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今村葦子『はつ子とひな子』(1989年/理論社)/野上暁の児童文学講座「もう一度読みたい! ’80年代の日本の傑作」

この連載では、1980年代の当時は話題になったけれど、今は書店で手に入りにくくなっている作品を紹介していきます。

『ふたつの家のちえ子』で、いくつもの児童文学賞を受賞して話題になった今村葦子が、小さな二羽のヒヨドリの冒険をエキサイティングに描いたお話です。

 ヒヨドリのはつ子は、ひな子と南に向かってまっしぐらに飛びながら、すぐ横を飛んでいる北風に「おまえは、だれだ?」と名前を聞かれ、つらい気持ちになります。でも、「…ぼく、男なのに『はつ子』って名前なんです」と、正直に答えます。北風は、そんな名前をもらって悔しくないか、とからかいます。はつ子は連れ合いのひな子と、四か月ぶりに名付け親の男の子と女の子の家に帰り、そこで巣作りをして雛を育てるという、大きな目的があるんだと言うと、なんの目的もなく吹き荒れる北風は気分を損ねて飛び去っていきます。

 子どもたちの住む町に向かう途中で、二羽は大きなモミの木で一晩泊めてもらいます。モミの木は、はつ子の名前を聞くと羨ましがります。400年も生きてきたモミの木の名前は、ただの「七号」。幹に瀬戸物のプレートが釘で打ち付けられ、そこに「七号」と書かれているのです。昔は名札など無しに、木の幹を削って番号を書かれ、それは切り倒される死の順番だったとモミの木に聞き、ひな子は悲鳴を上げてしまいます。切り倒す木に、わざわざ瀬戸物の名札を付ける人間の狙いは何なのか、というモミの木の疑問を解くために、二羽は物知りのキツネの所に行きます。ひな子は、モミの木の「七号」という札は、切り倒される順番なのかと、キツネに尋ねます。キツネは、人間なんて者はキツネを神様としてまつりながら、キツネの仲間をえりまきにもする矛盾だらけの生きもので、森の木をたくさん切り倒しておきながら、今度は木に番号を付けて、古くて大きな七本の木だけを特別に守っているのだ答えます。

 モミの木に戻る途中で、二羽はフクロウに出会います。フクロウは、昼の鳥が夜の森にいるのは「時のまいご」だと言い、さっさと昼に帰れと言います。はつ子が、迷子なんかじゃないと言い返すと、食い殺されるかもしれないフクロウの前に出て来るなんて、「勇気」と「向こう見ず」を取り違えた「心のまいご」だと諭します。それをモミの木に伝えると、モミの木は、だとしたら自分は時間の道しるべだといい、木や森の時間は、人間がちょんまげを切り落としたころから、急にスピードアップしてきたようだと語ります。

 まるでその言葉を象徴するかのように、モミの木に別れを告げて町に近づくにつれ、人工的な文明社会が二羽の目に異様に映ります。そして都会のビル街で、凶暴なカラスの一団に襲われ、あわや命を失いそうになるのです。

 二羽のヒヨドリの冒険を通して、生と死や、自然と人間、愛と勇気と友情など、さまざまなテーマと向き合うことになる味わいの深い物語です。登場する鳥類や生き物の仕草や特徴を、単純な画線で見事に表現した古川タクの挿絵も楽しめます。

『はつ子とひな子』
今村葦子 作
古川タク 絵
初版 1989年
理論社 刊

文:野上暁(のがみ あきら)
1943年生まれ。児童文学研究家。東京純心大学現代文化学部こども文化学科客員教授。日本ペンクラブ常務理事。
著書に『子ども文化の現代史〜遊び・メディア・サブカルチャーの奔流』(大月書店)、『小学館の学年誌と児童書』(論創社)などがある。

(徳間書店児童書編集部「子どもの本だより」2023年3月/4月号より)


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