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本、あるいは写真集という魔力

ライアンマッギンレー、アヴェドン、ペン、デヴィッドアームストロング、アレックソス、ピーターリンドバーグ、レスリーキー、ヨーガンテラー、ロバートフランクにメープルソープ、ヴィヴィアンサッセン、エルスケンにロレンツォヴィトゥリィ、ティルマンス、エグルストン、ステファンショア。

今まで写真集という物質により写真家を認識してきたのだと思う。

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上部の写真は2015年くらいのうちの本棚。写真集という手触りがないと自分の中から写真家の実体が消える。どれも擦り切れるほど読み込んでいるため写真だけが記憶の中に魂のように浮遊しているが、写真家との結びつきは弱まり、存在として認識できにくくなる。

どうやら写真家の認識においては写真集という物質性が大事らしい。写真がネガやデータからプリントされて写真となるように。写真というイメージをプリントや本という物質で収集した時、その写真の中の世界をまるで自分の経験かのように捉えられるように。本にはそれだけ魔力があるようだ。

ともなれば、写真家としてこの世界に存在するためには写真集を出版するのが最も手っ取り早く写真家になる方法だと思う。しかし、写真家になる方法、とは自分で書いておいてなんだけれど内容の薄いムック本のタイトルみたいだなと思った。写真家になることはそんなに簡単なことじゃない。小さな子供が将来はプロ野球選手になりたいと、野球クラブにいるほぼ全員が言っていて、ほぼ全員なれないくらいには難しい。

写真家の鈴木親さんが「写真集は簡単には出せないし出さない、本は聖書のようなものだから」というニュアンスの話しをしていたのを思い出した。

今これらの紙の本は、一冊も持っていない。

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