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人間に、幸せの有無を選ぶ権利はない。

どーもどーも。
スーパー太っちょWebディレクターです。
スーパーは太っちょにかかります。

普段はてなブログを見てくれてる人こんにちは。
見てない、はじめましてな人もこんにちは。
だから結局みんなこんにちは(ナンダソレ)。

この記事は、僕が誰かの相談にのったり、悩みを聞いてるときに頻繁にする話をnoteにまとめてみた、というそういうやつです。だからものすごく大したことない記事ですやかましいわ。

いや
ぼくと直接関わりのない人にも、役に立てたらなと思って。

対象読者は「心を病んでしまいガチな人」です。もっと言うと「仕事だからやらなきゃいけない」とか「私ががんばればいい」とか「私が我慢すれば丸くおさまる」という間違った考え方をしているおまいさん達に届けたい記事です。

簡単に言うと「ばーかばーか!そんなのお前の自己満だよばーか!」っていう記事なんですが、それをもう少し大人な感じに、論理立ててお伝えする、そんなハライチもビックリなほっこりでぽかぽかnoteでございます。

まあそんでね(いきなりはじまります)。
いわゆるな「いい人」に多いのだけども。
「私が我慢すればうまく進む」とかね。「会社が理不尽なんだけど、周りには頼れないし、私ががんばるしかない」とかね。心を病みがちな人はみんなそんなことを言う。そうしてどんどんどんどん、心身に異常をきたしていく。

それが、周りのためであり、自分の成すべきことだと思ってるんよね。
だが、それは大間違いで。
むしろ、周りを不幸にしている。

あなたには、おそらく、大切な人がいる。
それは、恋人とか婚約者とか狭義な意味でも良いし、遠く離れた家族や友だちでもいい。無論、親友だっていい。

あなたは、きっとその人たちに幸せになって欲しいと思っている。
少なくともその大切な人が、たとえば親友が、会社の理不尽な上司にいびられ、責任を押し付けられ、心を潰されてしまったら。会社に行けなくなり、休職や退職を余儀なくされたら。ハラワタが煮え繰り返るほど腹が立つと思う。ぼくの、わたしの、大切な仲間になんてことをしてくれたんだ、と。

きっとあなたは、あなた自身が毎日平穏に、それなりのお給料を得て楽しく暮らしていても、親友がそんな状態では辛いのだろうと思う。自分だけ人生が楽しくて、それで良いのだろうか?とすら思う。

つまり、あなたの幸せは、あなた一人だけで構成されてない。いくら、どんなに自分が平穏な生活をしていても、大切な友だちや恋人が辛くて涙を流していたら、あなたはきっと苦しい。アイツ、元気かな。アイツ、今どうしてるかな、不安で家で泣いてないかな、大丈夫かな・・・。

だから、気づいて欲しい。

あなたの大切な人も、きっとあなたにそう思っている。

あなたがその大切な人を心配し、笑顔でいて欲しいのと同じように、あなたの大切なその人も、あなたに対してそう思っている。なぜなら、「大切な人」とはそういうものだから。片方に蔑ろにされているのに、片方は大切にしてる、というケースの方が少ない。

あなたが、大切な人が苦しんでいたら悲しいように、大切な人も、あなたが苦しんでいたら悲しむ。

つまり、あなたが大切な人のことを想うなら、あなたは自分の幸せを諦めてはいけないのですよね。

あなたが不幸だと、大切な人の笑顔も消えるから。周りにいる大切な人の幸せを願うなら、だからこそ、あなたは幸せでなければならない。

“人”の”間”と書く「人間」。
人間に、幸せの”有無”を選択する権利はないのです。
きっと、大切な人や仲間がいるから。
大切な人のことを想うなら、幸せは求めなきゃいけない。
それをしないということは、自分のことを心配する大切な人を「大切じゃない人」にするということだから。

でも、同時に思うのですよね。
人間には、幸せの”種類”を選択する権利がある。
幸せを諦めてはいけないけど、でも「何が幸せか」なんて本人にしかわからない。それは選んでいいし、むしろ選ばなきゃいけない。だって、他人には決められないのだから。成長のために苦境に挑むのが好きな人もいれば、毎日平穏に過ごすことこそ幸せな人もいる。そんなの、誰も悪くないし、他人が勝手に決めて良いものでもない。

だから、僕らは、常にそれを言い続けるべきだと思うんですよ。
「僕の、私の、幸せはこれなんだ」と。
自分の大切な人だからこそ、自分が不幸だと悲しくなってしまう人たちだからこそ、誤解されないように説明を尽くさなきゃいけない。そうじゃないよ、いま、私は幸せなんだよ、と。

たとえば僕は、もう40代になったというのに嫁も子供もいない。なんなら恋人もいない。ただのキモデブおっさんだし。
そりゃ、親は心配していたわけです。
でも、僕は言い続け、示し続けてきました。
「これが、僕の幸せなんだ」と。
「僕は、今とても楽しいんだ、生んでくれて感謝をしているんだ」と。

おそらく、今でもまだ心配はしているかもしれない(いや、たぶんそうw)。
でも、20代の頃は理解されていなかったそれが、今はちゃんと理解してくれていると感じます。(諦めただけかもしれないけどねw)

僕らは、周りに大切な人がいる以上、やっぱり「幸せであること」をあきらめちゃダメなんだと思います。
同時に、「何が自分の幸せなのか」はちゃんと自分で選べないとダメなんだとも、思います。


最後に、改めて書いておきますね。




人間に、幸せの”有無”を選ぶ権利は無いのです。
人間に、幸せの”種類”を選ぶ権利があるのです。


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