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図書館と創作に関するあれこれ〜元司書 みさき様へのインタビュー〜

2022年に制作、頒布したバーチャルYouTuberの大浦るかこさん(※)をテーマにした同人誌(二次創作小説本)。

その中で掲載したコンテンツのひとつとして、当時るかこさんが配信内で行っていた読書会にちなんで、2023年まで現実世界で図書館司書として勤務されていたみさき様に、図書館や創作に関するインタビューにご協力いただきました。

個人的に、今振り返ってもとても楽しくお話を伺うことができたインタビューだったため、バーチャルYouTuberに関心がない層にも、普段活字に触れる機会が多くない方にも広く触れてほしいと思い、インタビュー部のみ抜粋して公開します。

※元ななしいんく所属、2023年5月に活動休止、2024年3月でななしいんく運営担当を退職

注:本記事のインタビューは2021年に実施した内容であり、掲載した同人誌は2022年に頒布されたものです


みさき様プロフィール

2023年まで、図書館司書として公共図書館や専門図書館で勤務。
ご自身でも同人活動をされてきた中で、近年は『司書みさきの同人誌レビュー(ねとらぼにて連載中)』や、図書館をテーマにした即売会『としょけっと』の企画・運営、サンデーマンガ倶楽部(ポッドキャスト)など、個人での活動も。

(元)司書 みさき様へのインタビュー

■公共と専門 図書館の違いとそれぞれの役割

——現在は専門図書館にお勤めとのことで、図書館の「公共」「専門」の違いはどのような点にあるのでしょうか。

 大きい点は、蔵書や収集している資料の種類が一番違うと思います。公共図書館は自治体に根付いた機関なので、どの世代の人、どのような人にも利用できるようにというのが大きい点としてあり、またそれに基づいて資料も広くいろんな方の役に立つように、資料の内容も偏りがないようにと意識して集めるところが公共図書館かなと思います。それに対して専門図書館は、一つの分野や物事に対して、というように収集分野が決められていることが多いですし、それに関係しておのずと利用対象の方々も、主にそういった専門性を求めて利用してくださる方を中心として考えることになります。

■図書館と司書というお仕事について

——図書館での一般的な業務内容について伺えますか?

 今の公共図書館は窓口を業務委託という形で専門のスタッフさんを採用していることもあるんですが、現在勤めてるところ(専門図書館)は、そういったことがなく館内のスタッフで全てを回しているので、たとえば表に見える受付ですとか、資料を持って来たりですとか、またはそういった資料の受け入れの整理をしたり館内の利用者さんに向けた広報をしたりとか、そういう全てのことやっています。

——メインとなる利用者のターゲット層以外には、公共、専門によって大きく業務内容に違いはないということでしょうか?

 そうですね、基本的な、資料収集、保存、管理して、利用者に向けて提供するという流れは変わらないです。ですが、公共図書館は原則無料で開館日数も多く、それに比べると専門図書館は利用が有料の場合があったり、開館日数もやや少なめであったりと違いが感じられます。

——一般的な公共図書館は毎週決まった曜日などに閉館日が設けられているイメージがありますが、専門図書館はそうした点も異なるのでしょうか?

 専門図書館も固定の休館日のところが多いですよ。でも、公共図書館と比較すると専門図書館は開館時間が短い印象です。さまざまな施設があるので絶対とは言えず個人的な感覚になってしまいますが。開館日数、開館時間の違いは、自治体に属して広い範囲の人、広い年代の人に広く資料を届けるという公共図書館の役目と、限られた分野をよりよく使ってもらうためというような、利用者層の違い、サービスの方向の違いかなと思います。

——一日の業務の流れについてお聞きします。通常業務はある程度決まった流れがあるものなのでしょうか?

 今私がいる専門図書館では、ある程度のルーティーンがあるにはありますが、作業量が細く多種多様な作業が入ってきます。その中でもありがちな一日を分けるとしたら、大きく分けて「カウンター対応のある日」と「カウンター対応のない日」に分かれます。カウンター対応がある日は、開館時間になったら利用者さんのために扉を開けてお迎えし、対応をして資料を用意したり提供するというのがメインの仕事になります。カウンターの作業をしない日は、資料の整理であったり、資料を受け入れのための選定、それから専門図書館ならではのさまざまな業務があります。専門分野同士の図書館で協力して、全国的にプロジェクトを動かそうというような事業に館として参加しているので、その会議に参加したり、会議のために資料を作ったりすることもあります。

——カウンター業務は当番制になっているのでしょうか?(日替わり、週替わりなど)

 ごく一般的な図書館で私が今まで受けてきたところで言いますと、シフトを組んで回します。ちょっと大きな図書館になりますと、児童室であったり、郷土資料の部屋があるので、そういったところは各部屋付きの係の者で回すというのが一般的でしたし、その当番に入る順番については係ごとのスタッフリーダー的な人がシフトを組んで回すという感じでした。このシフトの組み合わせがまた大変なんです(笑) シフトも図書館ごとにいろいろあって、一時間ごとに組んでいる図書館もありましたし、午前・午後のように半日で組んでるところもありました。今いるところは少人数ということもあって、カウンターにいる日は一日カウンター、というのが多いですね。

■司書としての自分とバックボーン

——本そのものや読書に関心を持ったきっかけやエピソードはありますか?

 実は、これといったものが特になくて、ただ小さいころから本を読むのが好きだったんだと思います。強いて言うなら、過去に周りの大人から言われたエピソードは、私が小さいときに、チューリップを覗き込んでいるから「何してるの?」と聞いたら、「親指姫(※1)がいないか見てる」って答えたそうです(笑) そういうころから物語的なものが好きだったのでしょうね。

※1【親指姫】デンマーク出身の童話作家、ハンス・クリスチャン・アンデルセンの代表作。チューリップの花から生まれた、背丈が親指ほどしかない少女。

——ご家族など身近で習慣的に本を読む方はいましたか?

 振り返ってみると、家に本はありましたが、家族がいわゆるすごく読書家だったというわけではなかったと思います。ただ、書物を読むことについてはとても後押しされていて「なんでもいいから読むのは推奨!」という家庭でした。

——職業として図書館司書を志したきっかけはありますか?

 これははっきりしていて、15歳のときでした。次の学校に進学するタイミングで、なぜかそのときに将来的な職業にはっきり繋がる道を選びたい!と思ったんですね。ただその時点で、自分が将来どういう道で仕事を得るかということはまったく決めておらず、でも、最短距離で行きたい!と思って。私が向いている仕事とか将来なりたいことってなんだろうって、すごく十代なりに考えていた時期があったんですね。そんなときに姉が「あなたは本が好きなんだから司書になればいいじゃない」って言われて、「それです! それですね!」って(笑) それで、そうします、私司書を目指します!って思って(笑) でもそのとき、身近にすごく大きな図書館があったとかではないですし、理想とする司書さんがいたわけではないので、最初は、本がたくさんあってそこにいる人、くらいのぼんやりとしたイメージへの憧れからのスタートでしたね。

——そうした出会いから始まり、現在はご自身のお仕事となった図書館司書について、仕事上のやりがいや難しさはありますか?

 日々、資料に触れ、それを求める利用者さんにアプローチできる立場はすごく恵まれていて、充実しているなと思います。一方で自身の課題は、どうやって専門性を磨き、有意義に仕事に役立てるかということを、自分の中で高めていけるか、ということを感じています。

——2017年から専門図書館にお勤めになって今年で約4年とのことですが、公共図書館から現在の専門図書館へはどのような経緯で移られたのでしょうか?

 自分で選んで現在の館に移りました。今まで勤めてきた公共図書館では、私の立場で言うと雇用の契約期限があるところが多かったり、もしくは更新のタイミングがあったり、さまざまな条件の中でずっとここで長くいるかわからない、ということが何度かありました。そのうちに、どうせなら自分の好きな漫画や、それに類する専門性のあるところに関わりたいなと思っていたときに、今の漫画を専門とした専門図書館の募集があったので、応募しました。

■同人誌との出会い、創作の世界へ

——はじめに、個人でされていた同人活動についてお聞かせいただけますか?

 学生のころに同人誌を始めました。きっかけは、友達のお姉さんがそうした活動をされていて、とっても面白いなと思って。最初はみんなでいろんなお話を持ち寄って、一冊の本にするところから始めて、だんだん個人でもお話を作るようになって、サークルとして参加するようになり今に至る、というところです。

——身近な方がご自身の活動の糸口になったのですね。

 そうですね。ただ、書くこと自体は昔から好きで、いろいろお話を考えたりするのは好きでした。でもそれを本という形で、自分で作って自分で持ち寄れる場があると知ったこと、とても面白かったですね。

——現在『としょけっと』などイベントを企画・運営する立場になり、サークルとしてイベントに参加する側からイベントそのものへ関わる側となったことによる視点や意識の変化はありますか?

 実は、としょけっとや同人誌レビューをやることによって、自分の視点が変わったというふうには自分では思っていません。好きなものを好きに書いている人たちを「こんな楽しいことをやってる人がいますよ」というふうに伝えていけるのは嬉しいなと思っています。これは自分が楽しく同人誌を書いていることにも繋がっていくんですが、特に変わった感じはしていないですね。

 もともと自分が趣味で書いているというところも大きいと思っています。同人誌というものを意識したのは二次創作が最初だったんですけど、その存在を知ったときすごくうれしかったんですよ。まだ同人誌を知らないころ、アニメの番組を見て、「私だったら違うストーリーにする」って妄想していたことがあったんですね。製作者さん側が選んだのはテレビで放送された形なんだなって、納得はしていました。けど自分だったら別のストーリーにした……こんな思いを抱くことは製作者さんに対して失礼なことだし、誰にも言ってはいけないんだと思っていました。でもあるとき、お友達のお姉さんルートなどにより、同人誌という二次的な創作物があって、みんながそれを発表し合っていると知って、すっごくうれしかったんですよ! 「言ってもいいんだ」って。本家は本家で尊重して、それはすごく大事で。でも「自分はこう思ったんです!」というのを言ってもいいと知ったことは、すごくうれしかった。それで、自分にとって同人誌を書いていくということ、誰かに向けて言ってもいい場所というのはとても大事なので、それに自分も参加させてもらってきたし、それを自分が手助けができてるとしたらうれしい、というのは変わらないですね。

——同人誌の製作をはじめとした表現活動をする中で、SNSの浸透もあり、何を求めて表現活動をするのか(ただ自分が作るだけで満足なのか、人に見せたい・知ってもらいたいためなのか)でよく悩まれている方を目にする機会が増えました。そうした、表現活動の目的や本質について、何かお考えになることはありますか?

 自分がやっているのは完全に自分自身の妄想を形にするのが楽しく、かつ誰も反応がなかったとしても世に向けて「私はこんなことがいいと思いました!」というのを表現したいという気持ちです。でもふと「なぜ人知れず一人で山奥で仏像を彫っているだけでは駄目なんだろう」って思うんです(笑) 山の中で自分で彫って、できたものを飾って、それでいいはずなのに、どうしてみんなに見てもらいたいという気持ちが、こんなにたくさんの人の気持ちの中にあるだろうって考えます。
 いろんな段階があるんだとは思うんです。作ったことで満足の人 、見てもらいたい人、すっごくたくさんの人に見てもらいたい人、いろいろですよね。それと話が繋がるかどうかわからないんですが、誰かと話したりするようなコミュニケーションを取ることを本当に必要としない人って、世の中にどれくらいいるのかなって、これもまた考えています。たとえば、人との交流によって傷ついてしまったような過去があったり、自分の理想的な振る舞いがなかなかできないなどで、人とコミュニケーションを取るのが苦手です、という人が多分いらっしゃると思うんです。ただ、傷や嫌な思いを一切抜きにしたときに、それでも自分はまったく他者と触れ合うことに魅力を感じず、一人でいるのだけがいいという人は、どれくらいいらっしゃるのでしょうね。生まれてきた自分の本能として他人と全く触れ合いたくないという人は、意外と少ないんじゃないかと思っていて、人は何かしら他人と交流することに喜びを見出すのが多い種族なんかじゃないかなと。心地よいコミュニケーションというものが、楽しい知識を得る形である読書だったり表現だったりというものを通じて一緒になされていくということに、私は興味があるみたいです。

——他者とのコミュニケーションが遺伝子レベルで人に備わった本能のようなものだと考えると、表現することを通して他者とのコミュニケーションを図ること、表現そのものが人によってはコミュニケーションの手段であるのかもしれませんね。

 表現をする人たちって、他人に見てもらわなくても形にしている人って、どれくらいの割合なんでしょうね。話しているうちに自分の言いたかったことがわかるということがあるように、形にしてはじめて自分が求めていたものが何だったかわかるという意味で創作をしている人ももちろんいると思うんですよね。そういう心の割合と、できたものを他者にわかってもらいたいという気持ちが、心中でどういう割合で起こっているんでしょうね。美術畑の人にも聞いてみたいですね(笑)

■本や読書という活動、その文化

——大浦るかこさんの読書会配信に限らず、人によって読書や読書に関連した活動そのものに敷居の高さを持たれているように思うことがあります。そうしたイメージはどこから生じてくるものなのでしょうか。

 歴史に遡って考えると、何かを記録して残すこと、その記録したものを読み取ることということ自体が珍しく希少だったから、限られた人しかできない技だったということが影響しているのではないでしょうか。それは読み取るというルールを知ることもそうだし、そのための道具、紙とかですね、そういうものが普及しておらず、特権階級の限られた技だった時期があると思うんです。「何かを読み取ること」は学びであって、それはとてもいいことである、限られた人たちがする高尚なことである、ということがまだ引きずられているのかな、という気がしています。その大きなところを活字が支えていて、「活字=学び」だった時代があったりして、そうしたところが堅苦しく見せている、ひとつのハードルかもしれませんね。
 それなら、活字を読み取って自分で理解するということに対して、それをより楽にするためのルールというのを、もうちょっとわかりやすく学ぶことで、活字や読書に対しての難しそうという印象は変えていけるんじゃないかと思っています。
 読書という行為が、紙に印刷され、綴じたものを開いて読む、という形に限定されるのであれば、そうしたことから「読書が難しい」ということになるのかもしれません。今はツイッターで140文字を読んで「このハートマークはいい意味で使われている」、「これはやや嘲笑の意味で使われている」など、テキスト上から感情を読み解いている。文字からの読み取りができないわけでは決してないと思うんですよ。むしろ状況によっては繊細に受け取っている。そう考えると、紙に書いたものが印刷されて綴じられているもの、それをどう読んでいくかという話になるのかもしれません。単純に紙に書かれた印刷を読むという行為や、長文を読むというリズムを慣れてもらったりという慣れの問題だとも思います。読書するということが紙に書かれたものをどう読んでいくというものなのか、情報をどう読み取り、自分の中に落とし込んでいくかというものと、二通りあるような気がします。
 たとえば紙の本でページをめくるのに慣れてない人に対して、タブレットなら楽に読めるならそれで全然かまわないと思います。もちろん印刷された本から受ける色だったりフォントだったりという情報もたくさんあるので、そうしたものが媒体間でどこまで共有できるかはまた別の話になるとは思いつつ、ひとつの情報や物語に対して、いかに情報を取り込んでいくかということを考えたときに、ハードルを高くしているのが本という印刷された物の形なら、違うアプローチもあり、ですよね。今いろんな道具、たとえば印刷された紙であったりタブレットだったり、もしくは耳から聞くオーディオブック的なものもあります。何をどういう形で表現されたものを選ぶかということを選択できるので、いろんな状況に応じて適切に選んで便利に使っていくことでいいと思います。また一方で、ひとつだけじゃなくて他の道具も使えるようになるとすごく便利になるので、テキストだけではなく、色彩や大きさまで味わえる本に触れてもらえるようになると、とても楽しいかもしれませんね。

——人によってハードルの高さを感じる点は異なる中で、「読書」をするうえで自分が触れやすいツールや手段を固定観念に囚われずに自由に選択する方が増えるとうれしいですね。

——読書という行為だけでなく、リアルな読書会のような集まりに対しても同様にハードルの高さや、実際に参加して他の参加者との関係性にギャップや抵抗を感じてしまったというケースがあるようです。そのような状況について、何かお考えになったことはありますか?

 場を作るときになるべく参加者に差異がないように楽しんでほしいときは、軽いルールを作ることでうまく回るんじゃないかと思ってます。たとえば一方的に喋ってしまう人がいる
としたら、それは発言時間の長さを調節してみるといいのか、それとももうちょっと踏み込んで、相手に対して断定的な言い方で追い詰めないようにしましょう、といった細かに踏み込んだルールを作った方がいいのか。何かしらのルールを周知することで、ある程度の居心地の悪さのようなものを軽減するのに繋がるんじゃないかと考えることがあります。みんなに理解してもらいやすいルールを作ることで、平均的にというか、おしなべて不快さを和らげるようなことができるんじゃないかと思っています。
 それに繋がってくるのが、「よいコミュニケーションとはどういうことか」というのが、もう少し世に一般化されてもいいんじゃないかなと思います。多分、今学んでいる小さな子供たちは学校でディベートとかって学びますよね? ときに誰かの立場に立ち、ときに自分とは違う反対の意見を持って何か討論するということを、一定世代以上の方はそうしたやり方での教育を受けていないわけで、そうすると当然、誰かと意見を交わすということに対して論理立てて学ぶ機会がなかったと思うので、ある程度、どうすることによって参加している場のコミュニケーションがうまくいって、結局は自分のためによい場になるのかということを明確にすることが、もう少し大事なのかなと思っています。ただそれを聞いたところで難しいのが、オリンピックの挨拶の話(※2)ではないんですけど「5分で話してって言われたけど13分話しちゃった」みたいな場合(笑) そういう抑えきれない何か、みたいなものをうまく自分でコントロールしつつ、自分にもストレスにならず定められた時間の中に言いたいことも、自分の気持ちも全部詰めるというのは一種の「技術」だと思うんですね。みんなにとって心地よい場にし、引いては自分も気分よくするための技術、そこに自分の気持ちも伝わるよう、言いたいことも言えたという実感を持つことができるようなさまざまな技術が、実は感覚だけの話ではなく論理的に言語化できることもたくさんあるのではと思ってます。もうちょっとみんなの中で「あれは技術が絡むものだからみんなで練習しようぜ!」というような意識がお互いに持てるようになれば、もう少し違ってくる気がしています。

※2【オリンピックの挨拶】2021年7月の東京オリンピック閉会式にて、国際オリンピック委員会のトーマス・バッハ会長のスピーチが13分間に上ったことに対して、インターネット上で注目が集まった。

■創作物としての本を通した他者の存在、そのかかわりについて

——今回のテーマである大浦さんは、YouTube上での配信活動として読書会を開いていますが、実際の図書館から利用者に向けた、利用者間の交流を目的とした企画や催しはありますか?

 本を通じて利用者さん同士で交流を深めてもらおうという点では、読書会のようにテーマを持って、その本についてお話ししてもらうというのもありますし、もっと踏み込んだところで言うと、『図書館婚活』をしているところもあります(笑)
 婚活のような一歩踏み込んだイベントを自分の館ではやったことがないんですが、もしやるとしたらちょっと気になるところはあります。図書館は人によってはヘビーユーザーで何度も通ったりして、かつ地方だといくつも図書館があるわけではなくて、その図書館だけを使ってる人が多いと思うんですね。そうすると、迂闊に知り合ってしまうと拗れた時に「気まずい」レベルで来にくいというのから、ストーカーのようになってしまったり、待ち伏せされたりというところまで想像してしまって……。そうした個人情報の扱いをどこまでオープンにするかというのを考えると、もし自分がやるとすると準備を周到にしたいな、と思うところかもしれません。ただ、全国的に図書館での類似したイベントはいっぱい開催しているところはあるので、現地ではきっとさまざまに注意、工夫されて実施されているのでしょうね。

——昨今、人種やジェンダーと表現についてさまざまな意見がありますが、表現や創作活動を行ううえでの他者への「配慮」について、どのように捉えていますか?

 最近思っていることは、同人誌そのものを作ることに昔に比べたらルールが増えたなと思っています。特に二次創作はどのような権利かとか、そのようなことにはみなさん非常によく語られるようになりました。著作権やそれに隣接する権利、公表権というようなことがごく普通に、そうした権利について専門的に勉強していない方でも、そうした権利があるということを理解して、じゃあどういうふうにバランスを取っていけるのかというのを考えはじめているのが今だと思います。安心して作品を楽しんだり不用意に読み手を傷つけることにならないのだったら、それは歓迎すべきことだと思う一方で、作ること、表現することが萎縮しないようになるといいなとは思っています。でもそれは社会通念とも混じり合ってくるので、難しいところですね。

——こうした問題は一つの答えを出すことが非常に難しいテーマでもありますが、すぐに答えが出せなくても、考え続けることそれ自体が重要でもあるように思います。

 そうやって受け入れる人が増えるといいなと思います。今は白と黒を分けるのが非常に重要視されているのではないでしょうか。長い時間をかけてその時々で悩んでいく、というような考え方そのものを受け入れられる人が増えてきたら、もう少し楽になるような気もします。

——ただ一つの確かな答えが出しにくい問題だったとしても、誰かに与えられた正しさを鵜呑みにするのではなく、常に自分で考え続ける姿勢を持っていたいと思います。

——個人的な話で恐縮ですが、自分がよく「百合」と呼ばれるジャンルの作品に触れることが多い中で、仮にフィクションではあっても現実にそうした性的指向を持つ方がいるテーマをある種の娯楽として消費することについて、悩ましく感じることがあります。みさき様がこれまでの同人誌活動を通して、そうしたことについてお考えになったことはありますか?

 私が創作に触れはじめたころって、BLというジャンルが全くの空想として受け止められる時代だったんですね。むしろみんなは空想としてそれが好き、というのが大前提っていう空気があったと感じています。異性とのリアルな恋愛じゃなくて、「夢」として私たちはあれが好きなんだ、という声があった時代だったんですけど、今、そうした性的指向を持つ人たちの声が聞こえたり、実際の事情がよくわかってきたりとか、身近な感じが出たときに、あえて「私BLが好きなんです」って言い切ることの怖さとか、相手がどう思うかとか、こんなにリアルに同性同士の恋愛が社会に浸透している中であえて「BLです」と言い切ることの背景に何があるんだろうかとは考えます。なので仰るように、「百合が好き」ということをエンターテインメントとして捉えるのか、実際の自分の嗜好として考えたときにどうなのか、と思ったときに、その悩ましさがわかるような気がします。

——過去の表現と創作の歴史の変遷からも、多数の方が「フィクション」と見做していた時期もあったことも理解する反面、現実に今の自分が直面する課題として捉えたときに、なかなかこれも明確な答えが出しにくい問題だなと感じます。話題にするにも人を選ぶ内容だなと(個人的には、あくまで創作として同じ趣味を共有できる相手の存在は純粋にうれしいとは思います)

 そうですね、今とても繊細なところだなと思います。その繊細さが、ここ一、二年で今まで以上に急激に増しているのを感じています。
 世間的なところでは、たとえば男性同士の恋愛界隈でいうと「おっさんずラブ(※3)」というドラマが世間的にも大ヒットしたように、そうしたジャンルが認知されて理解されやすくなった一方で、プライベートなことをどこまで公にしていくかということに対して、世間の動きがとても繊細化しているなと思います。もっと突っ込むと、有名な方が結婚したときに子供がいるかどうかに言及するようなことは聞くべきなのかどうなのか、もう置いておいていいんじゃないかという考え方もあったり、そうした流れがすごく急激に変わりつつあるのは感じています。

※3【おっさんずラブ】2016年から放送された、主人公と周囲の男性たちとの間の恋愛模様を描いたドラマシリーズ。

——某大学でのアウティングの件でもありましたが、今後そうした意識の変化はより加速度的に強まっていくのかもしれませんね。

■紙と電子、それぞれの媒体における本の役割

——「若者の本離れ」や紙の図書が売れないという声が叫ばれて久しいですが、そうした販売・流通側の変化と図書館の利用者状況について、司書業務を通して感じられることはありますか?

 日本図書館協会の統計で、2021年度の集計と経年変化が出ているんですけど、実は公共図書館の場合は図書館数は年々増えてるんです。ちょびっとずつなんですけど。2019年は3,306館だったのが、2021年は3,316館なので10館増えてます。ただ、職員数は減っていたり。蔵書数は少し増えていますね。ほとんど横ばいなんですが、2019年と2020年の違いでは資料の貸し出し数がやや減っているんですが、これはコロナ禍が影響していると思うと、図書館の状況から言うと激減というほどの流れではないとは予想されます。ただ、ピークだったころというのは確かにあって、そこからは段々下がってきているので、そもそも下がってきている最中ではあったと思います。データ上では個人貸出数が一番多かった2011年から減少傾向にはありますが、体感として読書する人がとても少なくなっている、という感じでもないような気がします。

——この数年間でスマートフォン、タブレット向けの電子書籍サービスや、各出版社から漫画配信アプリのリリースが急増していますが、そのような中で読み手側の変化についてお気づきのことはありますか?

 私は今、漫画の専門図書館にいるので、館にいらした学生さんとかにいろいろ聞くんです。「今、漫画何で読んでます?」って。そうすると、やっぱりアプリとかを使って読んでいるんですけど、紙で買ってますという人も割といるんですよ。「電子とかじゃないの?」と聞くと、「いや、私は紙派です!」って(笑) 今のところはまだ、漫画が好きと仰る方の中には、好きな作品は単行本で買うと言ってる方も多いんです。ただ、作品に出会う場所自体は圧倒的に今、電子の画面上になっていて、おすすめのレコメンドで上がってきたりとか、無料になっているのをきっかけにその作品を買うようになりました、という時代になっていて、出会い方が変わってきているなというのと、もう一つは雑誌を買わないというのがはっきり出ていて。私が衝撃的だったのが、高校生の方だったと思うんですけど「大学生になったらバイトをして(漫画)雑誌を買うのが夢なんです」って言われてました。たとえジャンプ+(※4)とか、漫画が集まるプラットフォームがあるという感覚があったとしても、漫画雑誌本誌を買って継続的に読むというのは、もう若い人の中ではかなりレアケースになっているんだなというのを実感すると、まず雑誌、週刊雑誌や月刊雑誌で漫画が読まれ、それが単行本になっていくという作り自体が変わっていくんだろうなと。そう思うと、これが週刊とか月刊というペースに縛られず作品をもっとよく追求したり、自分の好きなペースで刊行したりということも適うような制度作りになっていくのか、そこから逆に外れてしまって「同じ雑誌に載っているから〇〇目当てで買ったけど、この作家さんも面白いから続けて読もうかな」みたいな出会い方が減っていくという、一つの出会いの方法が少なくなっていくという方に変わっていくのか、代わりになにか新しい出会い方が生まれていくのかというような動きは感じています。

——紙の雑誌を買うことが憧れになる感覚には驚きを隠せないところではありますが、漫画との最初の出会い方そのものが従来とは変わってきているのですね。

※4【ジャンプ+(プラス)】集英社からリリースされている、スマートフォン向け漫画閲覧アプリ。

——前述のように今後の世代では漫画、活字に関わらず紙の本に触れる機会がより少なくなっていく可能性が考えられますが、そうした状況の中で図書館としての現時点からできる、または行っているような取り組みはなにかあるのでしょうか?

 以前私が公共の図書館にいた段階で、ご家庭に一冊も本がないという子は珍しくなかったんですよ。公共図書館から小学校に出張しに行ったりすることがあるんですけど、本の使い方やいろいろ教えてもらいましょうというときに話すのは、まず本は汚れた手で触ったら汚れが移っちゃうから、手を洗ってから読むと汚れが移らないよ、とか、ページをめくるときはページの端を持ってゆっくりとめくるといいですよ、そうしないとページが破れちゃうんですよ、というような本の扱い方から話すんです。それは今までの図書館では紙の本がメインで収集されていたからです。紙の本があまりに長い時間において優れていたので紙がメインになっているんだと思うんですけど、現状でも紙以外の資料もいろいろあります。これからも紙の本が優位に使われていくのだったら紙の本を利用者さんに向けて馴染ませ、触れさせていくような意味で役に立てると思いますし、もっと紙以外の物も便利な道具として広がっていくんだったら、それも図書館は収集し、いろんな人が使いやすいようにPRであったり、提供していく役目なのかなと思います。電子のタブレットで読むタイプの道具や資料を図書館で導入すると、電子書籍の読み方とかタブレットの使い方講座を開く図書館さんも多くて、それは新しいツールの紹介そのものが利用者さんの世界を広げることにも繋がっているのではないでしょうか。何にせよ、情報を収集しているだけ、箱の中に情報が詰まっているだけでは図書館はダメで、それを利用してもらうためによりよく整理して提供する形なので、資料をどう人に届けるか、そのために努力することが図書館の役目だと思います。同時に、努力するだけでなく、よりよく提供していくことが図書館の役目だと思いますし、それはもしかしたら、近い将来、未知のものになってしまった本に触れてもらうことかもしれないし、今は未知のものであるタブレットに触ってもらうことが役目かもしれないし、そういう資料と使ってもらう利用者さんとの間に立っていくというのが、図書館だったり司書の役目かなと思います。

——置き場所の問題や「読めればいい」と電子書籍を選択する方も増えていますが、単なる情報媒体としてだけでなく、実際に手に取って手元に置いてもらえるような紙の本ならではの魅力や利点は、どのような点にあると思いますか?

 一つ大きく感じたことがあるのは、ビジュアルを表現する側がコントロールできるのがとても大きいと思っていて、たとえば何年か前に夏コミで会場から少し離れたところの喫茶店的な場所で休んでいたら、隣にいたお若い男子二人組が買ってきた戦利品をワクワクしながらそこで広げていたんです(笑) まあまあ、そこにいる人たちは全員「そういう人たち」だから、そんなものだと思ってそっと見守っていたんですが、その子たちが「あー、やっぱ画集良いわ!」って仰っていて、もうひとりの子が「だろ?」って、そんなやり取りをしていたんです(笑) 確かに、多分この子たちは普段スマートフォンやタブレットの画面で漫画やイラストを見ているんだと思うと、A4サイズの見開きにどん!と作品が載っている同人誌は画面が広く、それは絵を見るのが楽しいでしょうと。そう思ったら、これは作者さんが、このくらいの絵の画面比率で見てほしいとか、これくらいの絵の大きさで堪能してほしいと思ったら、紙に印刷している本はそれが適うなって思って、こんな大きさで見てほしいとか、こういう色合いで見てほしいとかが、画面の大小や解像度といった読み手の環境に限らず、モノとして美しい「この形で見てください!」というのをそのまま受け取れるのって、本という形がある良さだなって思います。細かいところで言うと、紙の手触りであったりとか、重さであったりとか、そういう物に由来するところにまで気を使って作品という一つのものに繋げられるのは、「モノ」がある良さだなって思いました。

——紙だからこその利点や魅力を生かせる本という媒体に触れていただけるきっかけが、今後多くの人にあるといいですね。

——ちなみに、即売会イベント等でよく手に取る本のジャンルや島はありますか?

 今、同人誌レビューの連載を持っていることもあって、でるだけ多くの島を回ろうと思っているので特別これ!というわけではないんですが、気がつくと鉄道や交通系の本が多めになってしまっているので気をつけています。あえてその島を目指して行ってるわけではないんですけど、面白いなと思う率が高いので、気を抜くと鉄道とかバスとか、そういう本ばかりになってしまっていて(笑) 単純に旅行記とか、駅弁や駅舎に注目して実際に旅したところも面白いですし、時刻表を淡々と追っていたりとか、鉄道の橋のプレートを記録されていたりとか、そういう人が普通注目しないようなものを形にし、みんながそれを楽しんでいる様が好きなのかもしれないです。

——同人誌との出会いという点で、昨今のコロナ禍もあり、同人誌即売会のようなイベントが中止になるケースが続いていますが、新しい作品についての情報収集はどのようにされているのでしょうか?

 このコロナ禍以降ですね、すっごく苦労していて(笑) まず即売会が開かれないので単純に出会う機会が減ってしまったので、行けるタイミングで興味がある即売会は以前より意識的に行っています。それ以外に、いわゆる同人誌書店さんにも前よりは比較的よく覗くようになったと思います。もう一つは、ツイッターやSNSで情報収集することもあるんですが、その中で、作家さん数名で集まって開催するようなグループ展に本を出しますという情報があって、そこに行って本を買う、ということもあります。同人誌即売会ではない、もっと個人的な小さなグループの催しで取り扱われている同人誌をピンポイントで買いに行くということが増えました。一時期はまったく何もかもイベント開催がダメだったころに比べると、みんなそれなりに推し量りながら試行錯誤が進んできて、小さな規模からそれが実現してきているなと感じています。同人誌即売会があると、自分の足で見ていてなんとなくふらっと、で出会いができやすいんですが、現状はそうでないので、よりがんばって情報収集しています。

——現在のコロナ禍以降、今までさまざまな会場で開催されていたイベントがオンラインにシフトされるケースが増えていますが、その流れの中で物理書籍や現実の図書館に主眼を置いたアプローチ等は考えられていますか?

 そうですね、これから先、たとえコロナ禍が落ち着いたとしても、何かしらのオンラインでのイベントはこれからも残ると思います。その方が便利ですし、たくさんの人に受け入れてもらえるということもあると思います。一方で、そういう状況で進みながら、何かとどういうふうに出会っていくのかとか、わざわざ足を運んでもらうことの価値とか意味というのを考える時代が考えていたより早く来たと感じているので、急いで考えなきゃいけないのではと思っています!

——昨年は「としょけっと」もオンライン開催されていましたが、実際に開催の場をオンラインに移してみての内外の反応について伺えますか?

 オンライン開催してみての感触としては、オンラインになって参加のハードルを下げた部分があって、それはたとえば、今まではグッズとか本とか何かしらモノがなければ参加できなかったところを、ブログ単位やnoteの一記事単位で参加可能にしたんですね。なので、より気軽にいろんな作品への道標になったかなとは感じています。もちろん、本をBOOTHで販売したりとか、同人誌専門書店さんにリンクを貼ったり、今までの直接の作品に結びついていくのと同時に、新しい場所への道案内もできたと思うので、それはとってもよかった面だと思うんです。ただ、としょけっとの大きいポイントは、図書館総合展(※5)という大きな総合展の一会場で開催し、そこで人に出会ってもらう、普段同人誌というものをあまり知らない人にもPRできるというのが大きな点でもあったと思うので、オンラインでも一応図書館総合展へのリンクは貼ってもらっていたんですが、そこからもう一歩踏み出してもらったり、更に作品個別に向けてうまくガイドを付けたりというような、オンラインの場作りがかつてのオフラインの場と同等にみんなにPRできたかというと決してそうではなかったと反省しています。実際にサークルさんから「思ったような反響がなかった」というようなお話も聞きました。そうだろうな、と思ったところはあるので、より改善は必要だと感じています。ただ、どのサークルさんもめちゃくちゃに心が広くて! とにかくイベントを開いてくれてありがとう、お疲れ様っていうことをみなさんが仰ってくれたので、それはありがたかったですね。ただ、繰り返しになるんですが、せっかくのオンラインという新しい手段を得たのに、かつてを超えるようなものが作れなかったのは、ひとつ難しいところだったと思うので、これからの改善点かなと思っています。としょけっとそのものは9割方が委託で、本を置いて見てもらうシステムなので、そういう意味ではオンラインとほとんど変わらないようにも思えるんですが、本の現物を持ってパラパラと捲ってみてもらったときの情報量と、小さなサムネイルとウェブサイト上の限られた掲載情報とでは大きな差が出てしまうので、そういった差をどこまでハードルを下げて、個々の作品の情報をうまくオンライン上でPRできるかなって、難しいところです。

※5【図書館総合展】図書館についての様々な交流・情報交換や、周辺分野のトピック・技術・製品サービス情報のまとめを行う役割を担った、図書館に関するすべての人を対象としたコンベンション。2022年秋で24回目の開催。

■さいごに

——インタビューの終わりに、読者に向けてのコメントを頂戴できますか?

 司書は、資料と人との間に立つ仕事で、資料の良さを伝えて、その人の求めるものに、もしくはその人も気づいていなかったものに結びつけ、よりよい暮らし、人生になるようにお手伝いができる存在だな、と思っています。そういうのがとてもいいと思いますし、そういう人間がいるということも図書館の良さだと思うので、何かしらの出会いであったりとか、資料をお求めの際は、図書館を使っていただけると嬉しいです!

——ありがとうございました!

■こぼればなし

——普段YouTubeで動画や配信を視聴されることはありますか?

 配信を見る側ですと、お料理とかの動画を見ることはあります。それを日常的に探して見るとか、特定の誰かの配信を楽しみにしてるという感じではなくて、レシピを探してるときに「あーなるほどこうやって作るんだ」って確認したりすることが多いですね。
 自分の館の発信の一つとして、短い番組を作って放送することがあるので、仕事としては広報媒体の一つとして考えています。

——今回のような内容(バーチャルYouTuberと現実の本・図書館)でインタビューの依頼を受けていただいて、率直にどのように思われましたか?

 読書についてどう思うかですとか、同人誌と場作りについてというのは、こうして表に出るかどうかはひとまず置いておいても、実際に尋ねられることは多い内容なので、私の活動分野と重なってるので、ご依頼はすごくもっともだなと思いました。ただ、同人誌のために、それもYouTuberさんがいらして、という点については、とっても面白いなぁと思います。そういうアプローチの仕方はとても面白いです。

■番外編・読書会(風)おすすめ書籍紹介

——今回、特別ゲストとしてお話を伺ったみさき様から、『電脳図書室(※6)』のイメージでテーマを提示させていただき、それに沿った作品についてご紹介いただきました!

※6【電脳図書室】大浦るかこさんがが行っていた、紹介型読書会形式の配信タイトル

【テーマ 〝二次創作、同人誌〟】

  『メタモルフォーゼの縁側』 鶴谷 香央理
          KADOKAWA(全5巻)

 紙に描かれたことが、ただ愛おしい。
 そんな想いを抱えて読みました。きゃー愛おしい! なにもかもが愛おしい!! 心の中は絶叫なのに、涙がはらりと落ちました。

 本屋さんでバイトをする女子高校生うららと、70代のおばあちゃまの雪さん。ふたりは並んでいたら祖母と孫に見えるかもしれません。いえいえ、彼女たちは赤の他人でした。ふたりをBL本が結びつけるまでは。

 晴れやかで眩しい青春群とはちょっと距離を置くような渋めのうららと、好奇心に前のめりな雪さんの交流が、なんとまぁ楽しいことでしょう。だって、本屋さんから出会い、同人誌即売会に一般参加し、そしてやがてサークル参加も……と、順調に歩むオタク街道を読者として見守れるんですよ! いや、順調じゃない時もあるんですが、それもまたよし!と言いたくなる、〝きらきら感〟と〝かさかさ感〟の配合具合がちょうどいいんです。

 創作を受取る嬉しさや作るどきどきなど、ドンピシャに私の心にハマりすぎて荒ぶってしまいますが、むしろひっそり部屋の隅で読むのも非常におすすめの落ち着き具合、味わい深さ。メタモルフォーゼは変身・変化を意味する言葉です。でも「変わっても、変わらなくてもいい」というタイミングで読むのもとってもいいなと思います。
 変わることを大きく歌い上げるのではなく、大好きな鼻歌がひとつ増えるような、そんなやさしいマンガです。

——作品の魅力と、作品を好きな気持ちがひしひしと伝わってくるような、すてきな紹介文をありがとうございました!


みさき様関連リンク

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@emisaki3

としょけっと

元司書みさきの同人誌レビューノート

サンデーマンガ倶楽部


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