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【FC徳島】➇「プロになることが当たり前だと思っていた」 もがき成長しながら道を模索中 MF近藤蔵波選手

 「プロになることが当たり前だと思っていた」。FC徳島に2023年シーズンから加入したMF近藤蔵波(くらば)選手(21)=徳島市出身=は、セレッソ大阪の下部組織で活躍し、U-15日本代表に選ばれた経歴を持つ。自身が思い描いていたプロとは違う道を進む今、成長ややりがいを感じつつ、迷いながら将来の道を模索している。

四国サッカーリーグ第13節KUFC南国戦でプレーする近藤選手=2023年9月、鳴門市の鳴門球技場

 日韓ワールドカップが開かれた2002年に生まれた近藤選手は、物心がついた頃からサッカーボールに触れていた。家の中にたくさんのボールがあり、「今思ったら恥ずかしいけど、ベッドの上でオーバーヘッドやボレーをしていた。生活がサッカーだった」と笑う。千松小時代は父がコーチを務める田宮ビクトリーサッカー少年団で活躍。6年生で主将を務め、全日本少年大会に出場した。

 そして、中学進学と同時にセレッソ大阪の下部組織に加入する。出場した全日本少年大会でセレッソ大阪のU-12が優勝しており、親からの「どこ行きたいん?」という問いかけに、「一番強いところがいい」と思いを伝えた。自信にあふれていた。親元を離れて大阪の中学に進学し、セレッソ大阪のU-15でプレーすることが決まった。

 より高いレベルの中でさらに成長を遂げる。将来の日本代表を育成する役割を担う「JFAエリートプログラム」のU-13、14に選ばれ、2017年にU-15日本代表となった。同年のU-16アジア選手権では予選リーグで得点を決めるなどし、6大会ぶりの優勝に貢献した。

セレッソ大阪U-15時代の近藤選手(中央)=2018年、大阪市此花区のセレッソスポーツパーク舞洲

 高校時代にはセレッソ大阪U-18に上がり、19年にはJ3で戦う「セレッソ大阪U-23」の試合に高校2年で出場し、J3デビューを果たす。技術ではやっていけると感じていたが、フィジカルの部分で相手が大きく見え、普段は試合で緊張することはないが程よい緊張感もあったという。「その時は目指しているのはそこではなく、もっと上だったので、やっと出られた感じ」と当時の心境を振り返った。

 しかし順調にプロへの道を進む近藤選手に、試練が訪れた。19年の冬、代表合宿から帰ってきてすぐに足首を負傷。大きなけがをしてこなかったが、その後も右足をひねるなどのけがが続き、控えていたU-17ワールドカップの代表には選ばれなかった。「この時もまだプロになれんとは思わなかった。けど、今思ったらそこが一番大きかった」と語る。

練習のようす=吉野川市川島町のヨコタ上桜グラウンド

 その後手術し、20年8月に復帰したがプレーは良くならない。中学から県外に出させてもらっていたので、親にこれ以上の面倒はかけたくないという思いもあり、大学には行く気もなかった。そんなところに監督から紹介されたのが、シンガポール1部リーグのアルビレックス新潟シンガポール。Jリーグでプレーしたい思いもあり、かなり考えたが、海を渡った。

 21年からアルビレックス新潟シンガポールでプレーし、22年には同じリーグのバレスティア・カルサFCから誘いがあり、移籍した。ただ、日本人選手の多いアルビレックスとは違い、バレスティアは日本人選手が3人だけで、外国人枠でのプレーだった。英語が分からないためコミュニケーションが取れず、試合でも思い通りのパスが来ないといった状況が精神的にきつかった。チームも勝てない試合が多く、正直楽しくなかったという。

 1年で退団し、日本でチームを探していて、条件面で当てはまったのがFC徳島だった。徳島でプレーするのは小学生以来。チームでは、もともとの左サイドハーフではなく、ボランチを担うことが多く、攻撃のリズムをつくるチャンスメーカーを務める。「守備は嫌いなので、そこは(監督から)言われるけど、攻撃面で他の選手とは違ったパスを出せていると思う」と話し、「相手の逆を取ることが気持ちよくて、一番楽しい。技術が高いかは分からないけど、(パスの)アイデアは他の人と違うものを持っている」と自身の持ち味を分析した。

パスを出す近藤選手(中央)=鳴門市の鳴門球技場

 サッカーをしながら、平日は建設機械・資材の会社で働いている。機械・資材のレンタル準備や配達などを担当しており、「仕事をするのは初めての経験で、いろいろと難しいし、怒られることもある。税金や国民年金とか分からないことも多いけど、頑張っている途中」とはにかむ。

 他にも、セレクションで選考された小学4年生以上を対象にしたスーパークラスのコーチとして、月に3回指導したり、J3の奈良クラブに所属する森田凜選手が主催するオンラインサッカースクールを手伝ったりしている。「伸びしろがあったり、教えたことができるようになったりするのはうれしい」と、指導へのやりがいも感じる。

サッカーを続ける理由について「祖父母の存在が大きい」と話す近藤選手=吉野川市の日本フネン市民プラザ

 シンガポールに渡り、昨年くらいから心境に変化も出てきたという。「Jリーグに行きたいと思っていたけど、今後(選手をやめた後)のことの方が大事かなと思うようになった」。FC徳島に入ってからもサッカーをしながら仕事をする中、いろんなことを経験して成長も実感し、自分と向き合っている。

 「今は自分が将来の道を探している途中だけど、サッカーをしているのを楽しみに思ってくれ、応援してくれる祖父母や親の存在が大きい」とサッカーを続ける理由を語った。目の前(取材時点)には大きな目標もある。FC徳島はJFLへの昇格を懸け、11月10日に開幕する全国地域チャンピオンズリーグに四国王者として臨む。「個人よりもチームで上がるのが一番。JFL昇格という目標に向かって頑張るだけ」と覚悟をにじませた。(2023年10月取材)

ドリブルで攻め上がる近藤選手(右)=鳴門市の鳴門球技場


徳島新聞デジタル版でFC徳島の活動や選手を特集しています