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できるってどういうこと?/『体はゆく』/文:上村 令

 小学3、4年生のころ、スポーツが得意な男子と、同じSFのシリーズにはまり、本を貸し借りするなどして急に仲よくなったことがあります。どういう話の流れだったのか、あるときその子がわたしに、「なあ、おまえ、どうして逆上がりができないの?」と尋ねました。全然意地悪ではなく、心底不思議がっている口調だったので、わたしも真剣に考えました…どうしてかな? するとその子は、「オレ逆に、もうできなかった時の感じが思い出せない」と言いました。その後SF好きの二人は、「もし脳みそだけ入れ替われたら、お互いに、どんな感じかわかるのに!」という話で盛り上がりました。

 『体はゆく できるを科学する〈テクノロジー×身体〉』(伊藤亜紗 著/文藝春秋)は、そんな子どもの頃の夢想が今や現実になろうとしていることを教えてくれた、刺激的な本。美学の専門家でありつつ、「身体」についても論考を重ねる著者が、「できる」についてAIなどの先端技術を駆使して研究している5人の理系研究者と会い、最前線の研究を「文系の人」にもわかるように解説してくれる本です。

 たとえば、ピアノの上級者の指や体の動きを記録し、ほかの人に伝える装置。これを手にはめて、今まで弾けなかったフレーズを弾いた子どもは、「あ、こういうことか」と言ったそうです。従来の自分の練習の延長線上では得られなかったその感覚を味わうことが、飛躍の助けになるのはよくわかります。また、スポーツのコーチングについて、「あとから録画を見て指導するだけでは上達しにくい。リアルタイムでアドバイスできないか」という研究をしている人もいます。ゴルフのスイングを練習する時に、画像処理された「人工の影」を足元に作り、プロ選手の影の動きと自分の実際の動きのずれを可視化できるようにする、といった内容です。この研究が、「動くことに対して抑圧的な『型』」を学ぶ、という発想ではなく、「本人の動きを引出し導く」「自発的な学習」を目指している、という著者の指摘は重要です。また、特におもしろかったのは、「しっぽを動かす」研究。脳内で動きをイメージできるようになると、目の前の画像の中で「自分のしっぽ」が動く…「しっぽを動かす」ことに取り組んだ学生たち同士のコミュニケーションのあり方も、興味深く描かれています。この工学と医学にまたがる研究は、体の一部の機能を失った人への応用も期待されているそうです。

 子どもの「できない」悩み(逆上がりとか!)も、大人が上達したり回復させたりしたい動きも、これからは、技術の力でアシストしてもらえるようになるのかもしれません。「ただがむしゃらにがんばる」という「昭和のスポ根的」な考え方から脱却して、脳や体の働きを細部まで理解し、最適な技術と結びつけていけばいい、という著者の主張には、希望が感じられました。

 科学や人類の未来に、ともすれば暗いイメージを抱きがちな今の時代ですが、新しい技術を使いこなしておもしろがりながら新たな知見を生み出している研究者たちの姿を知り、SF好きだった子どもの頃のように、「科学」にわくわくすることができた、おもしろい一冊でした。

文:編集部 上村 令

『体はゆく できるを科学する〈テクノロジー×身体〉』
伊藤亜紗 著
文藝春秋 刊

(徳間書店児童書編集部「子どもの本だより」2023年3月/4月号より)


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