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#2 今晩12時、あなたは死にます

 いつか、花火大会に出掛けたその帰り途だろうか。

 長い尾鰭を引いて泳ぐ琉金をあしらった紺地の浴衣姿の彼女が、道端にしゃがみ込んで泣いている。その傍らで僕は立ち尽くしている。

 前後左右に加え天地も真っ暗闇、そうしたどこかの空間に現実から僕らだけが切り取られて放り込まれたみたいな塩梅、そして彼女の表情を確かめようもないのだから、なにも出来ないで居るのも致し方がないというものだ。

 泣いている彼女を僕はただ見ている事しか出来なかった。

 そういう夢を見ていた。

 何度も繰り返されるお馴染みの内容の、夢を見ていた。

 どこかで鳴り続けている呑気なメロディがスマホの着信音だとようやく気付いた。

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 ストロベリーコーンズから注文内容を確認する折り返し電話があったのが十五か月前、それから着信履歴は更新されていない。200件ほどの登録があるアドレス帳も一括削除の時機を見ているような現状。だから、自分に電話機能が備わっている事を思い出せて嬉しいとばかりにスマホは、鳴っているようだった。

 夢からは滑り出たものの意識はまだ暗闇に居るような、そんな状態で応答ボタンを押した。

「こんばんじゅうにじ、あなたはしにます」

 それだけ言って、電話は切れた。

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 高校卒業の日、一度も話した事のなかった同級生にコントグループを組まないかと誘われた。仕事辞めたくなるプレイリスト、というグループ名が決まった最初の会合時には七人いたメンバーが、一年後には僕と、言い出しっぺの鎌井だけになっていた。行動観察の為なら平気でメンバーを実験材料にする鎌井の人間性に付き合い切れない、大半がそう言って抜けた。

 月に二度、海浜公園の駐車場でコントを上演した。いわゆる路上ライブ。毎度、足を止めて観て呉れる人たちはいたが、常連客が出るまでには至らなかった。宝くじで三億円を当てた石油王よりも覚めたものの見方をする鎌井が書く台本は時に冷血で、人の気持ちを嫌な角度から抉ってしまう事も少なくなかった。

 ある日鎌井に、舞台や登場人物などが共通で連続性のある台本を書けないかと提案した。直ぐに、超人ヒーロー養成学校を舞台とする台本が20本、出来上がった。いずれも友情や恋愛などの共感を得易いテーマが備わり、上演毎に徐々に評判を呼んだ。

 固定ファンがついた。ライブハウスに呼ばれるようにもなった。いよいよ勝負時だという認識の下、自ら創作した世界を別視点から見て新たな可能性を見出したいという理由から、鎌井がロックバンドを組んだ。その活動の全てはコント台本にフィードバックする、軸足は飽く迄もお笑いに置く、僕を説得するように鎌井はそう言った。

 コントの台本は全て鎌井が書いた。詰まり、仕事辞めたくなるプレイリストとは僕と鎌井のコンビであると同時に、鎌井自身の事でもある。故に僕は鎌井の考えを優先し、出稼ぎについても異議を唱える事はなかった。二年後、仕事辞めたくなるプレイリストはほぼ活動休止状態にあって、僕はバンドのマネージャーとして忙殺されていた。その状況に不満はあったが口には出さずにいた。

 だが、無理して分別のある振りをしたって碌な事にはならない。

 いつしか鬱憤が溜まりに溜まり、僕はそれを人にぶつけてしまった。鎌井にではなく彼女に。とても詰まらない事で彼女を責め立て、声を荒げて脅し、そして深く傷付けた。彼女は僕から離れていった。僕は鎌井と距離を置いた。

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 こんばんじゅうにじ、あなたはしにます。

 今は14時を少し過ぎたところ。

 公衆電話からの発信、故に性質の悪い悪戯と断定は出来るが、合成音声に似せた生声による一本調子な喋り方こそが言葉の意味を増幅させた。

 テレビを点ける。

 薬物使用が疑われている若手俳優の来歴を詳らかにして事の起点を探り、延いては社会全体に於ける今後の反省と教訓を引き出そうとする識者集団の、その意欲に皮肉を感じる。

 こんばんじゅうにじ、あなたはしにます。

 雑誌を手に取る。

 女優への躍進を期し、バストトップを晒し映画で濡れ場を演じたグラビアアイドルのテンプレ通りのインタビュー内容と、彼女の意気込みとは反比例する映画の規模、その落差に涙を禁じ得ない。

 こんばんじゅうにじ、あなたはしにます。

 ドリキャスで遊んでも集中出来ない、漫画を読んでも楽しめない、エロサイトを巡回する積もりでPCを起ち上げて個人による廃墟調査報告を読み耽る。

 時間は、19時15分前になっていた。

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 飯を食いに出た。

 行き付けの、自宅アパートから最寄りの中華そば屋の前を素通りし、国道沿いのどん亭まで足を延ばした。ライブハウスでコント上演後に名刺を渡してくれた人間に連れられてきた店、そして初めてライブハウスに出た日に彼女がお祝いをしてくれた店だ。

 感傷に浸ろうというのではなく、普段と違う事をしたかっただけの事。なにしろ僕は、こんばんじゅうにじにしぬのだから。

 周りはグループ客ばかり、独りでソフトクリームサーバーの列に並ぶ僕はきっと好奇の目を向けられている事だろう。いや、そんな考えは自意識過剰に違いないが、逆の立場なら僕もそういう目を向ける。それは鎌井の影響という訳ではない。僕が鎌井の金魚の糞だったなら仕事辞めたくなるプレイリストは登録曲数も増えず拡散もされていない、そういう自負はある。

 もちろん、独りでなにか出来ないかと考え台本書きに挑戦した事もある。しかし、行動原理に適ったものにしようとする余り常識からの食み出し方に規則性が備わらず、全く筋の通らない物語しか僕には作れなかった。人には得手不得手があると実感した。

 かあちゃん、そんなに心配すんなよ。勉強きらいな俺だけどさ、人にはそれぞれあった道ってもんがあるんだよ。

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 Edyで会計を済ませ、スマホを尻ポケットに突っ込みながらお世話様と口にした。学生アルバイトと思しき女の子に、もっぺん言ってみろ理路整然と、と返された。

 銀行を襲った強盗が融通の利かない行員に手を焼く様子を描いた、仕事辞めたくなるプレイリストの演目の一つの山場の台詞、それを、思いも寄らない場所とタイミングで人から聞かされ、ただただ驚いた。

「解散してる訳じゃないなら、また、お二人で演られるのを楽しみにしてます」

「バンドの方は、どうなの」

「間とか台詞の言い方とかはコントじゃないとって思います。私はそっちの方が好きです」

「そっか、ありがとう」

「もっぺん言ってみろ理路整然と」

「ありがとう、本当に」

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 だけど。

 着信履歴が更新されない人間の時間は停まってしまう。鎌井のバンド活動による経験がコントの台本に反映されると信じ僕は漫然と待ち続け、僕の夢の中で彼女は今も泣いている。このままバイトと飯を食いに出る時以外はずっと引き篭もっているアパートの部屋に戻れば、今晩12時を迎える事はないかもしれない。

 そんな事を考えたのかどうか、自然と僕の足は、僕をアパートとは逆方向に導いた。

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 ひたすらに歩いた。

 久し振りに気持ちが軽かった。

 ひたすらに歩いた。

 いつしか自分でも振り返る事を無意識に避けていた嘗ての情熱を肯定された事が嬉しかった。

 ひたすらに歩いた。

 それを誰かに否定されたものと僕は、ずっとそう考えていた。

 ひたすらに歩いた。

 前に進まない時間の中に僕を閉じ込めていたものは、僕自身だった。

 ひたすらに歩いた。

 月が綺麗だった。

 生まれ変わるには好い夜だと思った。

 気付けば、彼女が暮らす町の駅に着いていた。

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 迎えの車がロータリー内に列を成すピークの時間は疾うに過ぎていて、客待ちのタクシーも片手で足りる数が残っている程度。コンビニの灯りがやっと届く公衆便所前のベンチに腰掛け、疲労感が満ちた身体によく冷えた紅茶花伝を垂らした。追い出されていた思考能力がゆっくりと戻ってきた。

 気付けば、彼女が暮らす町の駅に着いていた。

 行動原理に適っているのか筋が通っているのか、彼女が暮らす町の駅が今の僕にとって如何なる意味合いを持つのか、いずれ、月が綺麗だったなら足が此処に向いたのも必然か。

 誰かが捨てたものか、足下に街金のリーフレットが絡んだ。

 自動ドアの開く音に反応して顔を上げ、琉金が、長い尾鰭を引いて泳ぐを見た。

 彼女がいた。

 肩の辺りで切り揃えた黒髪も昔のままに。

 背が低いのも相変わらずに。

 見覚えのある浴衣に身をまとった、彼女がいた。

 隣を歩く背の高い男に笑顔を向けて、ソフトクリームを舐めさせてやったりしながら、彼女は。

 僕の前を。

 素通りしていった。

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 道端にしゃがみ込んでずっと泣いていた彼女は。

 今。

 笑顔で僕の前から去っていった。

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 尻ポケットでスマホが震え、着信を知らせた。応えると、相手は例の声だった。

「こんばんじゅうにじ、しぬといわれてどうでしたか」

 声の主、その正体はもう分かっていた。今時点の関係性で僕を実験材料にするなどとんだ性格破綻者も居たものだ。

「さいごのばんさんとおもってたべるしゃぶしゃぶのあじはどうでしたか」

「うるせえバーカ」

「もっぺん言ってみろ理路整然と」

 駅舎の壁に埋め込まれた時計を見上げると、既に12時を過ぎていた。

 とてもタクシーを利用出来るような余裕はないし、その他の公共交通機関ももう走っていない。とするとアパートに戻れるのは4時か5時か、きっとそのくらいだ。

 帰り着いたら先ずは、寝よう。

 そして起きたら、仕事辞めたくなるプレイリストの活動再開だ。

 国道沿いのどん亭に集合してこれからの事を話そう。

 先ずは借金返済、鎌井のバンド活動を糞味噌に貶してやろうと思う。

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 なにせ僕は一度死んだのだ、今晩12時に。

('02.1.23)

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