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ショッキングピンク・マグ /-sweet teenager 1-

 終業のベルが鳴る。あたしは職員室に突っ走る。今日は職員室の掃除当番の日。お盆を死守、先生たちの湯のみ洗い係死守、現国のオクガキの湯のみ死守。

 あたしはオクガキのことならなんでも知ってる。毎日缶ビールを三缶飲むくせに(コンビニでバイト中の澄ちゃん情報)、ジャージのポッケには味覚糖のいちごキャンディ忍ばせてること、いつも汚いカッコしてるくせに、去年のバレンタインディにはチョコ十六個もらってたこと(古典の真理子先生もあげてた)、がりがりの痩せっぽちのくせに腕の筋肉がきゅっとしてて、球技大会でバスケのゴールきれいに決めてたこと(今でも目に浮かぶ)、去年の文化祭の時に作った二年B組手拭い今でも使ってること(職員室の机の上にくしゃりと置いてある)、それから、それから、それから、ちくしょう、あたしはオクガキのこと何にも知らない。所詮教師と生徒、ただそれだけの存在。だからあたしは燃える。オクガキの湯のみは、死んでもあたしが洗う。

 お盆を持って先生たちの机を回る。湯のみ、マグカップ、デミタスカップ、いろんな形の、いろんな大きさの。オクガキの湯のみは前から知ってる、目に焼きついてる、回転寿司『大江戸』から盗んできた(出所不明の噂)、魚の名前がずらり書き連ねてあるもの。

「お、ご苦労さん」
「ありがとう」
 先生たちの湯のみやカップをお盆に受け取りつつ最後にオクガキの席。やばい、眉根が寄ってハナがむずむずする。
「センセー、湯のみ」
 ことさらぶっきらぼうに手を出すと、ああ、とか、んあ、とか目線を寄越して、オクガキはあたしからお盆を取り上げ、自分の湯のみを載せると歩き出した。
「おら、流し行くぞ」

「え、なに、センセー自分で洗う派の人なの」
 あたしはちょっと戸惑って、なんていうか、それって一緒に洗う話ってことでしょ、想定外だしキンチョーするし、第一流しは狭いから、すごい肩と肩が近いじゃん。
「あ、やだ、分かった、実は潔癖症なんでしょ。他人に俺の湯のみは任せられないっていう。女の人にモテなさそー」

 バーカ、と呟きながらオクガキはさくさくと先生たちのカップを泡で包み、水で流してはあたしに渡した。
「おら、拭け」
 あたしは受け取りながらドキドキする。だって濡れたカップはつるつるして滑りそうだし、オクガキから手渡しされる時、指と指が触りそうで竦みそうになる。
「あれでしょ、ケッコンしても奥さんに台所まかせられない人なんでしょ。そういうのってさ、嫌がられるみたいよ。うるさくって」

 最後の一個、オクガキは自分の湯のみを差し出しながら、あたしに向き直った。え、なに、ちょっとだけ困ったような目で、でも口元は可笑しそうに歪んで、あたしの目を正面から捉える。やだ、ちょっと緊張すんじゃん、目なんか見ないでよ。
「おバカさん。お前はそういう男がいいの?生徒にカップを全部洗わせる教師のような、そういう男?」

 え、でも。だって、そういうものでしょ……。

 きゅ、っと息が止まった瞬間、オクガキとあたしの手と手の間で、濡れた湯のみはつるっと滑って、すとーんと床に落ちた。ごん、そんな重い音を立てて湯のみは床にぶつかり、ばき、と大きな破片を数片残して転がった。

「あーあ、割るなよな」
「センセーが手放すの、早いんだよ」

 あたしは文句を言いつつ、赤くなる顔を隠すべくしゃがみこんで欠片を拾い集める。
「やめとけ、手ぇ切るぞ」
 オクガキもあたしと並んでしゃがみこむ。あ、やだ、顔が赤いし、心臓の音とか聞こえたら、超恥ずかしいじゃん、こんなに顔が近いと。
「弁償だな、こりゃ」
「センセー、生徒に弁償させんの?それでも教育者?」
「当たり前だ。それが社会のお約束、ってもんだ」

 ほんと?それほんとの話?あたしが弁償したら、そのカップ使うの?だったらいいよ、学校帰りのソニプラで、ショッキングピンクのマグカップを買ってやる。胴体に細身の黒猫のイラストがついていて、鮮やかなピンクのますます際立つやつ。
「いいよ、弁償するから、絶対使ってよ」
「おう、使ってやるよ」
「絶対、絶対だよ」

 オクガキは欠片を全部拾い終わって流しの隅に集めると、あたしを見て笑った。
「貸しにしといてやるから。出世払いで、将来稼いだら返せ」
 おら、先生たちにカップ配ってこい。オクガキはそう言ってお盆を指さし、ぶらぶらと自分の席に戻る。

 あたしはお盆を抱えながらその背中を見てちょっと泣きそうな気持になる。知らないよ将来とか、だって今だって、そうやって遠くなっていくんじゃん。そういう男がいいの?なんて、だって、カップくらいいくらでも洗うもん、なんだよ、じゃあ、いつまでも一緒に洗ってくれんの? 

 オクガキと一緒にあたしがキッチンに立つ将来はあるのかないのか、そんなの絶対わかんないし、一年たったらあたしは卒業しちゃうんだし、カップ洗う女なんてオクガキは別に好きそうでもないし、あたしはもう、今日の放課後ピンクのマグを絶対買おうって決心していた。買っちゃって持ってきちゃって押し付けちゃったらなんだかんだ言ってオクガキは使ってくれるんじゃないかって、オクガキの机にショッキングピンクのマグ、ちょこんと載ってるんじゃないかって、心のどこかであたしはそんな気がして、どんどん顔が火照りながら、どんどん泣きべそ顔に近づきながら、オクガキの背中を見つめる、今は職員室掃除の時間。

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