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著者と話そう 早川世詩男さんのまき

 第68回青少年読書感想文全国コンクール高学年の部の課題図書になった児童文学『ぼくの弱虫をなおすには』(K・L・ゴーイング作、久保陽子訳)の挿し絵を描いてくださった、イラストレーターの早川世詩男さんにお話をうかがいました。

 どんな子ども時代でしたか?

 暇さえあれば絵を描いていました。最初は絵が得意な兄の影響だったと思いますが、実際ぼくも絵を描くのが好きで、らくがき帳に好きなものをずっと描いていました。「キン肉マン」や「アラレちゃん」など、アニメや漫画のキャラクターが多かったと思います。テレビもよく見ましたが、アニメの中の、ロボットやメカ、SFの世界観などを「好きだなあ」と感じていたように思います。
 小中学校で図工や美術の成績が良かったので、高校は、絵とデザインの勉強ができるデザイン科に進学しました。でも入ってみると、当たり前のことだけど、クラスメート全員が絵がうまくて…。絵が得意だと思って入ったのに、自分のレベルの低さを感じてショックを受け、高校時代はあまり熱心に勉強しませんでした。

 高校のデザイン科ではどんな勉強をされたのですか?

 レタリングをしたり、写植(※印刷の文字組版の技術)について勉強したり、二進法で描くドット絵や、XYの座標で絵を描くなんていう課題もありました。今思うと、あのときもっと勉強しておけばよかったなあ、と思います。

 卒業後はどうされたのですか?

 イラストレーターになりたい! とか、デザイナーを目指す、とかいう夢もなく、フリーターをしていました。でも、絵を描くことはやっぱり好きだったので、クロッキー帳に好きなものを描いたりはしていました。当時、バンドをやっていたこともあり、まわりにバンドマンの友だちがたくさんいて、たまに、ライブのちらしに絵を描くようになりました。あとは、音楽雑誌などでバンドのポスターやCDジャケットを見て、かっこいいなあと感じることも多く、今思うと、絵を描く上で影響を受けたかなと思います。
 そんな調子でフリーターを7、8年やっていたころ、高校のクラスメートから、フリーペーパーを作るからみんなで絵を描いて載せよう、と声がかかりました。何回か描かせてもらううちに、そのクラスメートが「イラストレーション」という雑誌がある、と教えてくれました。「毎号コンペがあるから出してみれば?」と言われ、絵を送ってみたら、初めての応募で最終選考に残り、誌面に名前が載ったんです! お、これはいける! と嬉しくて、入選を目標にして、それからほぼ毎号(※当時は2ヵ月に1回の刊行)絵を送り続けました。ところが、ちっとも引っかからず…。
 そのいっぽうで、コンペに応募するには応募券が必要なので、毎号「イラストレーション」を買うわけです。それで、中身を読むうちに、「装画」を描く仕事があることを知り、やってみたいと思うようになりました。デザイナーが主催する装画の講座をうけたり、ギャラリーのコンペに参加したり、出版社にポートフォリオを送ったりしながら、「イラストレーション」誌のコンペへの応募を続けました。
 ポートフォリオに目を留めてくださった編集者さんがいて、新潮社クレスト・ブックスの『ナンバー9ドリーム』が初めての装画の仕事になりましたが、それ以降はまたしばらく絵の仕事はありませんでした。でも、コンペに応募するようになり、あらためて絵への興味がわいてきて、展覧会へ絵を見にいったり、描き方を模索したりするようになりました。
 そして、最初の応募から8年ほどたって、ついにコンペに入選! さらに年度賞(第30回ザ・チョイス年度賞)も受賞し、そのころからようやく、少しずつ絵の仕事をいただくようになりました。

 長い「下積み時代」でしたね。
 コンペに応募し続けた期間、いろんな描き方を試しました。版画をやってみたこともあります。でも、あるデザイナーさんに「自分の描き方を持っていたほうが、仕事につながるよ」とアドバイスをもらい、色を均一に塗る、今のぼくのスタイルがかたまっていきました。そのころから、コンペに入選したり絵の仕事をいただいたりと少し軌道に乗ってきました。
 また、デザイナーさんやギャラリーオーナーなど、人との出会いがターニングポイントになった、という気がしています。

 最初は大人の本を中心に装画の仕事をされていたのですよね?
 はい。当初は大人の本でやっていこうと思っていましたが、あるとき、デザイナーさんから児童書の仕事をいただき、今では9割が児童書です。
 児童書は、絵の点数が多くて、同時に何冊も進められないのが辛いのですが、楽しいです。
『ぼくの弱虫をなおすには』では、トレーラーハウスを描きましたが、トレーラーハウスって、なんとなく知ってはいたけど、それが実際どんなものなのかは、調べものも必要でした。そのうえで、ゲイブリエルが住んでいるのはどんなところかな、と想像して…。作者の頭の中にあるものとは同一ではないでしょうけど、自分で考えたイメージを絵に盛りこんでいけるところが、挿し絵の仕事の楽しいところです。

 お好きな子どもの本はありますか?
 子どものころに読んだ絵本の記憶はあまりなくて、唯一覚えているのが『なまりの兵隊』。画家や出版社は覚えていないんですが…。大人になって知った大好きな絵本は『かしこいビル』(ペンギン社)。ぐうぜんですがどちらも兵隊人形が出てきます。
 ほかに、大人になって出合い、衝撃を受けたのは、ミロスラフ・サセックの「ジス・イズ」シリーズ(ブルースインターアクションズ)。デフォルメしているのにリアルなところが、すごいと思いました。

 今後、やってみたいことはありますか?
 絵本をもっと作ってみたいです。子ども時代に見たものって、たとえぼくの名前を覚えていてくれなくても、「見た」記憶が何かにつながるかもしれないと思うと、わくわくします。

 ありがとうございました!

早川世詩男(はやかわよしお) 
1973年愛知県生まれ。第30回ザ・チョイス年度賞入賞。
装画・挿画の仕事に『ゆかいな床井くん』(講談社)、『ぼくはおじいちゃんと戦争した』(あすなろ書房)、『コトノハ町はきょうもヘンテコ』(光村教育図書)、絵本に『みんなえがおになれますように』(学研プラス)などがある。

(徳間書店児童書編集部「子どもの本だより」2023年3月/4月号より)

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