真心を聴く

色んなバンド音楽を聴きすぎると、人は音楽EDになる。そもそも大多数の人は音楽を色々聴こうとはしない。いくつかの好きなアーティスト(ないしジャンル)の音楽を繰り返しずっと聴き続けるのが一般的な楽しみ方になっている。
何かの間違えで色んな音楽を聴き始めてしまった人(このブログを見るような人)は、WAVファイルを再生するだけでは興奮しなくなって、ライブに軸足をズラしていくハメになる。

漏れなく僕も音楽EDで、ライブに軸足がズレて、しまいにはライブをする側(音楽を楽しむの崖の淵、別名地獄)に立たされてしまった。地獄から音楽を聴き始めたおかげで、胸が躍る音楽とそうじゃないものの違いについてよく考えるようになったのだけれども。

確実に言えるのは、ジャンルと呼ばれるものは全く関係ないということで、自分が好きだと思っていたジャンルの音楽も、ライブとして目の前で体感すると「そうでもねーなー」なんて思うこともしばしば。逆に全く興味がなかったはずのジャンルの音楽でも、なんか知らんけどカッコいい、という感情に襲われることも少なくない。
バンドを構成する要素を説明するのは非常に難しい(というかまだよくわかってない)のだけれども、ボーカルは「グッとくる」を担っていると最近は思うようになった。これは、叫ぶように歌うとか、熱いMCとかそういう次元ではなく、一貫して真心を感じるかどうかという点に尽きる。真心とは、偽りのない心や姿勢、誠意のことで、そこにお決まりの型はない。
ナインス系のバンドっぽく歌ってても全然グッとこないバンドもあれば、静かに小さく優しく歌ってるのに自然と涙が出てくるようなバンドもある。

ちなみに真心は磨き続けないと霞んでしまう。自分自身と向き合い言動を振り返ることで、初めてグッとくる何かに近づける気がする。内省的なブログや日記を書き続けてる人を見ると、それだけで僕は心が惹かれてしまう。
もはや僕は音楽を聴いていないのかもしれない。音楽は僕の中で総合格闘技的なエンタメになりつつある。イヤホンから流れる音を音楽と言い切ってしまうのは、あまりにもチープだし勿体ない。

No thank you.