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反コロにヤバい奴が多いのは、日々不足していた承認欲求が、中身のない自信によって突如満たされてしまったことに起因する。

マスク社会やコロナ対策に反対している人々のことを、通称「反コロ」と呼ぶそうだが、そうした人々の中には随分と「ヤバい奴」が高い比率で存在すると方々で耳にする事がある。
私自身は反コロと呼ばれる人との交流が抑も多くない為、殆どが聞いた話に基づく考察になるが、エピソードなど余りにも多く聞いたので、一寸本気で分析してみよう、が本論考の目的である。
ここで言うヤバい奴とは、ヤバさが多彩過ぎて一概に定義づけるのは困難だが、簡単に言えば、「言動や行動を見て、正直引く者。奇行する者。」を対象としている。
また初めに断っておきたいが、私は何もそのヤバい奴を批判したい訳では全くもってない。第一、変わり者というのは唯の個性であり、悪しき事でも何でもない。(他人に迷惑をかけている者を除いて)
本論考の主題は如何して「無作為に取り出した群」と比較して「反コロ群」にヤバい奴が多く偏っているのかを考察したいのだ。

これについて私は、承認欲求が起因しているのではないかと仮説を立てた。
先ず言わずもがなだが、承認欲求とは、人間誰しもが備える「認めて欲しい願望」の事である。偶に「自分は承認欲求は少ない方だ」と自称する者が居るが、はっきり言って嘘だと考える。
人間は古来より個ではなく、群で生きてきた種族である為、互いが互いを認め合うこと、相手に認めてもらえる自分であるよう努めることが、結果として群の生存率を高める事に直結した為に、本能に刷り込まれたのではなかろうか。
例えば、Aが獲物を狩猟してくれたおかげで食いつなげる。Bがそれを調理してくれた為に美味しい晩餐にありつける。Cがその間子ども達の世話をしてくれたおかげで、Dが水を汲みに行ってくれたおかげで・・・こうした群の為の行いの連鎖が、自己を承認してもらうことの連鎖が、群の生存率を高め、結果そうした種こそが繁栄したのではないか、と考える。

また、現代社会に於いての人生時間とは大分すれば、働いている時間とそれ以外の時間、つまりビジネス領域とプライベート領域とに分けられる。その領域のいずれか、または双方に於いて人々は、日々の承認欲求が満たされなければならない。
これは持論になるが、現代人は毎月100%の内の80%程度の承認欲求を充たし、常に20%程度は充ち足りていない状態で生きていて、同時にそうした状態が一般的に、健全な精神衛生状態なのではないかと考える。

ビジネス領域に於ける自己への評価により、欲求を充たす者もいれば、プライベート領域に比重が偏る者も居り、双方バランス良く充たしている者も居る。
また外的な承認が充ち足りて居ない者も多く居るが、そうした者は足りない状態で生きる事は恐らく叶わず、自己承認によって差分を充たしているのではないか。例えば外的に40%、残りの40%を内的に充たして日々を生きていると想像する。

自己承認には2種類があって、一つは所謂「自信」と呼ばれるものだ。自身の能力や技術、或いは容姿や、年収や、ステータスなど、自己の何かに立脚し備えた自信のことである。この自信に依って自己承認を充たしている者は極めて健全に思うが、問題はもう1種類、「間違った自己承認」と言うものがあるように思う。
これは簡単に言えば、「(根拠はないが)私は悪くない」などの自己弁護や、「出来る方がおかしい」などの歪曲した自己肯定の類を指している。他者からの承認は充たされない。己が正しさの立脚点はない。然し自分は正しいなどの倒錯した認知状態である。

こうした者は現代社会に存外に多く、その殆どが「意地悪な者」や「やっかみの強い者」なのではないかと考える。端的に言えば、そんな事をしても自分に利する物が何もないのに関わらず、他者に嫌がらせをしたり、困らせようとしたり、足を引っ張ろうとする者の事である。そしてそうした人々がヤバい奴へと昇華したのではないか。

承認欲求は充されて居らず常に乾いている。認められたいから口数はついつい多くなり、事実や倫理を捻じ曲げてでも自己を承認しようとする。そこに突如として去来したのが、コロナ騒動と言う国際的な詐欺に気づくことができたという達成感だ。
然なきだに枯渇していた欲求は、心にオアシスを見出したのだ。ある者は雷に打たれ天啓を得たかのように鮮烈に、またある者は赤子を抱く母親の手の温かみのようにじんわりと、承認欲求を充したのではないか。
殆どの国民はTVに煽動され、未知のウイルスに怯え、過剰なまでの対策とやらを行ってきた。つまり多数派が間違っていて、少数派だが自分は正しい、これが彼らの自信の源泉となった。

ここで大問題なのが、その自信には中身がないと言う事である。自分の実力やスキル、実績でもなんでもなく、スマホを一時間弄れば得られる程度の知識に立脚して、何の努力もなく自己を正当化したのだ。聡い子であれば小学生でも理解できる程度の知識に基づいての自己肯定など、はっきり言って狂気の沙汰である。
これによって生まれたモンスター、それを私は「コロナは茶番症候群」と名付ける事にした。

突如充された自己承認と自信。次に欲しがるものは何か、当然、他者承認である。だから足繁くオフ会に参加するのだ。このために反コロ群に多く偏った。
空気は読めないし読まない。世間は間違って居て自分が正しい。病院に接種を勧められようものなら激昂し、百貨店にマスクの着用を願われようものなら反抗する。
その際、営業の自由に抵触しようとも、営業妨害も、迷惑防止条例違反も意に介さず、己が正義を振り翳す。社会を、断罪する。
一切の実績や技術を持たずに「私がやる」とメスを握りしめ、手術台から離れようとしない無資格の狂人のように。

以上が私の仮説である。

また当論考に基づいて、拙著ショートショート三部作を書き記した。読者諸賢が時間を持て余す時が来たら、暇のお供にしていただけたら幸いだ。
以上、これにて失敬する。


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