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ショートショート「エリカ様は、告られない。」

これは、恋愛自意識過剰モンスターの女に見染められた、不憫な男の物語である。

中砂エリカは顔立ちに絶対的なまでの自信を備えている。なんて私は可愛いのだと。然し乍ら彼女の容姿は不細工でこそないものの、どれだけ忖度に忖度を重ねても、「中の中」が関の山で、街行く人が思わず見惚れる様なことは一度もなかった。エリカは大学時代に一度だけ居た当時の彼氏に何度も大袈裟に目鼻立ちを褒められた経験がありその体験に立脚し、尊大な自信を得ていたのだ。

山中修二はエリカからの執拗で露骨なアタックの数々に頭を抱えていた。山中は甘いマスクが人気の地下芸人で、三本のアルバイトで生計を立てる、夢見る真面目な若者であった。お笑い雑誌では屢々イケメン芸人の特集に取り上げられたが、根が実直な山中は「絶対にネタだけで勝負する」と肚を決めていた。その面構えの為、異性から言い寄られることは多かったが、然しそれ故に女性に思わせぶりな態度をとってはならないと、強く信条を持ってもいた。
エリカに対しても、明確に脈が無い事を何度も示唆してきた。ディナーに誘われた時には「平日は毎日バイト先で賄いを食べさせてもらう事を約束しているから、バイトの身分では断れない。土日の夜は、急なネタ合わせやネタ作りが入るため予定を入れられない。」つまり、平日も休日も全滅であると、些か無理のある断り方もしていた。バイトが賄いを断れないなど、殆ど意味が不明であるし、またブレイク中の芸人でもあるまい、多忙でこそあっても全く時間を作れないなどと言うことは無かった。

勘の良い人でなくとも脈が無いことを察しそうなものだが、エリカは一味違った。私にも逢えないくらいに忙しいなんて可哀想、夢の為に頑張っていて偉いと、目を潤ませ、多忙な山中に同情心さえ寄せていた。それもその筈、エリカは「山中が私に恋している」と確信していたのだ。
初めて会った時に特別に優しくされたことと、SNSへの投稿に熱心にいいねを押してくれたことが、その確信への主たる要因であった。

然し山中の認識との間には大きな隔たりがあった。初対面の方には礼儀正しく親切にするべしと学んでいた為、当たり前に丁寧に接しただけで特別だなどとは以ての外であり、社交辞令としていいねを押したのは合計で四回であった。

苛烈なアピールの剣林弾雨を潜り抜けてきた山中であったが、悲劇はあるお笑いイベントで起きた。プロダクション主催の所属芸人によるライブで、閉幕後のファンとの交流会もセットになった催しである。
この日、山中は大きな手応えを得ることになった。全十六組の演者中、初めて一位に輝き表彰された為だ。アンジャッシュに憧れ芸人を目指し始めた山中と相方の矢口は、インスパイア系のすれ違いコントを十八番としていた。影響は感じさせつつも、パクリや真似とは思わせない程に独自性も織り混ぜて構成された見事なネタであった。

コントの筋はこうだ。
一緒に映画を観に行った男女。相手の女性を口説こうとする気障な男性。然し気障ではあっても奥手な男は如何にも婉曲した口説き方ばかりをしてしまう。素直な性格をした女は、婉曲した言葉通りに意味を受け取ってしまい、二人の会話は滑稽にすれ違い続ける。最後に意を決して男がストレートに告白を試みるも、先程共に観た映画のシーンが不運にも重なってしまい、女が男に告白の台詞について駄目出しをしてオチがつく、と言ったものである。
東京03を手本に磨いた演技の上手さと、尖ったセンスを感じさせる言葉選び、冒頭の映画に登場する台詞を伏線として後半に回収して行く脚本力、それは、プロダクションのプロデューサーが「次は、こいつらかも知れない。」と舌舐めずりする程であった。

ところが交流会目当てで観覧していたエリカの解釈力は桁違いであった。このコントは、山中が私に遠回しに告白をしているのかも知れないと訝しみながら鑑賞していたのだ。
訂正するまでもなくそんな訳はない。山中はお笑いに対して誰よりも真摯であり、純粋に笑いだけを追求して書いたネタであって何より、山中は女役だった。解釈の飛躍は性別を超えたのだ。

交流会で山中は気を揉んでいた。やがてエリカが来る、と。
幸いこの日は大活躍であった為、常連の女性ファン達だけでなくコアなお笑いファン達も山中を囲んだ。「良く書けてた、顔だけだと思っていた、チャンネル登録した。」などの言葉に励まされた。此の儘他のファンとの会話が弾み続ければ、エリカに届かない。山中はステージでの平場以上にトーク力を発揮してファンサービスに注力した。然し哀しき哉、地下芸人の求心力には限界がある。一通り会話を愉しんだ客達は皆満足して他の芸人の元へ流れて行った。
そして、エリカの御成である。会いに行ける地下芸人の哀しき業は、会いに来るファンを拒めない所にもある。

キャットウォークで歩み寄るエリカを眺めながら山中は思案した、もういっそ告白してきてくれないだろうか・・・告白されれば、振ることが出来るのだ。どれだけアタックばかりされても、告白されなければ振りようもない。
頼むから告白して欲しい。そう念じながら、ぎこちない笑顔でエリカを迎えた。
エリカは開口一番、「私も、同じ気持ちだよ。」と言った。

山中の渾身のコントを、告白したいけれど勇気が出ない自分を表現したと解釈したエリカは、コントそのものを告白と受け取っていた。つまり、山中の告白にOKサインを出したのだ。

然し山中は告白などしていないし、抑も好意を寄せていない。それどころか早く振らせてくれと腐心してすらいる。
同じ気持ち?どれが?私も?話しかけられる直前は、告白してくれと念じていた、まさかそれと同じだと言うのか?いやいや心が読める筈がない、山中の脳内はアップセット状態にあり、殆どパニックに陥った。
「・・・何が・・・かな?」一筋の冷や汗が山中の首筋を伝う。

「私が、苦しめちゃってたんだよね?」
随分と遠回りな告白をさせたことにエリカは罪悪感を抱き始めていた。

苦しめていた、その通りである。山中の脳裏には苛烈なエリカの求愛行動がフラッシュバックされた。

「大丈夫、もう困らせたりしないからね。」
エリカは山中の愛を真っ向から受け止めることを決めたのだ。

「・・・ありがとう。」
遂にあの日々から解放される。不在着信と未読LINEの山から、事あるごとに胸を押し当てられたり、何を注文するのか聞いただけで耳打ちされてしまう距離感から、日常的な如何でもいい呟きにも必ず毎回1件ブックマークがついてしまうTwitterの恐怖から山中は遂に解き放たれるのだ。言葉にしたありがとうは、心からの感謝だった。

「私も大好きだよ!」
エリカは山中に飛び付き、接吻をした。

タダ飯食わぬは損であると、山盛りポテトフライを頬張っていた相方の矢口の耳には、確かに「ラブストーリーは突然に」のイントロが流れた。エリカは九十年代のトレンディドラマのヒロインよろしく、山中の首に両腕を回してぶら下がったのだ。桃色のパンプスが季節外れの桜の花弁の様に宙に浮いた。

山中ははじめその行為が接吻であるとは気付かなかった。エリカの上顎が強く口に当たり唇が切れて血が流れ、頬骨をぶつけられたことで鼻尖辺りに鈍い痛みを覚えていた。体感は殆どヘッドバットであった。
目線を落とすと自身の首に重くぶら下がるエリカの満面の笑みがあった。事態を遅まきに把握した山中は天を仰ぎ、泣き声にも似た悲鳴をあげた。

会場に居た女性ファン達は戦慄した。推しが暴漢に飛びつかれて流血している。山中に淡い恋心を寄せていた片岡千尋は手にしていたカルアミルクのグラスを床に落とし、邦画ホラー宛らに両の掌を両頬に押し当てながら絶叫した。
事の重大さを確信したプロデューサーは、スマートフォンを片手に百十番通報しながら山中の元へと駆け出した。此の儘では漸く輝き始めたうちの原石が傷物にされてしまう。

会場の隅でグラスを傾け佇む村瀬は、一人だけ事態を冷静に俯瞰して見ている。ボキャブラ時代からの古参お笑いフリークである村瀬は今日と言う日にとても満足感を覚えていた。
あのコントは素晴らしかった。山中にかもめんたる・う大以来の才気を見出していたのだ。事実、村瀬のお笑いを見る目は確かだった。オリラジのブレイクを誰よりも早く予見し、第七世代の流行の終焉もいち早くブログに書く程、先見の明を持っていた。そしてゴッドタンの人気企画「この若手知ってんのか!?」に登場した芸人は一組たりと知らぬことがなかった程のお笑い通だ。山中の女性ファンとのスキャンダルに村瀬が動じることはない。
渡部も、角田も、東ブクロもそうやって大きくなって行ったんだ、良いコント師にスキャンダルはつきものさ。そう独り言ちてハイボールを飲み干し瞳を閉じた。

村瀬の耳にはお笑い第八世代の足音が、静かに聞こえ始めていた。



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