見出し画像

堕落の中にいた自己

今日も怠惰な1日を過ごした。

GW中に彼女と別れてからというものの約2か月何に対しても全くやる気が起きない。生きる気力も湧かない。金も無いから仕事をするしかないのだが、バイトを応募しても返事を返さなかったり面接予定の時刻に遅刻してしまったり、そんなつもりは無いのに体が勝手にそうさせる。

風呂に入るのも怠い。

別れた当初は3日に1回シャワーに浴びる程度だった。今は辛うじて毎日入っている。それでも起きてから6時間は経過してから。今日なんかは起きて6時間ほどぼーっとしてもう一度寝てそこからシャワーに入った。入ってしまえばすぐなのだが本当に面倒だ。時間を大事にしていた過去の自分とは本当に別人のようだ。女一人の影響でここまで変わってしまうのは情けない。

ただ唯一できるのはこのnoteに思いの丈をただ淡々と記すこと。これだけは自発的にできる。書く内容は特に決めてない。ただ乱文を思うがままに打っているだけなのであっという間に1000文字以上に到達してしまい、ただ長く読みづらい文章になっている。

いつも書き終わった後に「また無駄な生産をしてしまった」と一人思う。でもこの需要なんて全く求めていないただ自己満足な文章を書いているこの時間はセンチメンタルにさせてくれるので好きだ。クラシックをiPhoneで探しながらその気持ちをさらに引き起こす。

今の僕が怠惰であることには嘘偽りないが正直もう振られた彼女のことなんてどうでもいい。このセンチメンタルに心地いい今の状態の味付けに過ぎない気がしてきた。書いててそう思うだけでもしかしたら強がりなのかもしれない。それでもまあいい。今はこれが楽しくて自己満足と理解し誰に届けるわけでもなく顔も名前も出さないで書いているのだ。

僕は彼女に相当尽くしてわがままを聞いていたのでこのnoteという白紙の媒体にわがままに駄文を書くという行為は反動なのかもしれない。自分を知る良いきっかけだ。開き直ればネガティブも引っ込む。日に日に痛感する、社会は厳しい。好きなことをわがままにやって需要がある人もいればない人もいてほとんどの人はスターにはなれない。

そんな簡単にスターになれた人達は大衆に努力不足を謳い、僕みたいな人間は自分の理解者に「俺は努力してるよな?頑張ってるよな?」と訴え、そうだとしたら何なのかという問いには決して答えられない。他人からは頑張っていても怠けて見えるかもしれない。お前は怠けてると言われても頷くわけにはいかないけど心の奥底では叫んでる。

いくら考えても何の答えも出ない。

自分はやりたいことをして生きていきたいのか、ただお金が欲しいだけなのか、ただ平凡な幸せが欲しいだけなのか、全部欲しいのか。金があれば何でもできるなんて思ってない。だけどストレスになる。税金や保険料や年金などばかばかしい支払いは生きてれば永遠に続く。金は恐らくあっても無くてもストレスになる。恐らく大事なことは金ではないだろうというのはわかる。

だから今はこんな一銭にもならない文字を打ち続けて自分の日記を書いているのだろう。インターネットがある時代に生まれて幸せだ。紙とペンなんて億劫すぎる。そしてパソコンで文字を打っている姿はどこか仕事をしてる風に見えてスマートにも見えて気分もいい。あわよくばこれが多くの人に評価されれば金にもなる。需要とかどうでもいいと言いながらも心の中の数ミリはそんなことも思っている。

どこまでも都合の良い人間だ。人はみんなこうなのか、自分だけがこうなのか。自分のような人間が多くいるなら人のことは信用なんてできるはずがない。パソコン1台とクラシックを聴きながらスムージーを飲んで下手くそな文章を書き連ねる日々も悪くない。他人が介入してさえこなければここはたった一人の空間だ。

堕落の中にいた自分は腐敗していた。