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#4 drf townの奇跡

 その日、一人の宗教家が村に流れ着いた。

 明日、西の森で落石が起こると宗教家は言った。

 翌日、西の森で落石が起こった。

 明日、野犬が村を襲うと宗教家は言った。

 翌日、野犬が村を襲った。

 一年後、村に奇跡の子が生まれると宗教家は言った。

 翌日、神殿の建立が開始された。

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 何しろその村には希望がなかった。

 上空を巨大な翼竜が過ぎり引き起こされる大災害、およそ20年毎にそれが繰り返されるからだ。

 無論、余所に移ろうと言い出す者が出る。しかしその意見は常に、幼子や年寄りの存在、捨て難い肥沃な土地などを理由に退けられた。実際、災害から50日も経てば村は平時の姿を取り戻した。

 次の豊かな20年の為の50日間の苦労。

 或いは、いずれ吹き飛ばされなにも残らないと知りながら過ごす20年間。

 個々では捉え方も違っただろうが、備えは徒骨と顔を俯け誰もが希望を探す事を止めていた。

 だから宗教家に縋った。予言を的中させたなら彼が言う通りに奇跡も起こる、そう信じ込んだ。

 その男一人を除いては。

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 男は訴えた。

 人為的に起こし得る現象なら予言を的中させる事など容易いと。

 昇ったなら陽は沈み、愛を知ったか否かに拘らず人は死を免れない、そうした自明の理を。

 希望を奪う狙いはなく奇跡を否定する積もりもない、反感を生まぬようそうした事を念頭に置き慎重に根気よく、自らの考えを訴えて回った。誰かに目隠しをされているだけならその者の耳には男の声も届いたかもしれなかったが、しかし、自ら空を見上げない相手に天気を読んでもらえる筈もなかった。

 男には分からなかった。

 なんら不可解なところのない自らの訴えが誰にも届かない理由が理解出来なかった。

 隣人家族とは畑仕事の苦労を分かち合った。夫婦生活の悩みを打ち明けた義理の妹とはおかしな展開になってしまった。そんなふうに意思の通じた筈の彼らとも、会話が成立しなくなってしまった。

 或いは自分が話している言葉が皆のそれとは違ってしまったのではないか、そんな疑問が湧いた。

 果たして男を異変が襲った。

 他者の話す言葉が全て、同じに聞こえるようになってしまったのだ。


 隣人家族が眉尻を吊り上げて撒き散らす怒気も、義理の妹が涙を溜めて漏らす静かな吐息も、全て一様に、単調な曲節の上に意味を持たない文字の羅列が繰り返されているようにしか認識出来なくなってしまったのだ。

 そうして男は、諦めた。

 宗教家を盲信しては危険だと気付かせる事を諦めた。

 自分はもう誰とも分かり合う事が出来ないのだと諦めた。

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 村に奇跡の子が生まれた。予言の通りだと村は湧いた。二晩続いた祝いの宴がようやく落ち着いた日の早朝、男の家を宗教家の使いが訪ねた。男は捕らわれ神殿の地下に幽閉された。かびの匂いが混じった冷たい空気の貼り付いた黒灰色の石壁を眺めるだけの日々を、強いられた。

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 20年後、上空を巨大な翼竜が過ぎった。その後を追って続いた竜巻が村を蹂躙した。

 奇跡は起きなかった。

 見晴らしの好い草原を往った筈が空も見えない暗い谷底にしがみ付いていただけ、一度は希望の光を見た反動から、直ぐに、村人たちの深い絶望は激しい怒りに変容した。

 火山が吐き出した溶岩よろしく村人たちは神殿になだれ込んだが、しかし、宗教家の姿は既になく、供物なども持ち去られた後だった。唯一残されていたのは奇跡の子とされた娘、今日の今日までベールで隠されていたその顔は然程美しくもなかった。

 伽藍の底で奇跡の子は人の形を失くすまで幾度も引き千切られ、殺された。

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 誰かが男の名前を口にした。

 宗教家の嘘を見抜いていた男が地下に幽閉されている事を思い出した。

 暗い谷底にまたぞろ希望の光が射した。それが本物か偽物か、いずれ求める自らの姿は冷静か醜悪か、村人たちは浴びた返り血を拭いもせずに地下へと突き進んだ。

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 心は疾うに死んでいた。

 落ち窪んだ眼は艶消しな色をしてどこにも向いていなかった。

 痩せて、節くれ立った手足にも顔にも垢が幾重にも覆い爛れていた。

 生きてはいるが死んでいないだけのその男を、そんな荒涼たるを、村人たちは希望として見上げた。宗教家に代わり真の導き手となってくれるよう異口同音に願った。

「いっちょめ、いっちょめ」

「いっちょめ、いっちょめ」

 と。

 村人たちがそれぞれに口にする言葉が、20年前と変わらず全て同じに、単調な曲節の上に意味を持たない文字の羅列が繰り返されるように、男には聞こえた。即ち。

「いっちょめ、いっちょめ」

「いっちょめ、いっちょめ」

 と。

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 何故かは解らない。

 その言葉が返答として成立するのかしないのか、或いは皮肉として巧いのか的外れなのか。それとも、言葉として意思を伝え得る意味を備えているのか単純な音に過ぎないのかも不明瞭。しかし、何故かは解らないが天啓的に頭に浮かんだ文字列、それこそが声帯を震わせて形にすべき何某かだと、そんなふうに確信した。

 自分に残されていた全ての力を振り絞って男は、言った。

「わーお」

 そして男は息絶えた。

('02.2.2)

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