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本田圭佑と中田英寿の違いから考えるスラッシュキャリアへの変化

この記事は2018年10月19日に東洋経済オンラインに寄稿した記事の転載です。

サッカーロシアW杯大会が終わってから早くも3カ月が経とうとしています。

すでに、森保新監督のもと新しいサッカー日本代表が躍動をはじめており、ロシアW杯の出場選手たちもそれぞれに活躍の幅を拡げていますが、やはりその中でもいちばん驚きをもって受け止められたのが、本田圭佑選手によるカンボジア代表の実質的な監督就任でしょう。

サッカーの現役選手としてメルボルン・ビクトリーでプレーを続けながらの、カンボジア代表監督就任という異なるチームでの選手兼監督という前代未聞のチャレンジもさることながら、現在のコーチングライセンス制度に対する問題提起も相まって、本田選手のこの新しい挑戦にはさまざまな賛否の意見が渦巻いていたようです。

W杯後の日本代表中心選手の去就という意味で、記憶に新しいのは12年前の2006年。ドイツW杯日本代表の中心選手だった中田英寿選手の電撃的な現役引退表明ではないでしょうか。

29歳という年齢で、まだまだサッカー選手として活躍が期待されていた中田選手が、ある意味キャリアの頂点における現役引退を表明しただけでも衝撃的な出来事でしたが、引退会見をあえて開かず、中田選手自身の公式ホームページ上で現役引退を表明するという方法も、大きな驚きでした。

本田圭佑選手も32歳という年齢もあり、ロシアW杯を最後に代表引退だけでなく、現役引退をすることも考えていたと言われています。

そうした中で、本田選手があえて選手兼代表監督というキャリアへの挑戦を選択したことは、同世代のビジネスマンにとっても考えさせられる出来事なのではないでしょうか。歴史を振り返ると、サッカー界を代表するスター選手たちのキャリアが、実はその世代のキャリア感とシンクロしていることに気がつきます。

従来、日本におけるプロスポーツ選手の象徴的なキャリアは、プロ野球、巨人における長嶋茂雄氏や王貞治氏のように、1つのチームで新人時代から晩年までを過ごし、同じチームで引退する、というものでした。ある意味でかつての日本企業に脈々とあった、新卒採用から定年までの終身雇用と同じような構造だったと言えるでしょう。

そうしたスポーツ選手の典型的なキャリアのイメージを大きく変えた選手と呼べるのが、カズこと三浦知良選手でしょう。

三浦知良選手は、ヴェルディ川崎の中心選手としてJリーグを牽引し、アジア人初のセリエAプレーヤーにもなり、後の日本人選手の欧州挑戦への扉を開いた選手でもあります。

その後、クロアチア・ザグレブ、京都サンガ、ヴィッセル神戸を経て横浜FCに移籍。シドニーFCへの挑戦などを経て、50代になった今でも現役選手としてプレー。Jリーグ最年長得点記録を更新し続け、「リーグ戦でゴールを決めた最年長のプロサッカー選手」としてギネス世界記録にも認定されているほどです。

ある意味、1つの会社に終身雇用で勤めるのではなく、サッカー選手という職業に人生を捧げている一生現役のスタイルを体現していると言えるでしょう。

三浦選手は1967年生まれですが、1960年代生まれから1970年代生まれを中心として、幅広い世代に支持されるスタイルなのではないかと思います。

一方で、中田英寿選手は、サッカー選手としてのキャリアの頂点で現役引退を表明したことで、一部のサッカーファンからは批判の対象にもなっていたようですが、現在では日本酒の魅力を世界に広める活動に注力されています。

中田選手は三浦選手と10歳違う1977年生まれ。1970年代後半生まれから1980年代生まれの、ある意味、転職することが徐々に珍しくなくなってきた世代のシンボル的な存在とも言えるかもしれません。

ちなみに、今年惜しまれながらも引退をした安室奈美恵さんも1977年生まれ。中田選手も安室さんも、どちらもキャリアのピークにおいて引退を表明し、惜しまれながら違う形での人生を再スタートするという意味で、世代を代表する存在のように感じます。

そう考えると興味深いのが、本田圭佑選手的なキャリアのあり方です。

本田選手は中田選手からまた10歳近く離れた1986年生まれ。その本田圭佑選手は、中田選手のように明確にキャリアチェンジをするのではなく、同時に複数のキャリアを並走することを選択したわけです。

もともと本田圭佑選手は、サッカー選手でありながら、2012年にサッカースクールを開校し、日本中に展開していますし、オーストリア3部リーグのSVホルンやカンボジアのシュムリアップ・アンコールFCなどの経営にも携わる経営者でもあります。

また、ウィル・スミス氏とともに設立したベンチャーファンドが話題になったように、投資家でもあるわけです。

実はこうした同時に複数の肩書で仕事をすることは、インターネット時代においてはもはや珍しいことではありません。

「複業」や「マルチキャリア」「スラッシュキャリア」など複数の呼ばれ方がありますが、従来の「副業」が本業の傍ら副収入を稼ぐ、というイメージが強かったのに対し、複業やスラッシュキャリアは同時に複数の仕事に全力投球しているイメージです。

世界的にも、アーティストや俳優が、本業を続けながら起業して会社を経営するケースはもはや珍しくありませんし、日本企業においてもマネジメント側の立場でありながら、複数の組織に携わっていたり、個人経営の会社を持っている人が大企業の重要な役職に就任したりするケースも増えてきています。

サラリーマンが、YouTubeやブログ、LINEスタンプのデザインなどで、フリーランスのように収入を得ることも珍しい話ではありません。

ある意味、本田圭佑選手の、選手兼代表監督の同時挑戦は、そんなスラッシュキャリア的なことが普通の世代においては、ある意味当然の挑戦なのかもしれません。

一昔前、転職が当然ではない世代からは、転職すること自体が批判の対象になってしまうことがよくありました。現時点において、複業やスラッシュキャリアが当然ではない世代には、2つの仕事に同時に挑戦すること自体が非常識であり、批判の対象になりやすいことも事実でしょう。

ただ、そんな本田選手の挑戦も、また10年後に振り返ると、社会的には普通の行為として考えられる時代になっているかもしれません。

この記事は2018年10月19日に東洋経済オンラインに寄稿した記事の転載です。

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