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ヒロシマから考える人間の尊厳 -広島訪問前日記-

今度広島に旅行することとなった。その際はもちろん原爆ドームや広島平和記念資料館など原爆関連のスポットも訪れるつもりである。
親族に被爆者がいるわけではないものの、広島には長らく格別の思いを抱いてきた。本日はそれについて綴りたい。

中国で聞いた原爆の話

 私の原爆に関する最初の記憶は中国にいたときのものである。幼稚園から小学校3年生まで私は中国で暮らしていたが、そんな小さな頃から私は色んなところで歴史の話、特に日中戦争に関する話をたくさん聞いてきた。中国で日本といえば先の大戦における侵略の記憶はどうしても話題に上がってくる。私が日本出身だったせいもあるか、そんな小さい頃から、過去の戦争で日本が中国を侵略したこと、中国がそれで多大な犠牲者を出したことを色んな人から聞かされた。

 そんな幼少期にある日ふと日本に落とされた原爆の話を聞いた。もう誰からその話を聞いたかもよく覚えていないものの、発言の内容だけははっきり覚えている。

日本に原爆が落とされたことは当然の報いだ。(日本挨原子弹炸是活该的)

「当然の報いだ」というのは中国語の「活该」の訳で、本来はこの訳以上に強い言葉だという印象があるものの、意味合いとしてはそんな感じだろう。
当時まだ幼くナイーブだった私は、日本がそんなにひどいことをしたのならまあそうか、くらいに思っていた。

(ここで中国では今でも過去の日本人を責める方がいっぱいいるとか、中国人みんなが日本への原爆投下をこのように思っていると誤解される方が出てくると思うが、これはあくまで私個人の体験であることに留意していただきたい。)

 さて、数年後に私は日本に戻った。小学校の授業で、(多くの人が経験したことだと思うが)はだしのゲンのアニメ版を観た。多くの人が知っている通り、はだしのゲンは原爆によって人々が受けた被害を非常にリアルに描写しており、大人でさえ目をそむけたくなるようなシーンばかりである。当然子どもの心には耐えきれないほどの衝撃を与える。
 アニメ版でショックを受けた私は、気になって図書館の本棚にある漫画版に手を伸ばす。やはり残酷な描写が多く目を背けたくなる。しかし、目を背けてはいけないという思いからなんとか最後まで読む通そうとする。
 原爆投下直後から時間軸が遠ざかるにつれて残酷な描写は減っていく。しかし、原爆による地獄は決して終わらなかった。被爆者が受けてきた差別、時間が経っても突如命を奪う可能性がある原爆の後遺症、そういったものに苦しみながら懸命に生き抜こうとする人々の姿が描かれている。やっと普通の人生を歩み始められると思うたびに、登場人物に悲劇が襲い掛かり、その歩みを挫けさせる。主人公のゲンが叫びをあげるシーンに、自分が図書館で人目をはばからず涙を流したことを今でも鮮明に覚えている。

 はだしのゲンを読んで以降、罪悪感に苛まれた私は、原爆への関心が高くなった。毎年広島・長崎に原爆が投下された日に開催される記念式典は、できる限りすべて観てきたし、原爆関連の書籍や資料、番組に触れる機会があれば積極的に見るようにしてきた。
 しかし、一方で自分を苛むこの罪悪感の正体が何なのかを私はどうしてもわからなかった。もちろん、原爆投下による被害をろくに知りもしないで、原爆者の方々の尊厳を軽んじるような考えを抱いていたことに対する罪悪感はある。でも、どうもそれ以上の何かが私を苛んでいたような気がしてならない。その正体を、最近になってやっと言語化できるようになった。

罪悪感の正体:原爆投下への肯定が意味する人間性の否定

 自分の罪悪感の正体について述べる前に、自分の思考の前提についてまずは触れたい。
 ある人が他者に対して何か判断を下す時、対象を限定する合理的な理由がない限り、その発言の前提となる内容は(発言者本人も含めて)すべての人に普遍的に適用できるべきである。例えば、ある人が「あいつは嘘つきで最悪なやつなんだよ!」という時、彼/彼女の発言から「(自分を含め)人は嘘をつくべきではない」という前提を導き出せる。そして、彼/彼女はこれに沿って自分を律するべきである。

 さて、先ほど紹介した「日本に原爆が落とされたことは当然の報いだ。」という発言からはどのような命題を導き出せるだろうか。この発言の前提となるべきことを言語化すると、このようになるはずである。

何らかの形で「加害者」として分類される属性にある人たちは、その報いとして(原爆扱いのような)非人道的な扱いをされてもよい。

なぜこのような命題になるかといえば、原爆の投下が日本人にとって「当然の報い」であるのは、当時の日本が中国への侵略および中国での非人道的行為という「加害」行為を行っていたからである。ここで使われている「加害者」という概念についてさらに詳しく述べたい。「加害」には意識的なものも無意識的なものも含まれる。先の大戦でいえば、中国への侵略戦争に意図的に加担する人(政治家、軍人、etc)も、そうでない人(一般市民とか)も、中国への「加害者」という風に言うことができる。一般市民と一口にいっても様々な方がいる。自分の思想信条に基づいて戦争を支持し協力した者、よく知らないものの周りに流されてなんとなく支持・協力した者、戦争に反対していたもののそれを公に言えなかった者、当時の日本社会にいる者はすべて何らかの形で戦争に加担しうる立場にいたのだ(たとえ心情的には反対していても、その社会で労働し納税することで間接的に戦争を支えることができる)。なぜこのように「加害」を捉えるかといえば、中国への戦争を直接加担した(指揮・命令、戦争への参加等)政治家・軍人や兵士でない、一般市民の犠牲を正当化するには、このように「加害」の範囲を広げるしかないからだ。
 さて、このように「加害」を捉えると、実は現代に生きる我々も何らかの形で「加害者」となる。例えば、私たちが買っている製品は途上国で起きている児童労働や人権侵害の産物かもしれないし、知らないうちに侵略戦争を行っている国の製品・サービスを消費している可能性もある。
 そんな「加害者」である我々にある日いきなり原爆が落とされ、これは当然の報いだといわれるような事態を想像してみよう。これは果たして正しいのだろうか。これは先の発言をした人にも当てはまる。もしその人が何らかの形で「加害者」にカテゴライズされうるとすると、彼/彼女の命も彼/彼女の大切な人の命も非人道的な行為をされても「当然の報い」という一言で片付くような”軽い”ものとなる。

 これは、広島・長崎への原爆の投下を「仕方ない」と捉える意見にも同様に当てはまる。
 ある人が広島・長崎への原爆の投下を「仕方ない」と言った瞬間に、その人とその人の大切な人たちの命は、尊厳を踏みにじられても「仕方ない」で済まされる程度の価値しか持たなくなる。なぜなら、その発言の前提に従うと、すべての人が何らかの形で「加害者」に分類されうる以上、非人道的な扱いを受けてもそれは「当然の報い」でしかなく、発言者は(撤回しない限り)自分の発言の前提に従うべきだから。

 どんな形であれ、先の大戦における原爆投下を正当化するような発言は、(被爆者はもちろんのこと)発言者自身やその大切な人の人間性すらも踏みにじるものである。
 そして、被爆者の方々のみならず、自分の人間性をも踏みにじるような考えを、一時的とはいえ、私は持っていたのである。

結び:「内なる広島」を見つけるには

 原爆関連の著作の中に、作家の大江健三郎が書いた『ヒロシマ・ノート』というものがある。彼が広島を何度も訪れた経験をもとに書かれたものである。
 大江健三郎は被爆者ではないため、彼は非当事者という観点から広島の原爆を綴ることになる。時には当事者、つまり被爆者たちの内面にも触れてなくてはならない。ここで一つの問いが浮かび上がる。如何にして非当事者が当事者を語ることが正当化されるのだろうか。
 彼本人の真意を知らないため、この問いに私は正解を出すことができない(それこそ私はこの本の執筆過程の”非当事者”である)。ただ、一か所本書における非常に印象的な箇所をここで取り上げたい。

 大江は本書のプロローグ、つまり冒頭部分にてとある被爆者が自分に送った手紙の一部を紹介している。

「沈黙することの不可をほとんどあらゆる思想家、文学者が口にして、被爆者に口をわることをすすめました。わたくしはわたくしたちの沈黙の感情をくめないこれらのひとびとを憎悪していました。わたくしたちは八月六日を迎えることはできません。ただしずかに死者と一緒に八月六日をおくることのみできます。ことごとしく八月六日のために、その日の来るのを迎える準備に奔走できません。そういう被爆者が沈黙し、言葉少なに、資料としてのこす、それを八月六日、一日かぎりの広島での思想家には理解できぬのは当然です」

大江健三郎『ヒロシマ・ノート』p.5

沈黙を希望する被爆者たち、八月六日を静かに迎えたい被爆者たちの感情を思想家、文学者が踏みにじっていることを糾弾する内容である。この指摘は、本書の正当性を根本から揺るがしかねないものである。
 上記の手紙は、本来は大江が雑誌に掲載したエッセイに対する共感の言葉として書かれたものだが、大江は同時にこの手紙によって自分の文章に「もっとも鋭い批判のムチが加えられたこと」にも気づかざるを得なかったのである。

 大江は自分自身の試みを「内なる広島」を見つけようとすることだと述べている。

僕自身の内なる広島がこの出版(=『ヒロシマ・ノート』の出版)によって完結するのではない。いわば僕はいま、広島的なるもののうちへ入り込んだばかりだ。それに、もし広島に対してあえて眼をつむり耳をとざし舌を縛ろうとする者にとってでなければ、かれの内部において広島的なるものがすっかり完結することは決してないであろう。

大江健三郎『ヒロシマ・ノート』p.5

思うに非当事者でないからこそ、我々がみる広島はどれも我々の内側にある広島にすぎない(これはもう一つの被爆地である長崎にも当然当てはまる)。一方で、その行為は先ほど述べたように当事者からの批判を免れ得ない。内なる広島を見つけようとすること、そして同時に自分の行為の正当性を揺るがしうる当事者からの批判を常に受け入れるは、我々の内心に凄まじい緊張関係をもたらしうる。しかし、そうすることによってしか、非当事者は自分の中に内なる広島を少しでも正当なものにできないのではないだろうか。

 ではそもそもなぜ非当事者が原爆を語らなくてはならないのだろうか?

はばかることなく卒直に言えば、この地球上の人類のみな誰もかれもが、広島と、そこでおこなわれた人間の最悪の悲惨を、すっかり忘れてしまおうとしているのだ。われわれは、自分の個人的な悲惨を、できるかぎり早く忘れようとする、大きい悲惨も、小さな悲惨も。街角で見知らぬ他人にちょっと軽蔑された、というような小っぽけな悲惨でも、翌日まで持ちこすまいとする。そういう個人の厖大なあつまりである全人類が、広島を、人間の最悪の悲惨の極点を、忘れようとするのに不思議はない。小学校の教科書を調べてみるまでもなく、現に大人たちは、子供たちに、広島の記憶をつたえようとつとめてはいない。うまく生き残り、さいわい放射能障害もない誰もが、広島で死んだ人たちと、死にむかって苦しい戦いをつづけている人たちのことを忘れようとしている。

大江健三郎『ヒロシマ・ノート』p.102

こう述べた後に大江は、1964年の東京オリンピックの聖火リレーの最終ランナーに原爆投下日に広島に生まれた青年が選ばれたことに対して、不愉快だと述べたアメリカ人ジャーナリストを取り上げた。彼はこのアメリカ人ジャーナリストの発言の背後にアメリカ人の、そしてすべての核兵器所有国の指導者と人々の広島をすっかり忘れ去りたいという意志を読み取るのであった。

われわれ、偶然ヒロシマをまぬがれた人間たちが、広島をもつ日本の人間、広島をもつ世界の人間、という態度を中心にすえながら人間の存在や死について考え、真にわれらの内なるヒロシマを償い、それに価値をあたえたいと希うなら、ヒロシマの人間の悲惨→人類全体の恢復、という公理を成立させる方向にこそ、すべての核兵器への対策を秩序だてるべきではないか。

大江健三郎『ヒロシマ・ノート』p.101

大江は被爆者たちの沈黙したいと思う正当な権利を認めつつも、非被爆者には沈黙しない責務があることを見て取る。原爆の忘却に抗うこと、そして人間の存在の尊厳を恢復させること。自分の中に内なる広島を見出すことで、我々は自分自身も含めた人間の尊厳を守り抜くことができる。

 もちろん大作家に比べたら、私のような者が見いだせるものは微々たるものかもしれない。それに一回の訪問だけでわかることなんてそんなにないのかもしれない。それでも今回の訪問を、自分の人生でずっと続くであろう「内なる広島」を見つける旅の始まりにできたらと切に願う。それが被爆者の方たちの、そして自分の人間性をも否定するような考えをかつて持った私の責務であり、当然ひとりの人間としての責務でもあると私は思う。


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