しかけられる。
 秋葉原で道を聞かれるのは珍しくない。仕事帰りに電気屋やホビーショップに寄ろうとする人がけっこういるのだ。

「はい?」

 疲れているので、気付かないふりをして無視しようかと思ったが、明らかに自分を呼び止めていたので、文見は仕方なく立ち止まる。

「おっ、やっぱり文見だ」

 相手は既知のように言ってくる。
 確かにそれは文見もよく知っている人物だった。
 背が高く、短いスポーティーな髪型に、人なつっこい顔。細身のスーツがよく似合い、あどけさがなくなっているが、間違いない。
 八尾道成(やおみちなり)。文見の元恋人であった。

「道成!? どうしてここに!?」

 八尾は高校時代に付き合っていたが、卒業時に分かれてそれっきりであった。
 友達づたいにウワサを聞いたことはあったが、連絡は六年以上取っていない。

「仕事で、今職場が秋葉原なんだ」
「えっ、奇遇! あたしも秋葉原!」
「うわっ、すっげー偶然!」

 二人は都立高校の同級生である。
 八尾が地方の国立大学に進学することになってやむなく別れたが、決して喧嘩別れではない。当時はかなりつらい思いをしたが、もう六年も経っているのでいい思い出である。
 そのため再会は気まずいものではなく、久々に会えて互いの見た目や環境が変わっているのを知れてとても嬉しかった。

「時間ある?」
「うん、全然大丈夫!」

 今日早く帰って休もうと思ったが、かつての恋人の誘いをむげにできるわけがないし、自分も興味が遥かに勝っている。
 二人は駅から少し離れた静かな喫茶店に入った。相手も秋葉原勤務ならば、メイド喫茶に入ってみるというネタをやる必要もないだろう。

「うわー、めっちゃ久しぶりだな。元気してた?」
「まあね。最近忙しいけど、何とかやってる」
「やっぱ忙しいのか。ゲーム会社に入ったんだって? スマホゲーの」
「えっ!? なんで知ってるの?」
「ああ、友達に聞いた」
「そ、そうなんだ……」

 ゲーム会社勤務というのは自慢ではあったが、友達みんなに知られているとなると恥ずかしい。
 それと元彼がまだ自分に興味を持っていたのもこっぱずかしい。

「ちょっと待って。偶然って言ったけど知ってたの?」
「ああ……うん。知ってた」

 素直に自白する八尾。おどけた顔は大人になっても可愛いらしい。

「同じ秋葉原なんだから、いつかは会えるのかなーっておぼろげに思ってた。でも、まさかばったり会っちゃうなんてなー」
「ほんとだよ! すっごいびっくりした!」

 最近深夜勤務ばかりだったから、偶然会うにしても確率はそうとう低かったかもしれない。今日は早く帰れてよかった。

「道成は? 何やってるの?」
「某有名電機メーカー」
「すごいじゃん!」
「これでも旧帝国なんで」

 八尾はわざと見栄を張った笑い方をする。
 そういえば、その笑顔が好きだった。実際よりも大げさに笑ってみせて、場を和ませたり、相手を喜ばせたりするのだ。

「と言っても、子会社の子会社なんだけどな!」
「子会社?」
「世界的メーカーでも、その本体にいるのはわずかで、あとは子会社の所属なんだよ。分野ごとにいろいろ分かれている」
「へえ、そうなんだー」
「プレステでおなじみのソニーだってそうだろ? 電機、音楽、映画、ゲームとかたくさん分かれていて、さらにその下にも死ぬほどある。1000を超えてるとか聞いたぜ」
「1000!? すごっ!」

 ソニーの子会社は1300近くあるという。

「まあ、俺はそんなにすごくないってことだな。ちっちゃい会社の営業で、今は研修と称し、電気屋の販売員をやらされてる」
「電気屋? どこで働いてるの?」
「Bカメラ」
「うおっ! 近っ!」

 Yカメラだったら、今日倒れてたのを見られたかもしれないと、ほっとする。

「文見はあのでっかいオフィスビルだよね」
「うん。社長が見栄張って借りてる」
「見栄って……。ガチャで儲かってるんだって?」
「儲かってるねー。スマホゲーはほんとすごいよ! あたしなんかを雇えるぐらいに!」
「なあに言ってんだよ! 実力で勝ち取ってそこにいるんだろ。誇っていい」
「えー、そんなことないよー」

 八尾はなんだかんだで褒めてくれる。
 最近褒められることがないのと、懐かしさでむずがゆく感じる。八尾はあんまり女の子っぽくない文見を好きでいてくれたのだ。

「そういえば、まだやってるの、コスプレ」
「え?」
「写真見たよ」
「えっ!? ええっ!? どこで!? どこで見たのっ!?」

 八尾が文見のコスプレを知っているわけがないのだ。
 それは大学時代の友人の仲でも親しい人しか知らない。高校時代の友達には誰にも教えていないはずだった。

「最近、偶然見つけちゃった」
「ええええーっ!!!」

 文見の絶叫に、喫茶店の客が皆振り向いた。

「す、すみません!」

 文見は顔を真っ赤にして謝罪する。
 真っ赤になったのは大声を上げて迷惑をかけたからではない。もちろん元彼にコスプレ写真を見られたからである。

「ど、どどど、どうして見つけられたの……?」

 顔が熱すぎて沸騰しそうだった。
 文見がコスプレやっているとは知らないはずだし、一般人はコスプレ写真を見ないし、探しもしない。文見の写真を見つけられるわけがないのだ。
 それにウィッグも化粧も本格的にしているので、ほとんど原型が残っていない。
 だから文見は世間に対して恥ずかしがらずに歩いていられる。

「ドラファンにはまって、コミュニティ入ったら写真回って来て。レインめっちゃカッコイイじゃん。似合ってる!」
「コミュニティ!? 回って!? どこそれ!? やめて! 今すぐ削除して!」

 ドラファン。ドラスティックファンタジーのことで、日本で誰もが知っているゲームだ。へビーなゲーマーでなくてもプレイしている人は多いので、それ自体は八尾がやっていてもおかしくない。
 また、大衆の前でコスプレをしているのだから、写真に撮られてそれがネットの海にバラまかれているのはもちろん知っている。だが無名の素人コスプレイヤーの写真が、誰かに気に入られて共有されているとは思いもしなかった。
 これは文見の人生史上最大級に恥ずかしいことかもしれない。

「これ? このスマホ壊せばいい?」

 文見は八尾のスマホを奪い取る。

「おいおい待てよ! 落ち着け! スマホ壊しても意味ないって!」

 スマホを地面に叩きつけようとするので、八尾はさっと奪還する。
 手元からスマホが消え、文見はそこで我に返る。

「あっ、ごめん……」
「大丈夫、落ち着いて落ち着いて」

 八尾はスマホをもう取られないようにポケットにしまい込む。

「そんなに取り乱すなんて思わなかったよ」
「取り乱すよ! 暴走するよ! 破壊するよ!? ……でも、なんで写真なんか……」
「いやあ、俺もビックリしたさ。はじめて見たとき、なんか既視感あるなって思ったんだ。そして妙に惹かれるんだよ。他のコスプレとかも見て分かった。これは文見だから気になるんだって」

 文見の顔から火が飛び出る。

「ひいいいい!? スマホ出して! 早く! 壊さなきゃ! 破壊しなきゃ! 抹殺しなきゃだよ!!」
「おいおいやめろって。まあ保存してるよ? 当然な。でも、消してもいいけど、ネット上でいつでも見られるぞ?」
「うっ……」

 こんなところでデジタルタトゥーの怖さを思い知るとは思わなかった。
 自分でも自信のある衣装だし、キャラへの理解もあるいいコスプレだとは思うけれど、知り合いに所持されてしまうと、脅しのツールにしかならない。
 文見がコスプレしていることを知っている社長が興味を持って調べ始めたら大変だ。しかしネットの海にある写真を消しようがない。やはりカミングアウトしたのは失敗だった。

「別に恥ずかしがることないじゃん」
「嫌だよ……無理だよ……」
「可愛かったし」
「死ねーー!!」

 思わず手元にあった自分のスマホを八尾に投げつける。
 八尾は反射的に顔をかばうように腕を上げるが、見事スマホをキャッチする。

「あっぶなー。暴力反対!」
「お前が変なこと言うからだよ……」

 八尾が返してくれたスマホをそそくさとカバンの中にしまう。自分のスマホまで壊してしまいそうだ。

「まあ、元気そうで何よりだ」
「全然よくない……」
「でも顔色よくないよな」

 八尾が顔を近づけてくるので、とっさに逃げてしまう。

「無理だけはすんなよ。また倒れるぞ」
「倒れないよ」

 高校のときの文化祭準備で、毎晩遅くまで作業していて、あるとき急に倒れたことを思い出す。
 クラスメイトが騒然としている中、担ぎ上げて保健室に運び込んでくれたっけ。

「寝不足か? 昔からお前は凝り性だからな。コスプレも、ゲームも本気でやってんだろ?」
「う……」
「ははっ、いい仕事に就いたんだな」
「そ、そうね。それはそうなのかも」
「じゃあ、今日はこの辺でお開きとするか。本調子じゃなさそうだし」

 文見の凝り性が変わらないのと同じで、八尾の察しの良さと優しさも変わらないようだった。

「うん。今度は仕事の話聞かせてね」

 もうしばらく八尾と話をしていたという気持ちはあったが、ずっとペースを掴まれたままなので悔しい。
 そして、疲れているのは間違いないので、今日は家に帰ったらゆっくりして、早めに寝たほうがよさそうだった。
 しかし、すごく懐かしかった。こんなに気持ちがはしゃいだのは高校以来かもしれない。

「あー……変な声出したな……」

 翌日、出社するとすごいことが起きていた。
 結論から言うと、設定とプロットが確定した。
 社長がこれ以上の修正は行わず、このまま進行すると宣言したのである。
 なぜそうなったかは、出社早々、久世が教えてくれた。

「おい、大変なことになったぞ!」
「何が? あたし忙しいんだから手短にね」

 文見は久世の話を耳だけで流しながら、パソコンを起動させる。

「昨日の夜、木津が社長に直訴したんだって!」
「直訴? なんの話?」
「だから、木津がプロットを承認してくれって、社長に言いに行ったんだよ」
「え? 観月が……?」

 社長がプロットを承認したのにも驚いたが、木津が直訴したことはもっと驚いた。
 直訴と言えば、昨日グラフィッカーが文見をクビにしろと直訴するかもしれないと木津が言っていた。

「あたしのため……?」

 木津があまり人のために無茶をするように思えないが、文見を気遣ってくれたのだろうか。

「先手を取ったのかな」

 他の人間に直訴される前に、自身が直訴した。そんな戦略的な作戦であるならば、木津がやりそうだった。
 きっと文見が帰った直後、文見がいないのをいいことに、社長へアタックしたのだ。

「社長を社長席から引きずり出して、会議室に連れて行ったんだってよ!」
「いやいや、観月がそんなことしないから。観月なら、いきなり社長席に行って『話があります!』とかみんなの前で騒ぎ始めて、ばつが悪くなった社長が観月を会議室に連れていったんでしょ」

 観月は昨日話していたような、鋭い指摘を社長にぶつけたに違いない。あの返しをするのは、社長でもかなり苦しいはずだ。
 文見はチャットツールを立ち上げると、社長がプロジェクトメンバーに指示を出しているのが確認できた。
 久世が言ったように、設定やプロットは確定し、それに従って作業せよ、と書かれている。
 返答を見ても特に荒れた様子はない。社長に異見することなく指示を受け入れて、粛々と作業を開始しているようだった。

「な、ほんとだろ?」
「すごい……。ほんとにやったんだ……。で、観月は?」

 文見は立ち上がって辺りを見回す。
 いた。
 木津はすでに出社して仕事をしていた。

「よかった。問題にはなってないのね」
「その場にいなかったから分かんないけど、かなり騒然としてたみたいだぞ。いやあ、社長の器が大きくてよかったよ。いつも先輩ぐらいな感じで気さくにしゃべってくれるけど、やっぱ相手は社長だからなあ。俺たちとは住むところの違う経営者様で雇用主様。逆らったらいきなりクビ切られるかもしれないんだよな」

 文見はそれを聞いて、高級車に乗っていた天ヶ瀬を思い出した。
 社長であることを気取らない、いい社長ではあるのだ。外界とは遮断され、高級な調度品に囲まれたような社長室を設けず、同じフロアに席を構えている。いつでも話しかけられるように、相談に乗れるようにという配慮がある。
 でも、法律関係としては雇っている側と雇われている側だ。

「観月、言い過ぎてないといいんだけど……」
「嫌われそうなこと言ってそうだよな……」

 現代日本の労働環境では、社長に逆らったからといっていきなり退職させられるということはない。だが疎まれていい仕事をもらえなくなるというのはよくあるだろう。

「木津だったら、自分の立場悪くなろうが、戦っちゃうんだろうな。いや、『こんな会社にはいられません』とか言って会社やめちゃうか」
「あー、ありそう……じゃない! 変なこと言わないでよ!」

 文見は急に不安になってきた。
 木津が自分のために社長と戦ってくれて、それで働きにくい状態になっていたら嫌だった。あまりにも申し訳ない。

「ちょっと話してくる」

 チャットを送ってもよかったが、重大な問題なので直接話したほうがよいと思った。
 文見は木津の席にいって、手を強引に引っ張って外へと連れ出した。

「観月、大丈夫なの?」
「何が?」

 平然としたトーンの声。
 相変わらずの返事だった。

「直訴の件よ」
「ああ、おしゃべりな久世から聞いてると思うけど、おそらくだいたいその通りよ」
「ほんとに社長に話したの? あたしの書いたプロットでやれるようにって」
「勘違いしてるようだけど、別にあんたのためじゃないわよ。これ以上遅れたら私が困るからやっただけ」
「それはそうだけどさ」

 文見は笑ってしまう。
 木津ならそう言うと思った。少しでも文見を思った行動だとしても、絶対に認めないだろう。

「話はそれだけ? ようやく動けるようになったんだから、作業に戻るわよ」

 木津の仕事はキャラデザイン。文見の設定が通ったから、いよいよ実作業に入れるのだ。

「ちょっと待って。……ほんとに大丈夫なの?」

 不安そうな文見の顔を見て、木津はふっと笑った。

「大丈夫よ。気にされるようなことには、なっていないわ。思ったより社長が大人で助かったわ」

 相変わらず皮肉めいたことを言うので、文見は本当に問題ないのだと分かった。
 「それじゃ」と言って、木津は席に戻っていった。

「ありがと。いい同期がいて助かったよ」

 ともあれ、「ヒロイックリメインズ」は本格始動できるようになった。
 当初考えていたシナリオよりも面白いとは思えなかったが、一応ストーリーとしては成立している。あとはこれをひたすら量産していくことになる。

第8話
第6話
(第1話)


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