ざりがに川のオッサンのはなし

ざりがに川のオッサンのはなし

住宅街の真ん中には用水路とされている川が流れていた。
幅は広いところで5メートル、雨が降っていなければ、子どもの膝以下の水深しかない。底には藻や水草、そしてスナック菓子の袋や醤油のペットボトルやら、よくわからないごみが沈んでいる。切り立った2メートルほどのコンクリートの壁に挟まれてはいるが、砂袋に支えられている木や少量の土と草が、自然な川の趣をわずかに添えている。生活排水は流れておらず、においもしない。大雨の日の荒れたこともない。年に1度、近所の人が集まって大掃除をすることはあったが、川は、常に静かに、そこにあるものであり、嫌悪や愛着などの特別な感情の対象ではなかったように思う。

川は、おおよそ20メートルおきに直角に流れを変えていた。
右に折れると、その20メートル先では左に、次には右に、という具合にだ。
地図で見ると、階段の断面のようになっているその川を、大人たちは「かいだんがわ」や、単に用水路と呼んでいたが、僕らは違う呼び方をしていた。
「ざりがにがわ」。もちろん、そこでザリガニを釣っていたからである。

春の終わりごろ、ハナミズキは終わったけれど、あじさいはまだ咲かず。からっとした晴れの日と、梅雨のはじまりのような、蒸すけれど肌寒い日が繰り返し訪れていたある日。誰からともなくザリガニを釣りにいくという話になった。学校を終えたらすぐに、スーパーマーケットの近くにある、ざりがにがわにかかる橋に集合ということになった。僕は家につくと手も洗わずに台所の棚をあさり、すぐにスルメを探し当てる。次に押し入れの奥から毛糸を取り出して、自転車に飛び乗ると待ち合わせ場所に向かった。
その日は乾燥した晴れの日であり、吹く風もなく、遊ぶには絶好の日より。おのずと期待感はあがっている。一時停止の交差点を度胸試しのようにスピードをあげて侵入しようとし、カーブミラーに何か見えるととたんに急ブレーキをかける。それを繰り返す。単なる移動だけど、期待感から無駄に遊んでしまう。

到着すると友達の数名は到着していて、早速流れのよどみに釣り糸をたらしている。遅れまじと橋の下にある階段を下りて、川岸にたどり着く。
「おそなったわ」
と、背中を向ける友達に言い、準備を始める。毛糸の先にスルメと、おもりになる小さな石を巻き付けるだけだ。石を巻き付ける余分を残しつつ、まずはスルメを結ぶ。次に石だが、巻き付ける石は、細長く、すべらないように凹凸が多いほうがよい。長細い形に欠けたコンクリート片が一番よかった。石とするめの間は、10センチ程度にするのが扱いやすい。
準備をおえたら、次はポイント探しである。いろんな理由づけは簡単だが、結局、いつも釣れる場所にはかなわない。すでに取られているポイントには入れないので、3番目か4番目によいポイントに入った。
そろそろとしかけを落としていく。川底までおもりを落としたら、そのおもりを持ち上げない程度にスルメを上下させる。ものの10秒で、ザリガニのはさみと触覚が見えた。岸がわの石に隙間からだ。さて、ここからが勝負である。

ザリガニは、おおきなはさみで、直接えさを口に運ばない。はさみはえさを固定するもので、3対ある顎脚とよばれる口の周囲にある足で、細かくちぎりながら口に放り込んでいくのだ。なので大きなはさみで抑え込んだと思わせ、顎脚で食べ始めるまで待つ必要がある。はじめたころはこれがわからなくて、何匹も逃がしてしまった。おおきなはさみで挟まれたら、逃げる獲物のような動きを演出する。しかしごくわずかにである。するとがっちりとおおきなはさみで抑え込みはじめる。少しゆるめてやると顎脚の出番。するめを食べ始めている。

今である。

意を決するのは迅速に、ただ引き上げはゆっくり一定速で。水面まであがっても速度はかえずに岸まであげる。さて、本日の一匹目。触覚をのぞいて10センチ以上はある。まあまあのサイズだ。

そこで気が付いた。バケツを忘れたのだ。

だけど慌てない。僕らはこんなときに、バケツを調達する方法を知っていたからだ。もう何度か調達している。
橋の下のオッサンに借りればいい。

ここから1本下流にある「えびす橋」の下には、オッサンが住んでいた。名前はなく、ただのオッサンである。住宅街唯一の乞食、ホームレスである。ただ、危険な様子は少なくとも子どもたちには見えず、川につかっていたり川で洗濯をしているために、汚らしいけれど不潔というほどではなかった。はずだ。
夕方遅く、暗くなりはじめた公園で野球をしていると、
「ぼうずどもは帰れ!」とたまに怒られたが、子ども同士で遊んでいるときに困ったことがあると、たいていそばにいて、助けてくれる存在だった。溝に自転車がはまって取り出せないとき、ボールが木の枝にはさまってしまったとき、そしてバケツを忘れたときになぜだかそばにいて、手助けをしてくれた。
今日はそばにはいないが、1つ先の橋の下までいけばいいのだ。
「バケツ忘れたからおっさんのところいってくるわ」
釣り上げたばかりのザリガニを持って、僕は移動した。するめはおきっぱなし。まあいいだろう。

おっさんは、ぼろいマットレスの上に座って、ラジオを聴きながら新聞を読んでいた。
「オッサン、バケツかしてくれへん?忘れてん」
オッサンはおう、とか他にも何かをいいながら、プラスチックのバケツをもってきてくれた。僕は釣ったばかりのザリガニを差し出した。オッサンはお菓子の缶の蓋のようなものももっていて、ザリガニをおけと言った。僕はザリガニを缶の蓋に乗せて、バケツを受け取ると「ありがとう」と言ってから、さっさと反転し歩き始めた。次にオッサンが何をするのか、そしてあまり気持ちのよい光景ではないことをしっているからだ。

すぐに背後で、オッサンがザリガニを食べる音がする。大きなはさみと、触覚を手でちぎり、そのまま頭をかみちぎり、ぽいっと口にいれて咀嚼をするのだ。ガリガリボリボリという音がする。一度その場面を見てしまった僕はその手順を覚えているが、思い出したくもない。振り返らずに友達のもとに急ごう。

通称ザリガニ、つまりアメリカザリガニは、食用目的で輸入されたと言われている。在来種であるニホンザリガニは生存競争に負け、里山でも郊外でも、水辺と生き物がいる環境では、アメリカザリガニしかいないといっても言い過ぎではない。そして、子どもたちが簡単につりあげられるほど、大量にいる。
ただ、僕らの間で流れていた噂では、ザリガニを食べると何かの病気で死ぬのだそうだ。根拠はないけれど、まことしやかに信じられていた。だから、釣り上げて飼ってみたりするものの、食べることはもってのほかと敬遠、どころかありえない行動なのである。

けれども、オッサンはガリガリボリボリと食べる。
しかも最後には、満足気にしっぽの先を川にぺっと吐き出すのだ。
まるで僕たちが大好物のすいかの種を飛ばすように。
オッサンはきっと、病気にならない。または病気になっていて間もなく死ぬ。あるいは、それが根も葉もない都市伝説のようなものであることも、うすうす考えてはいながら、オッサンの大好物はザリガニで、それをあげることが彼にとって喜ばしいこと。だから僕らは、御礼としてザリガニを渡す。それだけだ。

いつからかそれが当たり前になって、僕らはしょっちゅうザリガニを渡していた。累計では数十匹はあげただろう。だが、やがて、小学校の中学年になると、塾やゲームに忙しくなり、ザリガニをとることも、オッサンに助けてもらい、その報酬としてザリガニを渡すこともなくなった。

あれから10年以上はたち、高校生になった僕らは久しぶりに集まった。たいして意味のない昔話の一つとして、そのオッサンの話題となった時、誰かが言った。
「オッサンはザリガニを食べ過ぎて死んだらしいで」
僕らは、悪い冗談を浴びせられた後の、しんみりとした様子となり、まもなく解散することになった。


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