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かめが語る戦争/『ひろしまの満月』/文:編集部小島範子

 物語は、ある池の庭にいるかめのモノローグ、「わたしは、かめです。」で始まります。かめは、だれも住んでいない家の古い池に何年も何年も前からずっとひとりで暮らしていました。

 けれどもある日、その家に引っ越してきた家族の、小さな女の子の声で、かめの記憶がよみがえります。

 月を見上げると、満月。かめの思い出ドアのかぎがあきます。かめには、心がばりばりとやぶれてしまいそうな思い出があるのです。

 引っ越してきたのがどんな子か見てみよう、と思ったかめは、池を出て、女の子と出会います。「わたし、かえで。二年生。かめさん、名前は?」ときかれたかめは「まめ」と、人間のことばで名乗ります。

 しばらくして、かえでちゃんと仲良くなったころ、まめは語りはじめます。自分がこの池にいるのは、ずっと前、この家に住んでいた中学生の男の子に、お寺の大きな池から「ゆうかい」されたから。その中学生の男の子、みのるくんには、かえでちゃんと同じくらいのまつこちゃんという妹がいて、ふたりもその家に引っ越してきたばかりでした。まめの話を聞いたかえでちゃんは、昔ここに住んでいたまつこちゃんに親近感を覚えます。

 こうしてまめは、かえでちゃんに、少しずつ、まつこちゃんたちとの思い出を語っていきます。そのころ、日本は戦争をしていたことや、毎日の暮らしについて…。

 とうとうまめは決意して、「その日」のことをかえでちゃんに話しはじめます。その日というのは、ずしんと地面がゆれて、みのるくんが出かけて行った町の上に、大きな、不思議な色の雲がわいた日のことです。そして、みのるくんは帰ってきませんでした。みのるくんをさがして、お母さんは毎日町に出かけていきました。でも、おかあさんが見つけて持ち帰ったのは、みのるくんのおべんとうばこと、制服についていた陶器のボタンだけでした。

 夜、おかあさんとまつこちゃんは、縁側で大きな満月を見あげながら、なみだを流します。一緒になみだを流していたまめは、そのときから人間のことばを話すことができるようになったのです。

 「戦争は、かなしみのもとです」と、かえでちゃんに語りかける、まめ。原爆による悲惨な状況は描かずに、心に残った悲しみをとりあげます。

 戦争で悲しむ人がこれ以上現れませんように…という著者の強い願いが伝わる、低学年向けの作品です。

 先日出会った中学生の男子が、第二次世界大戦を題材にした本を読んだ感想として、「のちの世にも伝えなくてはいけないことがあると思う。そして、それができるのは本だと思う」と、力強く話してくれました。いままでは高学年向けに原爆のむごさを伝えてきた著者が、低学年向けにどのように書こうかと悩みながら著したという本書。かめが語ることで、恐怖や恨みではなく、戦争がもたらした悲しみを伝えています。また、読者を物語へ誘うのは、全頁に描かれたささめやゆきのイラストです。広島でいなくなった大勢の子どもたちのこと、家族を失った人たちのことを覚えていてください、と満月を見上げるまめの姿が心に残る一冊です。 


『ひろしまの満月』
中澤晶子 作
ささめやゆき 絵
小峰書店 刊

文:編集部 小島 範子
(徳間書店児童書編集部「子どもの本だより」
 2023年/7・8月号より)

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