TikTokで踊れない全ての大人たちへ

明治時代以降の初等教育において重要視されていた、読む・書く・計算(そろばん)。それから100年経ち、新しい元号を迎える今、文科省ではこれを「ググる・Youtube」へ見直すよう検討しているらしい。

(というのは冗談として)「ググる・Youtube」はこれからのインターネットジャングルを生き抜く術である。自分の子どもには必ず覚えてほしい言葉の一つだ。

例えばエアコンが突然臭くなったとき、「エアコン 臭い 原因」といった具合にGoogleの検索窓に打ち込むと、エアコンが何故臭くなるのか、そしてそれを直す方法やプロの業者へコンタクトを取る情報へ辿り着く。ググることが出来れば、あらゆる問題に対処する方法に即時アクセスすることが可能になる。この場合、解決したい事象について検索エンジンが理解しやすい短い言葉に整理する能力が必要になる。(よって読み書き的能力は依然として重要になるわけだけれども。)

大抵のことは「ググる」ことで解決する。自分で解決出来なくても解決できる誰かにコンタクトを気軽に取ることができる。ググることで解決できないものがあるとすれば、自己実現・承認欲求を満たすことかもしれない。これらは何かを表現し発信することが必要となるが、それを実現する最も最適なツールが動画でありYoutubeである。テキストよりも画像よりも圧倒的に情報量が多く、人類が最も消費しているコンテンツプラットフォームを、しっかり使いこなすことは21世紀を生きる僕らにとって必須科目だ。

そして最も恐ろしいことは、「動画を作れること」自体にほとんど価値はない、ということだ。PremiereやAfterEffectでゴリゴリ編集した動画も、TikTokでサクッと自撮りした動画に勝てなかったりする。何がウケるか、何が楽しんでもらえるか、なんてことは誰にもわからない。呼吸をするように動画を作って配信し続けてPDCAを回さないと、勝てない。TikTokを小さい頃からやっている子どもたちには、自分が動画に出る羞恥心みたいなものが全くない(と思う)。これは圧倒的に強い!呼吸をするように動画をつくるために必要な能力を、彼らは大人になる前に身につけている。僕たち大人は、この羞恥心を捨てるところから始めないといけない。

“Stay hungry, stay foolish” は、TikTokで踊れない全ての大人たちへ向けたジョブズからの警鐘だ。一億総クリエイター時代なんてのはまやかし、羞恥心が邪魔をしてクリエイターとして認知されないまま消えていく幻想の時代に、僕たちは報われるその日まで踊り続けなきゃいけない。

(TikTokやればいいって話じゃない、おわり)

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