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『ミークス・カットオフ』と『ハウルの動く城』と『雨』の感想

1つの記事にまとめるにしては分量が足りない映画の感想が3作品分溜まったのでそれらをまとめてここに公開してみようと思う。本当はそれぞれで1000~1500文字くらいの感想にできたらいいけど、特に書くことが思い浮かばないので仕方ない。映画は統一性があるようでない感じ(ちょっと考えさせられるという点だけ似てるかもしれない)。

『ミークス・カットオフ』の感想

この作品の舞台は1800年代のアメリカ大陸。ヨーロッパからの移民がアメリカ大陸を開拓している時代の話である。本作では移民が荒野をさまよい歩く話が描かれる。

この映画は正直とても地味だった。終始荒野を歩いているだけという冗長な内容。大きな出来事もせいぜい原住民を捕まえるくらいだし基本的には退屈なシナリオとなっている。

話の主題としてはやっぱり開拓時代のアメリカに対して懐疑的な目線を投げかけるという点になるだろう。原住民に対して高圧的な白人を強調して描くことで異なる文化を迫害する残酷さを描いているように感じた。白人側も原住民が何を考えているかわからないので過剰なまでに原住民を恐怖している。それゆえに原住民を信じられずヒステリックになっていくという面も描かれている。そのあたりの心理的な恐怖を元に迫害的な心理が生まれるという点を描くのはリアルだった。

作中ではマッチョイムズを象徴した人が道を指し示すけど、その自信満々に案内する道が実は根拠のないものであるという、自信家で信用できそうな人間に対する懐疑的な目線も多少なりともありそうに思えた。見ようによっては様々な解釈が得られる映画ともいえるかもしれない。

ただやっぱり退屈な映画ではあるなと思う。最後も特に山場がなく終わったしそこまで面白い映画でもなかった。

『雨』(ルイス・マイルストン監督)の感想

この作品はとある島で一緒になったサディという自由な気風の女と、厳格なキリスト教徒であるデヴィッドソン一家がちょっとしたことから諍いを起こし喧嘩をするという内容になっている。

この映画は明らかにアンチキリスト教という文脈が含まれている。デヴィッドソンが厳格で融通が利かない感じに描かれており、自分と違う思想に対して寛容さを持ち合わせていないのが鼻につくように描かれている。有罪でも無罪でも関係なく罪をつぐなうべきであるという強硬な姿勢をとるので「流石に理不尽では?」と思ってしまった。

作中では自由な気風を持つサディがデヴィッドソンのキリスト教的な考え方に触れることで改心し自ら罪を償うという決心をするという風に描かれるが、結局それはサディの演技で嘘だったという結末になる。それが嘘じゃなかったら単なるキリスト教映画で終わりという風になっていたので自分としては本作の展開で納得した感じがある。

ただ最終的にデヴィッドソンが自殺をしたということだけは咀嚼できなかった。罪のないサディが自ら罪を償うということを誘導してしまったことに罪悪感を感じて自殺してしまったのだと解釈したが実際はどうなんだろうか?モームが書いた原作があるみたいなので詳しくはそちらを読むつもりだが、映画だけ観ると唐突な感じがしてしまった。

でも映画としては結構好きな作品ではある。サディとデヴィッドソンの思想の対立が上手く描かれていてそういった空気感が好みな匙加減。デヴィッドソンが横暴な正義を発揮するシーンもリアルで良かった。この時代の映画はテーマをわかりやすく提示してくれるから面白いと思う。

『ハウルの動く城』の感想

以前この映画は見たと思っていたのだが、主人公が老けてしまうという大筋すら忘れていた。なので実質初見と言っても差し支えない。

やっぱりこの時代の宮崎駿はセンスがすごいと思う。最初あたりの街を歩くシーンだけでも街並みの鮮やかさや戦闘機の配置の仕方などで世界観の豊饒さが伝わってくる。こういうファンタジーを描くとどこかで見たという感じになりがちなことが多いが、オリジナリティも感じるし他の宮崎駿作品ともまた違った印象を受ける。

話の内容としては荒れ地の魔女に老人にさせられてしまったソフィーがハウルの城へ行き一緒に暮らすという感じ。説明がまったくないままノリで暮らす感じになってたけど、考えてみると結構突飛な展開かもしれない。

その後はソフィーが王宮へ行ったり、ハウルが戦場に行ったりと解釈が難しい展開が続く。結局最終的にはカルシファーをハウルの心臓に戻し、ハッピーエンドっぽい感じで終わる。

ぶっちゃけよくわからなかったなというのが正直なところだ。なんとなくこうなのかなという仮説は思い浮かぶけど、メタファーらしきものが多すぎて情報が処理しきれないという感じがした。例えば初期のソフィーが老人になってしまったのは彼女の精神が年甲斐もなく老成していたからで、ハウルたちと接することでだんだん感性とともに若さも取り戻していったのかなという仮説を立ててみたけど「本当にそうなんだろうか?」という疑問もぬぐえない感じ。

カルシファーはハウルにとって何だったんだろうなというのが一番気になるところ。動く城全体がハウル自体を隠喩的に表してて内面世界的に城を描いているのかなとも感じた。そうなるとカルシファーが心臓で、動くためにはそれを燃やさないといけないというのも納得いく感じはするけど、結局最後にカルシファーが解放されるのはなんだったんだろうという疑問もあるし、全体的にわかりそうで咀嚼できないという感じがする。

また見直してみると違った印象が得られるかもしれないのでそのうち見直してみようかなと思う。いつになるかはわからないけど他のジブリ作品をいくつか観たら再度観てみるつもり。

まとめ

ハウル以外はFilmarksで感性が近そうな人が高評価を付けていた作品だったので見たという経緯がある。実際に結構面白かったが、やっぱり人それぞれ感性に細かな違いがあるので完全にドンピシャで良い作品にあたれたという感じはしない。ただそれなりに良い作品にはあたれそうなので今後もFilmarksで気になる作品を探すというのはやっていこうかなと思う(ちなみにアマゾンレビューは個人的にまったく参考にならないと思っている)。


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