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腕時計/-sweet teenager 9-

 日曜日、あなたの家に腕時計を置いてきてしまった。くびきを解かれて、わたしの腕は、ふうわふわ。あなた、早くわたしを、縛めに来て。

 わたしの腕時計はあなたに買ってもらったもの。茶色い太い皮の、ごつい男物の時計。お付き合いを始める時に、その印に、店員さんはあなたにご自宅用でございますか、って尋ねて、あなたは店員さんにいいえ贈り物です、って答えて、店員さんはきょとんとした顔をしながら、訳が分からないなりにもプレゼント用にデコレーションしてくれたっけ。

 それから時計は、わたしの左手首が定位置で、手首がベルトの中をくるくると回せるよう、穴は一番内側からみっつ目で、それだけ緩いから、文字盤はいつも正面を向かないで、腕の外側を向いていた。その重みの感じ。

 いつもあなたの指がわたしの手首を掴んでいるような感じがした。緩く結んだ親指と人差し指の輪で、わたしの手首をその中で遊ばせて、転がしているような感じがした。二十四時間、あなたの指が、わたしの手首をころんころん。緩やかな手錠みたい。甘い拘束。

 その拘束が、突然、解かれてしまった。急に軽くなった、わたしの左手首。
 時計がないと、あなたの指がないと、わたしの腕はどこまで浮かんで行ってしまうか分からない。もし、誰かが横ざまから手を伸ばしたら、横ざまからわたしの腕を掴み取って引いていったら、わたしはそのままふわふわ連れて行かれてしまいそうになる。そうならないうちに、あなた、早くわたしを、縛めに来て。

 明日学校に行ったなら講義棟で隣の席の友達が言うでしょう――「あれ、時計、つけてこなかったの?」わたしは何て言うかしら。曖昧に微笑んで、「ちょっとね、忘れてきたの」。

 あの子に知られたら、そのうちクラス中のみんなに知られてしまうわ。わたしが腕時計をしていないことを、大学中の人が知ってしまうわ。
 危険危険、人に知られては危険、わたしを守る小さな革のくびきがないことを、人に知られては危険。そう、そのことに付け入って、わたしのふわふわとした左手を、どこまでも連れて行くかも分からない、そんな人がいるともかぎらないから。

 時計のないままお風呂に入り、ベッドに入る。まくらの横に置かれた左手の、手首は軽くて落ち着かない。睡眠の錘。夢の世界へとぽーんと沈んでゆくための、錘の役目もあったのね。腕時計なしでは上手に眠れない。もう眠れるかしら?やっと眠れるかしら?時計のない左手首は軽すぎて眠りの訪れが遅くて。

 やがてゆっくりと眠りがわたしの目蓋をひと刷けし、意識がほんのりと遠ざかっていく。眠りの世界に落ちていく前に、思うのはあなたのこと――
あなたは知っているかしら?あなたの与えた緩やかな拘束が、わたしをこんなにも捕らえ、支配し、固く守っていることを。そしてそれがどんなにかわたしの日々を穏やかにし、静かな悦びで一杯にしているかということを。ごつい男物の腕時計、ただそれひとつで。

 日曜日、あなたの家に腕時計を置いてきてしまった。くびきを解かれて、わたしの腕は、ふうわふわ。あなた、早くわたしを、縛めに来て。早くわたしを、甘やかな拘束で安心させに来て。

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